yuki-midorinomoriの日記

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山田耕筰『山田耕筰の遺産10 管弦楽曲編』戦意高揚、プロパガンダの国策音楽。歴史の雨が降っている、ザーザーとやるせなくノスタルジー誘う涙の雨が降っている。

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K.Yamada (山田耕筰) - Nagauta Symphony Tsurukame (1934) [1/2]

             

イメージ 2歴史の雨が降っている、ザーザーとやるせなくノスタルジー誘う涙の雨が降っている。数十年前の歴史ドキュメントによく降る雨だ。 もはや歴史は忘却に霞むなか、「篠突く」の形容のごとくにザーザーと雨が降っているのだ。嘆きの雨か、せつなくやるせない涙の雨か。『山田耕筰の遺産10 管弦楽曲編』がその音源だ。きょうは、いまだに歌い継がれ愛されている童謡、愛唱歌を数多く遺しはしたが、かの戦争にご多分にもれず?協力し、戦意高揚、プロパガンダの国策音楽をこれまた数多く作曲しつつも、わが国の音楽の近代化にも貢献したといえるだろう山田耕筰管弦楽曲の収められたCDを図書館よりネット借り受けての紹介。国際社会の鼻つまみといまや成り下がった、輝ける明るい未来をもたらすはずだった社会主義某国の国策イベント等を視るにつけ聞くにつけ、哄ってはおれない心境になることは間違いない。皇国・皇軍だのと、たかだか70数年前の作品なのだ。西欧の人々の70数年の歴史の変移遷は、斯くなるほどの断絶、隔絶としてあるのだろうか。ところで2曲目収録の、交声詩曲(カンタータ)「大陸の黎明~聖戦讃歌~」(1941)の初演は「聖戦4周年楽壇総動員大演奏会」(於東京)で、≪天皇と皇国と皇軍との三位一体を歌い上げる、荘重な讃歌≫(解説より)とのよし。いや、はっきりいって荘重な軍歌だ。
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   「聞け大陸の黎明(しののめ)に響くはなんぞ嚠喨(*りゅうりょう)と
   とどろと進む地響きの敢えて押し行く勢いを。
   海を越えたる百萬の大御軍の雄たけびは、
   旗雲高くさしのぼる日にこそ勇めまのあたり。
   砂漠の嵐吹き荒ぶ北は蒙古(モンゴル)、満洲里亜(マンジュリア)、
   見よ、長城の嶮にして八達嶺は雲鎮む。
   天より来る大黄河、長江の水土さかしまに、
   ひた攻めのぼる兵の勝鬨すでに年経(ふ)りめ。
   思へ、とどろく跫音に大御軍の征くところ、
   物ことごとくよみがえり茜さす日ぞ照り満たん。」

        (註、*楽器・音声がさえてよく響くさま。)


以上は北原白秋の詩であり、上記「大陸の黎明~聖戦讃歌~」の第4楽章合唱で歌われた歌詞だそうだ。隔世の感などといって済ませられるものだろうか。残念ながら、私は浅学にしてこうした山田耕筰の戦時の活動に対しての批判検討がどのよになされていたのかは、まったくと言っていいほど知らない。思想・哲学文学論争では幾分か学生時代に読みかじってはいたけれど。戦後久しく山田耕筰の業績、それも数多くの童謡、愛唱歌の名曲のそれらをのぞいて、ほとんど顧みられなかった理由がここいらにあることは間違いないことだろうけれど。つまりは、戦犯であると・・・。誰が支えたのか、誰があおったのか、権力者か同伴者か、いや被害者ズラしている国民、大衆か?。とはいえ、こうして手を加え、隠すことなく、篠突くほどにザーザーと雨降るなか、音楽の近代化に邁進する音たちを才能ふりしぼり紡いでいた営為を、やるせなく切ない気持ちで聴けるのはありがたいと言うべきなのだろうか。

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山田耕筰の遺産10 管弦楽曲編』
① 明治頌歌MEIJI SINFONIE(1921)
  山田耕筰指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
② 交声詩曲(カンタータ)「大陸の黎明~聖戦讃歌~」(1941)
  山田耕筰指揮 日本放送交響楽団 日本放送合唱団
③ 寿式三番叟の印象による組曲風の祝典曲
  山田耕筰指揮 東京交響楽団
④ 「幼き日」山田耕筰謡曲
  山田耕筰指揮 日本コロンビア交響楽団