yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

2006-08-01から1ヶ月間の記事一覧

コレクティヴなインプロヴィゼーションたぎる70年の高揚、オランダICP006『GROUPCOMPOSING』(1970)。

現代音楽、フリージャズ、アヴァンギャルドとこのブログにうたっていながら、アヴァンギャルドはともかく、最近はフリージャズからちょっとご無沙汰ということもあり、今回はヨーロッパフリージャズ。いずれにせよごく少数のファンしか見受けられぬ分野であ…

人間の是非 看破に飽きたり 往来の跡はかすかなり 深夜の雪。 老いの良寛

老いることは、避けようもなくまったく自然なことである。だがひとは自然をそれとして受け入れがたい意識存在であるからこその受苦にすべてははじまる。 我生何処来 独りで生まれ 去而何処之(ゆく) 独りで死に 独座蓬窗(そう)下 独りで坐り 兀(ごつ)々…

明晰と余情、込めたパッションに精神の重さを聴く『ペルソナーレ――音宇宙Ⅱ・細川俊夫作品集』(1988)

Toshio Hosokawa - Silent Flowers (1998) for string quartet 今現代音楽を聴いている若い人たち、少なくとも40歳台以下の人たちにとっては、この細川俊夫は80年代以降華々しく登場した俊英の一人なのだろう。それをいささかも疑い否定しようとはつゆ思は…

シンプル極まりない簡素な音に瞑想と祈り誘う、中世教会音楽の余情もつアルボ・ペルト(1935-)の『ヨハネ受難曲』(1982)

Arvo Pärt – Sanctus 投稿音源のものではありません。 情けないことに、私にはことのほか深刻な思想的課題、格闘があったのではないのだろう。およそ凡々たる来し方であったということなのだろう。獄中で聖書とはよく聞く話である。ましてや思想の巨人であっ…

「こどもの絵か?」と問われた、30年間自宅の門から外へは出なかった隠者、熊谷守一(1880-1977)。

上『ほとけさま』(1950) 中・上『白猫』(1959) 中・下『陽の死んだ日』(1928) 下『ヤキバノカエリ』(1948―55) 起きて半畳寝て一畳の、あたりまえの日常を放棄しての凄まじい絵描き人生であった葛飾北斎。それとはいささか趣きが違…

パッション満ち、美しすぎず上手すぎない文句なしに愉しい60年頃のジャズ。ファイヴスポットのエリック・ドルフィー『MEMORIAL ALBUM』

まったくこの奇妙なフレージングのインプロビゼーション。だからこそ気に入ったのだけれど。本人はどう思っていたのだろう。寡聞にして私は知らない。ジャズ評論にはすでにして論じられているのかもしれないけれど。独特であることを否定する人はいないだろ…

戦後復興の曙光に開放高揚する精神。諸井三郎1951年作曲の『交響曲第4番』

あまりにも時代の現実に引きつけすぎての鑑賞であるのかもしれない。今回取り上げる諸井三郎(1903-1977)の『交響曲第4番』は敗戦後6年という今なお復興途上での作品である。今まで拙ブログにて『交響曲第2番』(1938)および『交響曲第3番』(1944)を…

<生>の単調に堪える静謐に、永遠の美を聴くアルボ・ペルト(1935-)の『アルボス<樹>』(1986-7)

Arvo Part - De Profundis 遠い昔、ひとはみな、 石ころや土くれだったわけではない ひとはわずかに輝いた、そのほのかな光で、 みずからの誕生をかいまみた 人は頭上の天をみあげて、知った、 そこから自分がやってきたことを… こうして ひとは故郷にあこが…

中央アジアのエキゾチックで魂深く野性的な情熱の奔逸を聴く『Music from Tajikistan・Gerogia・Azerbaijan・Armenia』

神秘性深くもつグルジアのギア・カンチェリも、その範疇にはいるのだろうけれど、おおむねエキセントリックで荒々しく野性的な情熱の奔逸は凄まじくまことに魅力たっぷりである。この中央アジアエリアは民族音楽での興趣尽きぬエリアであることは、関心お持…

知的営為の真摯さは時代を超越する。感動の諸井三郎(1903-1977)。『小交響曲変ロ調』(1943)、『交響的二楽章』(1942)、『交響曲第三番』(1943-44)以上3曲NAXOS盤(2004)

壮大堅固な絶対音楽作品をはや戦前にうちたてた諸井三郎(1903-1977)。そのスケールの大きさ、確かなオーケストレーションの響きには感心し魅せられるものがある。同世代の民族派といわれる一群の作曲家の作品とはずいぶんとその力量の違いを感ぜられること…

