yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

2008-05-01から1ヶ月間の記事一覧

二足歩行人型ロボット・ASIMO、オーケストラを指揮。チェロ奏者ヨーヨーマと感激の握手。

Honda ASIMO Directs Charity Performance of Detroit Symphony きょう、2~3週間ぶんほどの溜まった新聞を回収処分にだそうと、そのまえにざっと目を通していて、小さな記事に目がとまった。「米でASIMO指揮者デビュー・クラシック演奏披露」とあっ…

『ヴィンコ・グロボカールの音楽』(1973)。60年央から70年代にかけての集団即興演奏の熱気。ヴィルトーゾがなす集団即興演奏の凄み。煌めく空間の密度と緊張感。

Globokar- Ausstrahlugen (1/3) きのうは、いわゆる“ポストモダン”に括られているらしい、ドイツのアヴァンギャルド作曲家、ディーター・シュネーベルを聴いた。久しぶりの先鋭な刺激をわが脳みそにあたえてくれた。ということで、きょうもそれに輪を掛けた…

ディーター・シュネーベル『Atemzüge』(1970/71)『Choralvorspiel I/II』 (1966/68-69) 。もと牧師の“ポストモダン”アヴァンギャルド。

「無我なるもの、それはわたしのものではない。わたしのそれではない。わたしの我ではない。」 阿含経典(あごんきょう) ま、大体のイメージはソラリゼーションされた、声を出している、あるいは呼吸をしているレコードジャケットの人間の顔で、おおよその…

イタリアのアマチュア日曜写真家、マリオ・ジャコメッリ。そのモノクロ映像に、深く静謐にせまるメメント・モリ。

「白、それは虚無 黒、それは傷痕だ」 (マリオ・ジャコメッリ) 「記憶の根っ子を映像化すれば単色で、モノクロームの世界は想像への入り口になる」 (辺見庸) 先日の日曜日、NHK定期番組の新日曜美術館で放映されたイタリアの写真家マリオ・ジャコメッ…

『木遣り 全集』。てやんでー、ほんとうに労働歌?

木遣り ≪「木遣り」は木を遣り渡す(運ぶ)という意味だが、威勢のいい町火消の兄貴たちが唄う唄のことで、木遣唄ともいわれる。本来は重量物を運び出す時、その力を一つにまとめるための掛け声や合図として唄われたものという。≫(ネットページより)というの…

ゴットフリート・ミヒャエル・ケーニッヒほか『ユトレヒト(電子音楽スタジオ)・電子音楽作品集』。音色の多様・多彩性、そのイマジナリーな電子の響き。

Karlheinz Stockhausen - Gesang der Junglinge ゴットフリート・ミヒャエル・ケーニッヒ 今日は久しぶりに、俗称?銀ジャケ(一目見ただけで、そのきらびやかな鮮烈さで目に焼きつく全面銀ホイールが使われた特異なレコードジャケット)シリーズの一枚を取…

ベルント・アロイス・ツィンマーマン『ツィンマーマン作品集』。精神の緊張、濃密。持続と炸裂その表象としての流動的な音色変化の凄まじいエネルギー。スゴイ!みごとだ!驚きだ。

Bernd Alois Zimmermann - Stille und Umkehr (1970) ツィンマーマン(ベルント・アロイス・ツィンマーマン Bernd Alois Zimmermann、1918 - 1970)遺作、死の五日前に完成されたそのカンタータのタイトルは われは身をめぐらせ、日の下なるすべての不正を見…

デレク・ベイリー『デュオ&トリオ インプロヴィゼーション』(1978)。ランダムネスの冷めた音響の美しさ。≪まばゆくしなやかな音楽の光景≫(間章)

Derek Bailey&Toshi Tsuchitori/ Duo Improvisation recorded at Tokyo 1978 このレコードを否認しようとするものの全てはその理由のいかんを問わず反動主義者であり、新しい形で我々を犯し始めているネオ・ファシズムの側に立つものである。 (間章・AIDA A…

武満徹『音、沈黙と測りあえるほどに』(1971)。無名の武満徹が父親と慕い出入りしていた、詩人で美術評論家・瀧口修造の、いま羽ばたこうとするその若き才能への畏敬の念と慈愛に満ちた胸うつ賛辞のことば。

Takemitsu Soundtrack Documentary (4 of 6) 私は音楽と自然のかかわりについて、いつも考えているが、それは自然の風景を描写するということではない。私は時として人間のいない自然風景に深くうたれるし、それが音楽する契機ともなる。しかし、みみっちく…

チャイコフスキー『四季 THE SEASONS -12の性格的描写 作品37』。ロマンチックで、もの悲しくセンチメントな名品「舟歌」を聴く。

Mikhail Pletnev, piano: Tchaikovsky : The Seasons, Op. 37 June: Barcarolle 「厳しい現実世界においては芸術だけが救いです」 (チャイコフスキー) ずいぶん前だけれど、へえー、こんな美しいピアノ作品があったのかと感じ入って自動車車中のFM放送で…

