yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

2008-01-01から1ヶ月間の記事一覧

ピーター・ミヒャエル・ハーメル『NADA』(1977)身を横たえての陶酔没我、瞑想、涅槃へのモドキに恰好な音楽。

Peter Michael Hamel – Nada 以前、≪ピーター・ミヒャエル・ハーメルらのグループ「BETWEEN」による『DHARANA』(1977)。非西欧的旋法によるエキゾチックな瞑想的メロディーの親しみやすいミニマル・ミュージック。≫とタイトルうって投稿した、そのピーター…

西村朗の作品集『光の鳥・西村朗の音楽V』。音響派ナルシスの心地よい増殖的響き。

Akira Nishimura: Fantasia on Song of the Birds 投稿音源のものではありません。 ひとまず、サッカーワールドカップ予選のタイ戦を眼前にしての対ボスニア・ヘルツエゴヴィナ親善試合が岡田ジャパンの完勝であったことを報告しよう。緻密でスピーディーな…

十二音技法で先駆した入野義朗(1921-1980)『弦楽六重奏曲』(1950)。古典的な堅固で自立的造形美はことのほか美しく懐かしい。

諸井三郎(もろい さぶろう、1903 - 1977)を師とする。このことは時代潮流を考えれば、これだけでも、情緒に感性ゆだねる民族派潮流とはちがった、論理世界、絶対音楽での音響構造構築が根幹にあるとイメージされる。まさにその通りだ。≪我が国ではじめて十…

平吉毅州](ひらよし たけくに、1936 - 1998)『交響変奏曲』(1969)の、しなやかな感性その練成、および野田暉行「コラール交響曲」(1968)の魅せる音響造形。

これだけの作品を残しながら、以後さほど耳目あつめることなかったようなのが不思議である。もっとも私の現代音楽の動向などへの目配せの欠如等がそうした事の印象をもたらしているのかもしれないが。その作曲家とは平吉毅州(ひらよし たけくに、1936 - 199…

アルフレート・シュニトケ『シュニトケとの対話』(春秋社・2002)。「あまねく世界に神は存在し あまねく音楽にバッハは存在する」。

だいぶ昔のことだけれど、≪何を始めるにも何をやるにもよくないとされる大殺界≫(WIKIPEDIA)だの天中殺だのと云ったことばが流行ったことがあった。まさにその星の下、巡りあわせにいま私はあるらしい。未だによからぬことがつづいている。今日もトラブルの…

新実徳英『光の園』(1997)余韻に漂うネオロマンティシズム。 遍く降りそそぐ至福の光、浄福のうちに響きは息づき満たされる。

RAI Studio of Musical PhonologyIn 1951, the first electronic music studio was conceived from scratch at the WDR Radio of Cologne (Germany) to enable the composition of electronic music sounds. 私は光というと、光速度。この世の絶対的超限速度…

岸田劉生「壷の上に林檎が載って在る」(1916)。不可思議な驚くべきリアリズム。

「壷の上に林檎が載って在る」(1916) 自分の求めるものは深き神秘だ。其処に表れる無限だ。自分はそれをいまは実在の諸現象の底に見る。道はかくて一口には云えないけれど、写実より入った神秘の道と云われてもいいと思っている。 深く写実を追求すると不…

ドン・チェリー『DON CHERRY』LP2枚組(1971)。遊び興じる風情。愛すべき<地べた>の響きが聴こえるヒューマンジャズ(ミュージック)。

Don Cherry 'Nu' - 1986 愛すべき<地べた>の響きが聴こえる、今では愛おしささえ覚えさすシンプルなジャズ。まさにヒューマンジャズ(ミュージック)といえるのだろうか。テクニックなど私は知らない。しかしこのLP2枚組みの『DON CHERRY』(1971)には<…

アルゼンチンのフォルクローレ歌手、ナチャ・ロルダン『哀しみのワルツ』(1980)情感のこもった魅力ある歌唱。

Nacha Roldán Quiero ser tu sombra Atahualpa Yupanqui :トゥクマンの月 Luna Tucumana-Leonardo Pastore-Interprete ギター演奏、歌もユパンキではありません、映像のみ本人 私が月に歌うのは 月が美しく輝いているからではない。 月は私の人生を共に歩い…

信時 潔:交声曲「海道東征」(1940)、橋本國彦交声曲「皇太子殿下御生誕奉祝歌」(1934)。戦意高揚、軍歌まがい、民族臭芬々の音たちからはもの哀しさがともにやって来る。

信時 潔:海行かば 信時 潔 ふだんから評論家などが推す年代モノの名盤とかにはあまり興味はなく、したがって、ステレオ時代にはいってからのクォリティの高い音盤の方を選択している。無ければしぶしぶといった購入となるけれど。現代音楽やフリージャズを…