レジャリン・ヒラーが1958年に創設したイリノイ大学の実験音楽スタジオで制作された作品『ELECTRONIC MUSIC from The University of Illinois』

Major Developments in the History of Computer Music 別にネタ切れというわけではない。今回のアルバムのような個々の作曲家の作品を一枚にまとめたコンピレーションアルバム?は情報が多岐に亘るゆえ、限られた時間で紹介するにはいささか荷が重く躊躇す…

東アジアにありての真正な響きの独特を、確かな曲想の中に聴く尹伊桑(ユン・イサン、1917-1995)NAXOS盤(2006・4)

尹伊桑 (Isang Yun), Tapis (1987) pour cordes 尹伊桑(ユン・イサン、1917-1995)は武満徹(1930-96)とはほぼ一回りちがう。かれは≪戦前、大阪と東京で音楽の基礎を学び、自国で反日運動で逮捕されながらも、その後、故国で音楽の教員として教えたが、フ…

初演者で献呈もされている、落ち着きと繊細渋ささえ感じさせるマーロ・アジェミアンのジョン・ケージ『Sonata and Interludes』世界初演盤

すでにこのジョンケージの『Sonatas and Interludes for Prepared Piano』(1946-48)をとりあげて稿おこしているのだけれど、そこで初演者で献呈もされている女流ピアニスト、マーロ・アジェミアンMaro Ajemianの演奏のことを述べ、そこで勝手に名前からの類…

大岡信『折々のうた』第六集より夏のうた鑑賞

あまりにも酷く暑い日がつづくのと、音盤のブログ勝手にひと休みということもあり、いま手じかにある大岡信の『折々のうた』第六集より夏のうたの鑑賞ということにした次第。本を繰っている間に、牡丹の季語が夏であるとはじめて知った。いま手許に季語の解…

伝統(歴史)と個がともに練成する感動。艶やかな朗唱と撥の弾ちならす琵琶の鮮烈なパワー『鶴田錦史の芸術』(1985)

Kinshi Tsuruta: Epic recitation of the genre Satsuma-Biwa 武満徹の代表的作品のうちのひとつ、それも邦楽器と西洋音楽との出遭いをタケミツトーンにエキゾチズムしてみせた見事さで歴史的傑作とした『ノヴェンバー・ステップス(November Steps)』(196…

純度高く精神性あふれる祈りの音楽。佐藤聡明『夜へ……』(1992)

Anne Akiko Meyers performs Somei Satoh's Birds In Warped Time. Watercolours by William M. Townsend. 佐藤聡明(1947-)の今回取り上げたCD『夜へ……』(1992)をどう評したらいいのだろう。胸かきむしられる悲愁の極みといえばいいのだろうか。そう…

大いなる<気>に、<チャンス>に美を表現をあずけたジョン・ケージピアノ作品『Seven Haiku』(1952)ほか

やはりもろでなく、ひねってあるところ、昇華されてあるところが凡庸でないことの証なのだろうか。…風であるけれども、…風を超えている、意図せざる…風である。そこにジョン・ケージの思想があるのだろう。おおむね凡庸は…風のみである。ようするにもろに…風…

佐藤聡明の静謐に浮かび上がる真正。尺八と琴の邦楽作品『日……月』(1993)

ブログを始めていなかったら新譜などたぶん買わなかっただろう。それほどにひさしぶりであった。作者には申し訳ないことだけれど、在庫処分だったのか半額であったせいもある。フリージャズ、現代音楽音盤の蒐集を四半世紀前に放棄したものの十数年ほど前、…

死の直前、ジャンピング凄まじいエリック・ドルフィー独創のいななく絶後のソロパフォーマンス『チャーリー・ミンガスグレイト・コンサート』

≪1964年4月19日、日曜日の午前零時10分から2時45分まで、シャンゼリゼ劇場でおこなわれたフランス国立放送局O.R.T.F.主催(ラジオとテレビで放送された)のコンサートをそっくりそのまま記録した≫(解説文より)3枚組みのLP『チャーリー・ミンガスグレイ…

緊張たたえた自立美のセリー音楽の古典。シュトックハウゼン『Kreuzspiel』(1951)、『Kontra-Punkte』(1952-53)『Zeitmasz』(1955-56)、『Adieu』。

