yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

漫画家・水木しげるとエッカーマン『ゲーテとの対話』。ゲーテの箴言。

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ゲーテと格言。いいことばのオンパレードで、感心する事多い。たいした知者であることは言うもさらなりである。しかしこうした箴言・格言はこれらを紡ぎだす叡智の深さを取っ払ってしまっての言葉だけの復唱となると、はや大方の言葉は右から左の仕儀となる。ネットで覗いてみた。あるはあるは、のっけからいつかどこかで聞いたことのあるような箴言、格言の羅列のページのヒットである。やはり読めば読んだでまったくゲーテというやつは!ほとんど言い尽くしているように思ってしまう。




イメージ 2ここでゲーテの格言を話題に取り上げたのは、先日、例の如く新聞記事に目を通していて(情けないことに、はや、私自身まとまった読書はしなくなって久しい)漫画家の水木しげるが≪ゲーテと聞くだけで、今でも背筋がしゃんと伸びるような気がします。・・・≫(日本経済新聞)のくだりに目が留まったからだ。いつ死んでも不都合ではない戦争が日常状態の少年時代、やはりまじかの、やがて来るだろう避けられない戦争での死をおもえば≪人生って何だろう≫の想念のもとに、数多くの哲学書を紐解いたそうである。ニーチェ、カント、ショーペンハウエルはいうにおよばず、聖書、数多くの小説のたぐいも手に取ったとあった。しかし≪とりわけ『ゲーテとの対話』には生きていく上の基準が満載されていました。偉ぶらないで自分のことは自分でやり、世の中を偏狭にではなく幅広く見ていて、すなわイメージ 3ゲーテは賢いと感服した・・・・・人生とは何かはとうとう分からずじまいでした。ただ、生きていること自体の燦然とした輝きに目がくらみ、「死にたくない」と痛切に思いました。≫戦地での爆撃で左腕をもぎ取られ、九死に一生、生きながらえたと聞き及ぶだけに、水木しげるのこうした<人生とは何かはとうとう分からずじまいでした。>の言葉は打つものがある。とどのつまりは分からない、華厳の滝に身を投じた一高生藤村操の≪人生不可解≫という事なのだろうか。最後に、自身の人生の幕引きも近くなったとして水木しげるが、そのゲーテ箴言でも今わが身にしみるとしてあげたのは≪「人はいつも考えているものだよ。利口になるには年をとらねばいけないとね。だが実のところ、人は年をとると、以前のように賢明に身を保つことが難しくなってくる」(山下肇訳)≫なんなのだ?ふりだしかよ!たぶんそうなのだろう。そうなのだ。真理は、もしありとせば自身の裡にあるのではなく、外部、関係の内にある。真理は外部にあるのだ。外部に預けられてそれは在るのだろう。さて、貼り付け画像は、「天才」画家・水木しげるの片鱗を見せて頷かせるものがある13才のときの絵「境港」である。このかっちりとした構図の素晴らしさには感心した。というわけで、スキャニングの質の悪さが気になるけれど貼り付けておきます。