松林桂月「春宵花影」。息を呑む朦朧、幽玄なる風韻。

「春宵花影」(1939) 画は、何にも教えはしない、 画から何かを教わる人もない。 画は見る人の前に現存していれば足りるのだ。 美は人を沈黙させます。 どんな芸術も、その創りだした 一種の感動に充ちた沈黙によって生き永らえて来た。 どの様に解釈してみ…

細川俊夫『うつろひ・なぎ 作品集Ⅶ』(1998)。ひたすらな静寂余韻に、緩やかに燃える情念の揺らぎ。激することには何ものも生み出さないとでも言うかのごとく。

Toshio Hosokawa: Landscape II (1992) 「大地」の部屋≪うつろひ・宮脇愛子-a moment of movement≫ 「在る」と「無い」を渡る。〈これ〉、「心」とはそうしたものではないだろうか。路地を影法師がよぎり、薫風が頬をなで、空の高みを鱗雲(うろこぐも)が…

江戸時代の浮世絵師・鈴木春信の画集。婦女子の微笑ましく愛らしい世事の振る舞いに文化背景をみる。

梅の枝折 桃山晴衣/れんぼながし Harue Momoyama / Renbo nagashi 真偽のほどは分からないけれど、日本人が語学下手なのは、構文の違い云々より、必要としないからだ。外国語を習得せずとも、十二分に社会生活を、いやそれのみか高度な知的レベルでの作業で…

セザール・フランク「パニス・アンジェリクスPanis Angelicus」(「天使のパン」)の美しさに聴き惚れる。NHK・FMの音楽番組「ミュージックプラザ」でのうれしい出会い。

Renee Fleming sings "Panis Angelicus" by Cesar Franck 今日もアルバム紹介といかず、YOUTUBE動画貼り付けて終えよう。というのも、朝の自動車出勤途上、30~40分ぐらいだけれどいつも聴いているNHK・FMの音楽番組「ミュージックプラザ」…

バール・フィリップス『 Live At The Gill's Club』(1969)頼りなさ過ぎる。自信がなさ過ぎる。そうしたピアノタッチが気になって仕方のないアルバム。

あまり出来の良くないアルバムを取り上げるのもなんだか気がひけるのだけれど、野暮用が飛び込んできた所為で投稿記事をまとめ上げる時間がなくなってしまい、やむなくこのような次第になった。予定外のアルバム紹介ということです。ベースのバール・フィリ…

橋口五葉の心血注いだ渾身の精緻極まる美人版画に漂う、驚くべきエロティシズム。

今更ながらだけれど、知らないことだらけだ。知っていることなどたかがしれているのは、分かっているつもりなのだけれど。最も、こうだからこそ(齢)ヨワイ幾つになっても感動の出会いが成り立つのかもしれない。と、まあ、自分の無知を慰めておこうと思う…

野田暉行『ヴァイオリン、ホルン、ピアノのための三重奏曲 』(1963)。芸大在学中の作品。なんとなんと!古典的なのにまとまりよく初々しく美しい。

一月は、昨年末休暇から新年休みを加えてのやたら休みの多い月で若いサラリーマン・月給取りならいざしらず、そうでない人間にはまことに困ったものであるが、13日の日曜日の作曲家、西村朗が担当するNHK・FM「現代の音楽」をこの拙ブログを綴りなが…

デレク・ベイリーとアンソニー・ブラクストン『デュオ』LP2枚組み(1974)。体験としての<空・虚・ウツ>へのなだれうつ放心の美。無明の明。

Anthony Braxton + Derek Bailey - The First Set: Area 1 デレク・ベイリー ≪無根拠な、無に充溢する空・虚へとなだれ込むランダムネスの透き通った放心の美。デレク・ベイリー『IMPROVISATION』(CRAMPS/1975)≫とは、いくつかの既投稿記事のうちの一つの…

≪私のは「悲しみ呆け」だと思ふのでございます。≫(中原中也)

悲しんでいる人たちはさいわいである。 彼らは慰められるであろう (マタイによる福音書5・4) 涙をもって種をまくものは、 喜びの声をもって刈り取る。 種を携え、涙を流して、 出て行く者は、 束を携え、喜びの声をあげて 帰ってくるであろう。 (詩篇、第…

ジョゼッピ・ローガン『MORE GIUSEPPI LOGAN』(1965)。「ジャズの10月革命」の象徴的ドキュメント。革新の意気、そのスピリット溢れる歴史的名盤。

Giuseppi Logan - Wretched Saturday (1965) ミルフォード・グレイブス ≪1960年代、オーネット・コールマンやジョン・コルトレーンによって提唱された“フリー・ジャズ”。1964年、当時はまだ批判的な意見も多かったフリー・ジャズへの理解を深めようと、ブロ…