Stockhausen: "Kontra-Punkte" 1/2 このアルバム(1974)に収められた作品はカールハインツ・シュトックハウゼンKarlheinz Stockhausen(1928-)の初期の作品であるけれども、およそ20年を経てのロンドンシンフォニエッタとの演奏ツアーでの自身が指揮しての、…

<騒音>それ自体へのダダ的超越のアヴァンギャルド。ジョン・ケージ(1912)とレジャリン・ヒラー(1924)の『HPSCHD』(1967-69)

John Cage: HPSCHD (1969) Prima parte 私たちはここに何を聴きだすべきなのだろう。三台のハープシコード(Antoinette Vischer,Neely Bruce,David Tudor)パフォーマンスとプログランミングされてのうえといいながら、ランダムに鳴らされるコンピュータによ…

世界で最初といわれるコンピュータで計算処理させて作曲された、古典的な整除された美しをも感じさせる『イリアック組曲』(1957)と『Computer Cantata』(1963)

Lejaren Hiller: Computer Cantata (1963) おおよそコンピュータで音楽上のエレメントを計算処理させて作曲されたものと思えぬ古典的な整除された美しいともいえる弦楽四重奏作品である。この今回取り上げる『イリアック組曲Illiac Suite for String Quartet…

孤独で美しく、やさしくもの悲しげなジョンケージの『Sonata and Interludes』(1946-48)『A Book of Music』(1944)

なんとも孤独で美しく、やさしくもの悲しげな響きをもっていることだろう。まことにピュアーである。1940年代後半までのこうしたピアノ作品のシンプルさの魅力は今までも拙ブログでも述べてきたところである。 二枚組みのアルバムの見開きになっている左ペー…

富樫雅彦と高柳昌行の傑出が創り出した『WE NOW CREATE』(1969)

Togashi Masahiko Quartet - We Now Create (1969) ことのほか富樫雅彦のパーカッションがすばらしい。パーカッションソロをまともに聞いたのは今回がはじめてだろうか。いやそうではなくこのアルバムでのパフォーマンスがよかったのだろう。B-1、「Artistry…

内面的精神性を秘めた音色、響の多彩と、荘重。ポーランドのカジミェシュ・セロツキ(Kazimierz Serocki、1922 - 1981)

Kazimierz Serocki - Episodes (1958-59) さてポーランドの音楽家といえば、誰しもがフレデリック・ショパン(1810-1849)を思い浮かべる。このことひとつをとってみても音楽的土壌の豊かであることを疑わないだろう。 しかしこのショパンにも人生上に大きな…

嘶(いなな)く特異なサックス。エリック・ドルフィー『Eric Dolphy at The Five Spot vol.1』(1961)

まったく久しぶりにハードバップとやらのジャズアルバムを聴いた。ジャズの薀蓄をもっている訳ではないのでこうとしかいえない。 ところで、残念ながらジャズはやはりマイナーでありつづける音楽だなと思った次第。それなりの変遷がありはしたのだろうけれど…

大岡信「折々のうた」より一句。野見山朱鳥

たまたま開いて目に留まった俳句をひとつ。 一 枚 の 落 葉 と な り て 昏 睡 す 野見山朱鳥(のみやまあすか) 「虚子門に学び、昭和四十五年五十三歳で没。青年期から肺患で久しく療養したが・・・画家としても一家をなした。・・・最晩年の作。」(大岡…

現代音響革新の先導者、サイレンが楽音に鳴るエドガー・ヴァレーズ(1883-1965)『The Varese Album』2枚組

Varese: Ameriques エドガー・ヴァレーズEdgard Varèse(1883-1965)といえば、甲子園高校野球に使われるようなサイレンが楽音として使われたことで有名である。なぜサイレンか?意味不明なところではあるが。<非西洋音楽の呪術的生命力を目指した>民俗的…

ルチアーノ・ベリオの天与の抒情の響き『ルチアーノ・ベリオの肖像』

ルチアーノ・ベリオ(1925-2003)。彼の経歴はすでに拙ブログで概略取り上げてもいるのでここでは割愛しよう。全体的な印象は、彼の音楽を抒情的で、かつ豊かな音色、響きを特徴とするということ以上に加えることはない。 これはシロウトの悲しさ以外のなに…

津軽三味線の太棹が弾く「さわり」に、こころざわめく『弾・津軽じょんがら節』(1976)

上妻宏光 "津軽じょんがら節" ≪日本音楽を勉強するためには、仏教音楽や能、さらに雅楽などを勉強するのもいいと思いますけれども、ほんとうに日本人の心をつかもうという場合には、やはり三味線音楽を勉強するのが一番手っ取り早い方法ではないかと思います…