セシル・テイラー『NUITS DE LA FONDATION MAEGHT Vol.1』(1969)。演奏内容が良いんだか、悪いんだか。秀逸のジャケット聴き。

Cecil Taylor Quartet:Cecil Taylor, p;Jimmy Lyons, as; Alan Silva, b; Andrew Cyrille, dr; Paris November 1966. さてきょうの、取上げたアルバム、セシル・テイラーCecil Percival Taylor (born March 15 or March 25, 1929 in New York City)(日本語…

アレキサンダー・フォン・シュリッペンバッハ・クァルテットの『The hidden peak』(1977)。無機的で硬質、そのアーティフィッシャルな冷え寂の情熱。まさに空虚に起つ激情の美。

Schlippenbach - Parker - Lovens 3:live at Theatro Astra - Vicenza jazz festival May 16th 2007. おおむね毎日曜は近くの図書館へ散歩がてら出向く。本を借りてくるものの、ほとんど読めずに返すはめになるのだけれど。それでもやはり何かしらの本を借…

大江光『大江光の音楽』(1992)。淡々とながれゆく自然、その景色の軽やかな移ろいに任せるごとく聴くのがもっともふさわしいと思える。これでいいのだ。ひとにやさしくなれる。これ以上のことはない。

もはや紹介など不要だろう。ノーベル賞作家大江健三郎のご長男であり、知的障害を持ってその生を享けたという大江光(以下ことさらな敬称は省かしていただく)の作品集、『大江光の音楽』(1992)がきょうの取り上げるCD。町の図書館で借り受けたもの。た…

マジカル・パワー・マコの『スーパー・レコード』(1975)。混合、混血文化の世界化の、ハシリのパフォーマンス。遊び心をもったライト感覚でのクレオール音楽。

Par volonte et par hasard 意思と偶然による旋律 いつも愉しませてもらっているブログで思い出させてくれたアルバムが今日取り上げるもの。といっても、そこではファーストアルバムが取り上げられていたのだけれど、この記事で取り上げるものはそのアーティ…

埴谷雄高『不合理ゆえに吾信ず Credo, quia absurdum』。

高島野十郎 ――そこにわたしの魂が揺す られる場所、そんな純粋な場所 はすでに私から喪われてしまった。 例えば弾性を喪った弾条(ぜんまい)が侘しく自身に戯 れてみる――懶く自身を捻ってみることに も、やがてはしずまりきってしまう空虚を味 わっている羸…

古東哲明『<在る>ことの不思議』。

「根拠は存在〔すなわち形而上学の根底としての無〕から離れ落ちたままにとどまっている。根拠が存在<から>脱落し、離れ落ちたままにとどまっている(ab-bleiben)というこの意味において、存在とは無‐根拠(ab-grund深淵)である」「存在は存在として、無根拠(…

マレイ・ペライア『ゴルドベルク変奏曲』(2000)。思慮深く癖がなく中庸で美しいピアノの響き。心静まり、穏やかな安らぐ眠りへと誘われることだろう。

Murray Perahia - Goldberg Variations (1-4) 以前から、私が気に入り、折にふれ、その名を口にしているアメリカのピアニスト、マレイ・ペライア(Murray Perahia, 1947 - )の『ゴルドベルク変奏曲』(2000)が今日取上げるCD。誰しもが感に堪えたように口…

エリック・サティ『ピアノ音楽全集』CD5枚組み。シンプルさがもの悲しい憂愁と透きとおった孤独をいっそう際立たせる。

Erik Satie- Petite overture a danser ≪『音楽はよろこびの伴侶、悲しみの薬』だそうだ。エリック・サティErik Satie(1866 - 1925)のシンプルな音楽を聴いているとまさにその通りと思ってしまう。≫(投稿済み記事――<エリック・サティ。もの悲しい憂愁と…

葛飾北斎の肉筆画『夜鷹図』。これで決まりの構図。

常磐津「お夏」 きょうも、いつものように音楽ブログでいこうと思っていたのだけれど、仕事終えて新聞読んでいたら、美術館展示催し紹介の、ごく小さいスペースを使ってのコラムに葛飾北斎(1760?-1849)の肉筆画の傑作(だそうで、はじめて知ったのだけれど…

ジャン・シベリウス『交響曲第4番・第6番』。オーケストレーションの壮麗さと重厚かつ大なるスケール。精神が、祈りが、深く清冽に響きわたっている。

Sibelius - Symphony No.4 - 3rd. movement:Swedisch Radio Symphony Orchestra Esa-Pekka Salonen Recorded in 2000 きょうは、シベリウス(ジャン・シベリウス Jean Sibelius, 1865 - 1957)の交響曲第4番と6番の2曲が収められている図書館ネット借受…

チャイコフスキー『弦楽セレナーデ作品48』とドヴォルザーク『弦楽セレナーデ作品22』。生誕100周年のカラヤンとベルリンフィルで、その撓る弦の重厚と優美で名曲を聴く。

