yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

野田暉行『ヴァイオリン、ホルン、ピアノのための三重奏曲 』(1963)。芸大在学中の作品。なんとなんと!古典的なのにまとまりよく初々しく美しい。

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イメージ 2一月は、昨年末休暇から新年休みを加えてのやたら休みの多い月で若いサラリーマン・月給取りならいざしらず、そうでない人間にはまことに困ったものであるが、13日の日曜日の作曲家、西村朗が担当するNHK・FM「現代の音楽」をこの拙ブログを綴りながらナガラで聴いていた。タイトルは ≪-21世紀音楽の会演奏会-(2)≫で、なんでも<21世紀音楽の会>なる作曲家集団が主催するコンサートのよし。放送では3作品が放送された。なぜ西村朗がこの演奏会を取り上げたのかどうかの穿った詮索はしないでおくけれど、主宰者?リーダー的存在の作曲家野田暉行(のだ てるゆき、1940 - )が師の一人であることがその因であることは詮索が過ぎるだろうか。それはともかく作曲界での位置を示すものではあるのだろう。ネットを覗いてみると≪21世紀音楽の会は、「心に残る、心に届く音楽」をめざして精力的に活動する作曲家集団です≫とあった。ヒネクレものの私なんぞからすれば、いささか気恥ずかしい、ストレートでしかし真っ当な言葉なのだけれど、それが会の趣旨とのこと。ところで、ナガラという不真面目な聴き方で言申すのも気がひけるというより、申し訳ないことなのだけれど(ということで以下話半分におさめていただきたい)、2曲目の高畠亜生という作曲家のおよそ24分にわたる作品「弦楽四重奏曲第一番」を聴いて、おお!なんとなんと斯くのごとき正統的四重奏作品を、この時代に書くか、といった言葉が口をついて出てきたのだった。いい作品だからのこうした印象だったのだけれど。古典的な弦楽四重奏作品をあえて斯く厳密に彫琢を尽くして書くか、書けるのか、書かなくてはならないのかといった言葉が経巡ったのだった。なるほど「心に残る、心に届く音楽」。そうなのだ、この音楽を聴いて、まえまえから、いつ投稿しようかとあぐねていた野田暉行の22歳のときの作品、その驚くほどの練達した秀作品の『ヴァイオリン、ホルン、ピアノのための三重奏曲 』(1963)を取り上げる機縁が出来た。古典的なのに(のゆえ?)まとまりよく初々しく美しいのだった。芸術家に年など関係ないのかもしれないけれど、これが22歳在学中の作品とは!と印象したものだった。前後は分からないけれどこの年、「一楽章の交響曲」で日本音楽コンクールの第1位を獲得している。それほどの才だったということなのだろう。ところがだ、≪野田暉行1940年・・・三重県津市の生まれ。三人兄弟の長男だが、中学時代放送部でSPレコードをかたっぱしから聴くうちに、自分でも作曲したくなったのだという。そして早速、シンフォニーを書きかけたが、第二主題の展開にいくところで中絶。高校卒業までピアノも習ったことはなかったが、チェルニーの三十番まで一ヶ月で自習。東京に出て池内友次郎氏のところへ強引に押しかけ、作曲の個人レッスンを受けることになり、翌1960年3月には芸大作曲科に入学。・・・・≫(秋山邦晴日本の作曲家たち」音楽の友社より)その三年後に日本音楽コンクールの第1位受賞であり、今日の『ヴァイオリン、ホルン、ピアノのための三重奏曲 』の上梓?ということである。その天性がものした作品である。