yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

2007-12-01から1ヶ月間の記事一覧

近藤譲『忍冬Hunisuccle』(1994)。しじまに撃ちこまれる楽音の弱音から強音へのクレッシェンド。静謐のうちに佇む抒情と簡潔、その余韻。「線の音楽」の豊穣を聴く。

Jo Kondo ~ High Window ≪私たちは、無に縁どられた線によって形つくられる透明な音の層を聴く≫ (武満徹・近藤譲の『線の音楽』へのことば) そうとう前のことだけれど、NHK・FMの「現代音楽」の番組を担当していた上浪渡時代にエアーチェックしていた…

カール・リヒターのチェンバロによるバッハ『パルティータThe Six Partitas BWV825-830』(2枚組)。「かけっ放しのバッハ」「聴きっ放しのバッハ」こそがバッハの音楽にはふさわしい。

Karl Richter - Bach - Toccata in G-moll 風は見えなくても風車は回っている。 音楽は見えなくても心に響いてくる、囁きかける。 J・S・バッハ(1685~1750) バッハはカール・リヒターKarl Richter(1926 - 1981)だった。何故だかしらないけれ…

エリック・ドルフィー『メモリアルアルバムThe Eric Dolphy Memorial Album』。デュオとソロを聴き<個>を極めるといったタチのような人との認識を再確認。

Eric Dolphy- God Bless the Child 人間は、あらゆる職業に自然に向いている。 向かないのは部屋の中にじっとしていることだけだ。 (パスカル) 惜しまれて早くに世を去ったエリック・ドルフィーの代表する音盤といえば『Eric Dolphy at the Five Spot』に指…

ピエール・バルボーの『FRENCH GAGAKU』と『MU-JOKEN』。コンピュータを作曲過程に介在させてのアルゴリズミック・ミュージック。丹波明「能音楽の構造」研究の実践『TATHATA』ほか。

Pierre Barbaud - French Gagaku なんとも奇妙で、それでいて忘れがたい曲風の詰まったレコードだ。音色、ソノリティの奇体さにおいて魅きつけるのだ。オリジナリティーという言葉にはあまり関心をもたないのだけれど、変わっていることは否定しようがないほ…

東山魁夷『年暮れる』(1968)と与謝蕪村『夜色楼台雪万家図』

東山魁夷『年暮れる』(1968) うづみ火にすこし春あるここちして夜ぶかき冬をなぐさむるかな (藤原俊成) Salvatore Adamo(Tombe la neige) いよいよ押し詰まり、今年もあと数日を残すばかりとなりました。この齢になると確たる感慨も湧いてこず、ただなに…

三善晃の傑作『ヴァイオリン協奏曲』(1965)の高邁にして深い抒情と、諸井誠の12音列・数理・論理秩序をトコトン極めて逆説的に情緒性が美しい『ヴァイオリンとオーケストラのための協奏組曲』(1963)。

今日は、三善晃の傑作『ヴァイオリン協奏曲』(1965)と諸井誠の12音列・数理秩序をトコトン極めた、これまた秀作の『ヴァイオリンとオーケストラのための協奏組曲』(1963)のカップリングされた好アルバムの紹介記事投稿だ。念のためにと、ネットにてア…

セシル・テイラー『エアー・アバヴ・マウンテンズAIR ABOVE MOUNTAINS』(1976)。なぜ斯くまでに音で埋め尽くさねばならないのだろう。それにしても圧倒するセシル・テイラーだ。

CECIL TAYLOR:air above mountains.part one うぐいすは久しく姿を見せなかったが、 めぐる春に誘われてまたやって来る。 なんにも新しい歌は覚えて来ないで、 古いなじみの歌ばかり歌っている。 (ゲーテ) なぜ斯くまでに音で埋め尽くさねばならないのだ…

広瀬量平『カラヴィンカ・迦陵頻伽』(1972-73)。シタールなどのインド民族楽器を使わず西洋楽器で奏でる、原始仏教的世界のその汎アジア的な≪漂うような流れ≫の音楽。

Ravi Shankar - Raga Anandi Kalyan さて、昨日の黛敏郎の仏教を題材にした傑作『涅槃交響曲』に引き続いて、今日も、その仏教の生誕地インドに自らの音楽世界のよりどころを求めたともいえる作品を取り上げよう。ただここには、あのインドの伝統音楽といえ…

黛 敏郎『涅槃交響曲]』(1958)と『曼陀羅交響曲』(1960)。荘厳を奏で瞑想を啓く。五大にみな響あり、「実相ハ声字ニ由テ顕ル。即チ声字之レ実相ナリ」(空海)。

黛敏郎:涅槃交響曲 第二楽章 「首楞厳神咒」 Mayuzumi:Nehan Symphony ≪「涅槃とは、存在でもなく、非存在でもない。それは考究の対象とならず、しかもなお究極の確証である。この永遠性について語れば、語ること自体によって、本来捉えられるべきものを逸…