TCHAIKOVSKY: Serenade for Strings in C major, Op. 48 「・・・しかし、やはりメロディー主体になってしまうのは否めません。途中、ブラームスのようだと思ったら、また舞曲に変わる。堂々とした建物の中に入って、次の扉を開けてみたら、田舎のオッサンが…

矢代秋雄『ピアノ協奏曲』(1967)と『チェロ協奏曲』(1960)。印象深いフレーズと明瞭な展開構成で、分かりやすく日本的余情の感性になじむ親しみやすい名曲。

Akio Yashiro, Piano Concerto ― the 1st movement (1/2) ブログ開設以来さほど日数が経っているわけではないけれど、所蔵する音盤の多くを投稿してきた。ひょっとして整理の悪さから2度登場というようなミスがあるのではないかという強迫観念めいたものが…

ビル・エヴァンス『THE BILL EVANS ALBUM』。奥深く森閑とした静やかな水源に湧き出る透明で清らな真水のごとく意想ふつふつと奏でらるピアノインプロヴィゼーションは澱み、濁りがない。

Bill Evans - "I Loves You Porgy" Solo - NYC 1969 だいぶ以前だけれど、小生のブログ投稿でビル・エヴァンス(Bill Evans, 本名:William John Evans(ウィリアム・ジョン・エヴァンス), 1929 - 1980) を取上げた。 ≪流麗な、洗練されたアドリブ、ピアニズ…

山田耕筰『山田耕筰の遺産10 管弦楽曲編』戦意高揚、プロパガンダの国策音楽。歴史の雨が降っている、ザーザーとやるせなくノスタルジー誘う涙の雨が降っている。

K.Yamada (山田耕筰) - Nagauta Symphony Tsurukame (1934) [1/2] 歴史の雨が降っている、ザーザーとやるせなくノスタルジー誘う涙の雨が降っている。数十年前の歴史ドキュメントによく降る雨だ。 もはや歴史は忘却に霞むなか、「篠突く」の形容のごとくに…

シュトックハウゼン『OPUS 1970』(1969)。我を忘れ放心させる揺らぐウェーブノイズ。まるで無に支えられた現存在(実存)の子守唄、ノスタルジアのようでもある。

Karlheinz Stockhausen Opus (pt1) 絞首台のような枠の中でそれは白熱した。その光は牽牛星のように燐光ににた光彩をもっていた。スイッチをひとひねりすると、強い光が消え去り、白金が小さなガラス球のなかでかすかに輝いていた。―――T・A・エジソン すべ…

マレイ・ペライア『モーツアルト・ピアノコンチェルト全集』。宿題の#20番第2楽章“ロマンツェ”の聴き較べ。やはり、ペライアはすばらしかった。美しく清澄だ。

Wolfgang Amadeus Mozart 21.Klavierkonzert, II. Satz, Andante, Murray Perahia 残念ながらペライアの20番は見あたりません。 さて、この連休の間に宿題を片付けようということで、以前投稿したモーツアルトのピアノコンチェルト#20番の第2楽章“ロマン…

クリスチャン・ウォルフ「Burdocks」(1971)ほか収録の『Christian Wolff』(1971)。アメリカ・アヴァンギャルドの若手揃い踏み。予測し難い、はぐらかすかのような恣意な音響世界

Christian Wolff- For Piano (1952) 公衆が芸術において愛するのは、何よりもまず俗なもの、とうに彼らが知っているもの、慣れているものである。(アントン・チェーホフ) そういえば、ニューヨーク楽派なることばがあったことを思い出した。仔細は忘れてし…

散りぬべき 時知りてこそ・・・。 春もこう暑いと、開花も思いのほか早く、それに駆け足のように散って行く。

遅日 江山 麗しく 春風 花草 香(かんば)し 江(こう) 碧(みどり)にして 鳥 愈々白く 山 蒼くして 花 然(も)えんと欲す 芳樹人無く 花自ずから落ち 春山一路 鳥空しく啼く 春色 人を悩まして 眠り得ず 月移りて 花影 欄干に上る 疎疎たり 一簾の雨 淡…

ジョン・ケージ『The Seasons』(1997)。こんなのあり?なんとなんとこれは困った!もんだ。なんとまあ、美しいジョン・ケージだこと。こんなのありか?表現という意図の放棄とは何だったのか。

John Cage こんなのあり?なんとなんとこれは困った!もんだ。これがケージなのか!とまず口をついて出てきたのがこのことばだった。なんとまあ、美しいジョン・ケージだこと。売れ線のジョン・ケージ!。この美しくソフィスティケートされた聴きやすいジョ…

ケージ楽派?クリスチャン・ウォルフ「LINES for string quartet」(1972)、「ACCOMPANIMENTS for piano」(1972)。簡素で妙に魅力な響き。

Christian Wolff- For Pianist (1959) (2/2) とにもかくにも、形容しがたき(コンセプトの)現代音楽!といいたくなる音楽だ。と、ひとまず云ってからでしか前に進まない。あれやこれやと時間もいくぶんか経ってしまい今さらほっぽり出すわけにいかず・・・…