純度高く精神性あふれる祈りの音楽。佐藤聡明『夜へ……』(1992)
佐藤聡明(1947-)の今回取り上げたCD『夜へ……』(1992)をどう評したらいいのだろう。胸かきむしられる悲愁の極みといえばいいのだろうか。そう、私たちはサミュエル・バーバーの『弦楽のためのアダージョ』の哀しみに満ちた旋律に胸しめつけられ、ベトナム戦争の酷烈な惨状に悲痛つのらせるオリバー・ストーンの名作『プラトーン』(※プラトーンとは、軍隊の編成単位で小隊(40名前後)の意味。)を張り裂ける思いで、固唾を呑み眼を瞠り祈ったはずだ。確かにここに在るのは≪祈りの音楽≫である。以下作曲家西村朗と評論家石田一志による解説書中の対談記事よりの抜粋である。
―― ≪音楽という形を成す前の原質的な凄さ
静的で透明感に満ちた、あるいは旋律が優位にたった音楽
コスモセントリック、つまり宇宙観を中心とした非常に観念的であると同時に哲学的であり、あるいは個を超えた世界を目指すという音楽の考え方
古神道的世界観が宿してきた浄らかさ、魂の浄らかさ
清浄無垢なひとつの音
音は霊そのものであって音に徹することで宇宙の本体に通ずる
音に祈りを込める
行としての音楽
ヨーロッパやアメリカの音楽はもはや駄目だろう――佐藤聡明の言葉
文学的、詩的センス
粛然たる感動を呼び起こす音楽だと思った。いろいろな音楽があるのですが、これくらい徹底して聴いてるものの魂を浄化するというか、あるいは黄昏の悲しみにも似た感情を、訴えかけてくるような音楽というのは余りないと思うのです。――西村朗
人類の深い黄昏
日本的な清冽さ
そして今(作品発表された1992年時点、まさにバブル絶頂期―引用者注)、日本人は拝金主義がはびこり様ざまな競争の中で振り回されています。しかし、すべての人々の心の奥底には、昏く深い静謐な音の海、仄かに明るく照らしだされた沈黙の湖ともいうべきものが在ります。佐藤さんの音楽はそれを見事に表現していると思います。こういう音楽を聴くということは、人間が自分の魂を失わずに生きていくうえで、とても力になるのではないでしょうか。――西村朗≫ ――
けっして難解とか謂うたちの現代音楽ではない。しかし逆にまた安易なセンチメントでもない。メロディアスでありつつその悲愁の極みは、武満徹の映画音楽の最高良質を生きた音楽だとも言えはしないだろうか。ひじょうに高純度な精神性あふれる祈りの音楽である。
聴くべし。作者には悪いけれど、今タワーレコードで在庫処分半額セールである。音楽の質とはおよそ関係のないことである。是非、足運び手にし感動を胸深く味わうべき作品であるとまで断言しよう。
聴くべし。作者には悪いけれど、今タワーレコードで在庫処分半額セールである。音楽の質とはおよそ関係のないことである。是非、足運び手にし感動を胸深く味わうべき作品であるとまで断言しよう。
武満徹に勝らずとも劣らぬ、いや彼以上かもしれない。ひじょうに思索的で詩的イメージを喚起する文才素晴らしい作曲家である。それゆえ、自作に述べられている佐藤聡明のコメントの含蓄を味わう意味でも、おのおの手間厭わず引用しよう。
≪『RUIKA』for cell and strings。『RUIKA』は誄(るい)歌【るい‐か【誄歌】1. 死者の生前の徳をたたえ、その死を悼む歌。2. 雅楽で、日本固有の歌の一。大葬などに用いる。】(NET大辞泉より)の意で、死者の魂を悼む歌。音楽は本質的に詩の香りを含んでいる。あるいは彼岸から吹く、異界の風の響きを湛えている。私達が音楽に深く感動するのは、音の隙間から響き渡る異界の声に身を晒すためであり、音の縁にオーラのように薄く煙る幽冥の香りを聴くからである。≫作品の一部にラランド(1657-1726)の『ミゼレーレ』の旋律が引用されているとのこと。
≪『夜へ・TOWARD THE NIGHT』for strings。・・・しかしいま、人類は数百万年にわたる歴史を経て、幼いまま年老いてしまい、深い黄昏の岐(ちまた)に茫然と佇んでいる、と思えてならないのだ。古代中国の聖人は「今生に度せずんば、さらに何れの生に向かってこの身を度せんや」と語ったが、この箴言ほど今の私の魂を鋭くえぐるものはない。
『ホーマ・HOMA』for soprano and strings。『ホーマ』はサンスクリット語で<浄らかな火>の意。漢語<護摩>は音写であり<焼施>と訳される。聖火に犠牲を供え、天の嘉納
を願うからである。1988年の夏、私の祖母は数え九十歳の天寿を全うし道山に帰した。この音楽は彼女の魂を言祝ぐ鎮魂の曲。サンスクリット語のマントラによって謳われる。
を願うからである。1988年の夏、私の祖母は数え九十歳の天寿を全うし道山に帰した。この音楽は彼女の魂を言祝ぐ鎮魂の曲。サンスクリット語のマントラによって謳われる。
CD帯には<人類の黄昏への哀歌、静謐なる音の海・・・・>とある。まさにその通りである。