yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

広瀬量平『カラヴィンカ・迦陵頻伽』(1972-73)。シタールなどのインド民族楽器を使わず西洋楽器で奏でる、原始仏教的世界のその汎アジア的な≪漂うような流れ≫の音楽。

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Ravi Shankar - Raga Anandi Kalyan

         

イメージ 2さて、昨日の黛敏郎の仏教を題材にした傑作『涅槃交響曲』に引き続いて、今日も、その仏教の生誕地インドに自らの音楽世界のよりどころを求めたともいえる作品を取り上げよう。ただここには、あのインドの伝統音楽といえば先ず思い浮かべるシタールSitarやヴィーナVinaなどの弦の微分的にゆれる瞑想的な響きの民族楽器や、打楽器のタブラtablaなどは使われていない。アルバムの名は『カラヴィンカ・迦陵頻伽』(1972-73)。「広瀬量平(1930-)の音楽、その汎アジア的世界」と副題に銘打たれて、インド音楽の精神的取り込みを試みての作品群であるにもかかわらず、それらは使用されていない。すべて西洋楽器での演奏作品だ。その特有のドローンがつくり出す固着した神秘的瞑想的世界を意識的に避けての試みといえよう。
仏教精神を価値意識として中国経由で取り入れた日本文化(からごころ)を源インドののびやかなイメージを媒介しての≪漂うような流れのある浮遊性、おおらかさ、そしてほのかな明るさと色彩感≫(解説・長谷川武久)をもった作品といえよう。インド音楽に具現されている民族精神、その淵源の一つでもある原始仏教的世界をイマジナリーに取り込み「汎アジア的世界」として、西洋楽器を使って展開したものとも言えるだろうか。シビアーな12音列とアジア的民族精神の発露がつくり出す奇妙でシンプルな音の世界。≪漂うような流れ≫をもつ音楽。
≪「インド古典音楽を単なる音楽現象としてとらえることはできない。これは――ヨーロッパ音楽と同じく一つの花であり、この花によって象徴される人間の生存形態があり、それが人類文化の中でまったくのオリジナリティを持ちながらしかも数千年持続している・・・西欧の苛責なき殺戮と収奪の中で、なおかつ破壊されない独自性を豊かに保ち息づいているものとしてインドはある。≫(広瀬量平
こうした眼差しが掘り起こし作り出した「汎アジア的世界」としての、漂うが如き仏教世界の音楽と言えるのだろう。

収録曲のタイトルは以下である。
迦陵頻伽(カラヴィンカkalavinka)
畢鉢羅(ピッパラpippala)
波曇摩(パドゥマpadma)
補陀落(ポータラカpotalaka)
波羅蜜多(パーラミターparamita)
芬陀利華(プンダリーカpundarika)