高橋悠治『フーガの[電子]技法』(1975)。何かを発見することとしての音楽実践。

Yuji Takahashi (synthesizer) - Contrapunctus XV (1975) こうなるとアコースティックなパイプオルガンのフーガを聴いている方が良いかなと思ったりする。今から30年以上も前の電子機器の水準といった時代的制約があるにせよだ。決してつまらぬといってい…

山下洋輔トリオ『コンサート・イン・ニュージャズ』(1969)。時代の熱気と併走する怒涛の勢い。

Burning piano (played by Yosuke Yamashita) 粟津潔サイトで完全版が観れます 68年~69年という歴史年次は折りにふれ幾度となく顧みられ語られることだろう。これはノスタルジーのしからしめることとしてのみ片付けられない、ターニングポイントであったと…

デヴィッド・トゥープとマックス・イーストレイの『OBSCURE#4』(1975)。「さえない」「目だたない」「注意を引かない」「不明瞭」で「あいまい」で風変わりな音のつまったレコード。

Max Eastley, Kinetic Drawings デヴィッド・トゥープ ま、なんともなさけない音楽。しめやかに耳を澄まして聞こうと言った風情だ。自然との神秘的な交感といったことなのだろうか?なにせ日本の読経のときに鳴らす鐘(響きからして直径30~40センチほどのも…

テリー・ライリー『A Rainbow in Curved Air』(1968)。泥沼と化したベトナム戦争。タイトルどおり、それは平和への希求でもあっただろう。

Terry Riley - A Rainbow in a curved air – 1969 ブログに取り上げる順序が逆なのかもしれない。というのは、ミニマリストのテリー・ライリー Terry Riley(1935 -)の名を一躍高めたのは『IN C』(1964)であったと思われるけれど、ヒットするなどして、世評…

ポール・メファーノ率いる<2E2M>のメリハリある演奏。「私は現代音楽の未来に、なんら不安を持ったことはない」(ピエール・ブーレーズ)と語るゆるぎない「音楽への信」ゆえのきらめく美しい響き。

Boulez - Sur Incises (extract) - Ensemble InterContemporain ピエール・ブーレーズ 音もなし、おまけに御大ピエール・ブーレーズPierre Boulez(1925- )以外の情報が当方にほとんどないこうしたレコードを取り上げたところでどうなるのだろう。いささか…

ゲーテの詩か人生訓か、「神性」。

La Damnation de Faust NHK Symphony Orchestra,Tokyo Conducted by Charles Dutoit 言葉は聖なる沈黙にもとづく (ゲーテ) 「ギョエテ」「ゲョエテ」「ギョーツ」「グーテ」「ゲエテ」とさまざまに表記されているとは面白おかしく語られてきたことだった。…

武満徹『ノヴェンバー・ステップス』(1967)。果たして代表作としていいのだろうか。

Takemitsu:November Steps(excerpt) あの人に会いたい-武満徹 クルクルとジャケとデザインを変えたり、カップリングの組み合わせを変えたりで、どれがオリジナルの初版なのかわからなくなってしまっている。今日取り上げる、図書館で借りてきたCD、武満徹…

グレン・グールド『ゴールドベルク変奏曲』(1955)そのデジタルリマスター盤。グールドの、この晴朗な小気味よさには思わせぶりな私心などはない。天馬空を行くがごときあざやかな飛翔を、遊びを、戯れを聴く。

Gould plays Goldberg Variations 1-7 始まりをも終わりをも考えない音楽、いかなるクライマックスもいかなる解決をも持たない音楽、ボードレールの恋人たちのごとく「そよ風の翼の上に軽やかに憩う」音楽――グレン・グールド 怖ろしいことだとはいささか大げ…

室生犀星「凍えたる魚」

横山操<絶筆・未完> シベリヤ 抑留、失われた10年・・・「やれないのではない。やらないからだ」 RACHMANINOFF: Vocalise, Op. 34, No. 14; STOKOWSKI Anna Moffo 「風が立ち、浪が騒ぎ、無限のまへに腕を振る。」これは中原中也の<盲目の秋>よりの詩…

ハムザ・ウッディーン『スーダンの音楽/ハムザ・ウッディーンの歌とウード』(1974)。微妙に揺れる≪不可思議で神秘的≫な響きに民族の心を聴く。

Hamza el Din – Ud ― 音楽をもたぬ人間社会は存在しない ― きょうは北アフリカ・スーダンの民族音楽で、レコードのタイトルには『スーダンの音楽/ハムザ・ウッディーン Hamza El Din (1929-2006)の歌とウード』(1974)と銘打たれている。解説によると民族…

哀悼カールハインツ・シュトックハウゼン『INORI(祈り)』(1974)。

Stockhausen: "Inori" 1/2 先日、新聞の訃報欄でカールハインツ・シュトックハウゼンKarlheinz Stockhausen(1928 - 2007)が亡くなったとの記事を目にした。というわけで、かれの作品に関する記事を投稿することでこの傑物への哀悼としたい。それにあわせる…