新実徳英『作品集』。繊細にしてドラマティック。土俗的、神秘的、宇宙的、スケールの大きさを深い余韻とともに聴く。

さてつい先日ブログ投稿の好アルバム「風神・雷神」(2004)の感動を与えてくれた作曲家新実徳英(にいみ とくひで、1947 - )の私にとっての2枚目のCDの鑑賞。『新実徳英・作品集』。今回も昨年末《カメラータ・コンテンポラリー・アーカイヴズ》より廉…

フィリップ・グラス『交響曲第2番』(1994)と『交響曲第3番』(1995)。まるで儀式のように反復繰り返し、たゆたいのうちにメロディを紡ぎだしてゆく。到来するものへの崇敬と祈り、そのもたらす美。

philip glass violin concerto 1st mov ≪もう一つ、アート全般、そして自然へのアプローチの基本的観念としてあるのが、反復と周期性の問題だ。何かがあるとすると、そのものの順序は反復されなければならない――そのものだけでは有限だからだ。反復するには…

デレク・ベイリー『ソロ・SOLO』(incus2/1971)。≪あらゆる様式と美と解放が聴こえてくる≫ためには音速ではなく光速に擬せられもしよう≪「速く考えられること」≫の前人未到の敢然が必要だった。

derek bailey playing the guitar 1983 「俺が夕焼けだった頃、妹は小焼けだった。オヤジが胸焼けで、お袋が霜焼けだった…わかるかな? わかんねぇだろ~な~」とは、今はどうだか知らないけれどアフロヘアーであごひげたくわえた漫談家の松鶴家千とせ(しょ…

西村 朗 『作品集』。響きの追求、その造形、ソノリティへの並々ならぬ関心。響き、音に酔う、自己陶酔、その激しさ。

Akira Nishimura (西村 朗), Threnody (1998) for cello solo 悲歌(独奏チェロのための) 投稿音源のものではありません。 西村 朗(にしむら あきら、1953 - )。先ず第一印象。響きの追求、その造形、ソノリティへの並々ならぬ関心。響き、音に酔う、自己陶…

松下眞一『星たちの息ぶき』(1977)。冷たく透き通り、煌き、鋼のように美しい音たち。絶対零度に身を横たえ消えなんと空しう思慕する音たち。

「無我なるもの、それはわたしのものではない。わたしのそれではない。わたしの我ではない。」 阿含経典(あごんきょう) タイトルが『星たちの息ぶき』だから,という訳でもないだろうけれど、ふと絶対温度という言葉がイメージされた。宇宙の温度がほぼ絶…

新実徳英『風神・雷神』(2004)。己を空なしう天籟、地籟を聴く。その余韻の独特はすばらしく深い。繊細にしてドラマティック。仏性一陣の風吹き抜け、その霊性的風韻のすばらしさに感じ入る。

「旋律の復権」「旋律という視座から新たな地平を拓こうとする試みである。」(新実徳英) 過激、アヴァンギャルドを好む若かりし頃であれば、たぶん舌打ちのひとつも出たところだろう。しかし、こうした旋律回帰を謳う潮流も有能にかかれば斯く耳そばだてさ…

ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ『スターバト・マーテル(悲しみの聖母)』。べつにクリスチャンでも、有神論者でも何でもないのだけれど・・・響くは崇高な聖性。

Pergolesi - Stabat Mater (1/12) - 1. Stabat Mater dolorosa - Emma Kirkby - James Bowman べつに私はクリスチャンでも、有神論者でも何でもないのだけれど、音楽ブログを綴るくらいだから抽象的な神(聖)的世界には魅かれるところがあるようだ。<存在…

セシル・テイラー『Silent Tongues』(1974)。たぶんこの時期、45才円熟のピアノソロベストパフォーマンスと思われる。

Cecil Taylor - Concert Munich 1984 (2 of 5) Cecil Taylor とFriedrich Gulda まだ多くのアルバムがブログ未登場のセシル・テイラー Cecil Percival Taylor (1929 in New York City)のアルバムの中でもこれはベストパフォーマンスのうちに入るのではないだ…

アルフレット・シュニトケ『KREMER plays SCHNITTKE』(1986)。感性の迸りと彫琢、圧倒的なオーケストレーション、そのボリュームとテンションの持続力。その支える精神を前にたじろぐ。

Kremer plays Schnittke - Concerto Grosso No. 1 あまねく世界に神は存在し あまねく音楽にバッハは存在する 人が曲を書くとき、人は世界を作り出しているのである・・・ 表現に値しない音楽の素材など一つもない・・・ 生そのもの、我々を取り囲むすべての…

吉松 隆『作品集』。くすぐる壷を心得た作曲家の心地よいメロディアスな音楽世界。

Gerard Cousins performs 'Canticle' by Takashi Yoshimatsu 残念ながら、80年以降にブレークして現代音楽シーンに登場してきた作曲家に関しては、はなはだ知識が不足している。85年以降レコード蒐集の断念および興味をというか情熱を失ってしまったせい…