高山辰雄『食べる(たべる)』(1973)。ふつふつとせりあがってくる慈愛と哀しみ。

『食べる(たべる)』(1973) 今年九月に物故された日本画家・高山辰雄(たかやま たつお、1912 - 2007)の『食べる(たべる)』という作品はひと目みて言い知れぬ哀しみを呼び起こすことだろう。幼い子供が無心に食べているという姿が描かれているだけなのだ…

イレーヌ・シュヴァイツアーの初期のリーダーアルバム『EARLY TAPES』(1967)。女セシル・テーラーか。現代音楽的洗練とエネルギッシュなフリージャズパワー。

Irene Schweizer (Documentary) スイス生まれの女セシル・テーラーならぬ、パワフルなフリージャズ・ピアノパフォーマンス。彼女イレーヌ・シュヴァイツアー Irene Schweizer(1941-)のリーダーアルバムではなかったけれど、すでに拙ブログにて2稿登場して…

スティーヴ・ライヒ『ミュージック・フォー・ア・ラージ・アンサンブル』(1980)。フェーズシフトのシンプルな反復の面白さから、音色的にもその豊饒化豊麗化を顕著にみせるラージアンサンブル作品。

Music for a Large Ensemble - Steve Reich (sound only no image) 【・・・最後に大岡昇平のことばを引用する。《人間の存在の根源的なひとつの要素として、子供が繰り返しを喜ぶということがある。同じことをしているんです。それは一種の遊びでもあるけれ…

武満徹『ア・ストリング・アラウンド・オータムA String Around Autumn』(1989)余韻深く静かなエネルギーに満ちて宇宙大に響く、重層的な深みのある響きで抒情を謳う。

Takemitsu, Viola concerto "A string around autumn" {Part 1/2} ― 私が表したかったのは静けさと深い沈黙である。― アルバムタイトルが『ア・ストリング・アラウンド・オータムA String Around Autumn』(1989) と言うことで、少々時期を失している投稿とな…

川合玉堂の品格と画格、詩情満ちる印象深い作品と時節の静謐をうたう漢詩。

峰の夕(1935) 落 葉 し て 木 々 り ん り ん と 新 し や (西東三鬼) 遠 山 に 日 の 当 た り た る 枯 野 か な (高浜虚子) kinohachi yuki-no-ne acorstic 先日図書館で借りてきた、横山大観、下村観山、菱田春草らと並んで画業成した川合玉堂(かわ…

フィリップ・グラス『MUSIC IN TWELVE PARTS』(1974)。キーワードは、<繰り返し>であり<ずれ>であり<生成>。なにやら現代の生命情報論めいている。

Philip Glass Violin Concerto & Darkroom Session 《もう一つ、アート全般、そして自然へのアプローチの基本的観念としてあるのが、反復と周期性の問題だ。何かがあるとすると、そのものの順序は反復されなければならない――そのものだけでは有限だからだ。…

ギャヴィン・ブライアーズの『1,2,1-2-3-4』ほか。曖昧、不明瞭(オブスキュアobscure)そして偶然性の提示する、意思的なズレたり伸びたり縮んだりするシマラナイ音楽と、ナイーブな実験的感性。

Gavin Bryars Cello Concerto played by Julian Lloyd Webber リチャード・ギャヴィン・ブライアーズRichard Gavin Bryars オブスキュアobscureとは、曖昧なとか不明瞭なとかの語義をもっているそうだけれど、まさにこのレーベル、あのロックミュージシャン…

バッハ・リヴォリューションの『我が心いまだにやすらかならず』(1976)。音と音との<間>のセンシティヴな彫琢などに日本的な余情を感じさせる音響制作。

バッハレヴォリューションという文字が見えるので、てっきりバッハの作品をシンセサイザーなどの楽器やテープを使って演奏しているのかと思い込んでしまっていた。購入して幾度かは聴いているのにだ。(「バッハレヴォリューションthe bach revolution」とはシ…

黒沼ユリ子の1968年録音ヴァイオリン小品集『ユモレスク/スーヴニール』温かく抑制された美しいヴァイオリンの響でチェコスロヴァキアの民族情緒溢れる音楽を鑑賞。

Dvorak Humoresque No.7 by Itzhak Perlman e Yo-Yo Ma いたずらに時間ばかりが過ぎて、投稿する記事まとまらず、結局、今日取り上げるレコードは黒沼ユリ子のヴァイオリン演奏のものとなった。自身の若き日の長期にわたる留学先であったチェコ(スロヴァキ…

ルチャーノ・ベリオの『エピフェアニー、フォークソング』。そのタイトルの語義(「出現」「顕現」)に音楽の「神性」、その超越性を想う。

Luciano Berio: Folk Songs (1964-1973) ≪この世は私たちにもうほとんど恵を与えてくれない。この世はしばしばただもう喧騒と不安から成り立っているようにしか見えない。けれど草や木はそれでもやはり成長する。たとえいつの日か地上がすっかりコンクリート…