yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

現代音楽<日>

伊福部昭『管弦楽選集』。誇るにたる民族派の<信>響く。

伊福部昭 ヴァイオリン協奏曲 第2番 (1978) 「自己に忠実であれば、必然的に作曲家は民族的であること以外に、ありようはない」(伊福部 昭) わが邦を代表する音楽家諸氏!。ここにわが優れた作曲家の在ることに誇りをもって、世界にアピールしてほしいもの…

加古隆『映像音楽作品集』『アニヴァーサリー』。この泣かせる抒情、ロマンティシズム。

パリは燃えているか 兵士たちの戦い 名場面で綴る 加古隆high quality この泣かせる抒情、ロマンティシズム。魅力ですね。加古隆(かこ たかし、1947 - )。 【1969年 - 東京藝術大学音楽学部作曲科卒業。 1970年 - NHK毎日音楽コンクール(現「日本音楽コン…

『日本映画〈黄金時代〉~名作サントラ音楽集~』。はや?半世紀前の日本映画の熱気。

からみ合い(1962)(小林正樹監督/音楽:武満徹) 60年代の【日本映画〈黄金時代〉】。たしかにそうでした。テレビ時代の来る前の娯楽のない時代といやあそうだったですが。出入り口は通勤の満員電車並みの混雑。立ち見どころか通路に座ってまでも観てまし…

吉松隆『《鳥の響展》ライブ』。時代の流れ、雰囲気を敏感に嗅ぎ取る才。

Takashi Yoshimatsu "And Birds are still..." 「機を見るに敏」ということばが、この作曲家の作品を聴いていると口をついて出てくる。いい意味でか、よからぬ意味でか・・・。 時代の流れ、雰囲気を敏感に嗅ぎ取る才は認められていいのでしょう。だからと言…

『シャコンヌ ~佐村河内守 弦楽作品集』。そのキャッチャーな曲作りは、この人の引き出しの多さを証示するものなのだろう。

シャコンヌ 過日、 http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/64009608.html 佐村河内守『交響曲第1番 HIROSHIMA』。SAMURAGOUCHI・・・?。演奏時間82分という渾身の大作だ。 を、投稿したのだった。 ところで、ネット図書館所蔵アルバム…

佐村河内守『交響曲第1番 HIROSHIMA』。SAMURAGOUCHI・・・?。演奏時間82分という渾身の大作だ。

Symphony No.1 "HIROSHIMA" (3) 聾者であり、広島被爆者の系にある作曲家ということもあって、メディアを通じて、その名と作品『交響曲第1番《HIROSHIMA》』の在るを認知してはいたが、なにせ、その注目度は半端じゃなく、ネット図書館で検索した…

松平頼暁『室内オーケストラのための「コンフィギュレーション」(1961-63) 他』。「いちばん情念の活躍される場だと思われる芸術の分野で、どのくらい情念に拠らないでものがつくれるか」。

コンフィギュレーション1(1961-63) 「民衆の圧倒的多数は、冷静な熟慮よりもむしろ感情的な感じで考え方や行動を決める」 この言葉は、かのアドルフ・ヒトラーのことばだそうです。何やら現在のわが日本の世情を言い当てているように思えるのだが・・・。極…

唯是震一『協奏曲を弾く』。ポップな表層日本を奏でる西洋音楽と邦楽器の出会い。

箏とオーケストラのための協奏曲第14番-Ⅲ ビートルズを三味線で聴くほどの違和感はないものの。これらを日本的情緒、情趣と感受するセンスをどう了解すればいいのだろう。唯是震一(ゆいぜ-しんいち、1923 - )の『協奏曲を弾く』。 ポップな表層日本を奏…

『もう直き春になるだらう―山田一雄 交響作品集―』。総白髪の指揮者で記憶に残っている山田一雄。生誕100年とか。

「おほむたから」(1944)(一部) 過日、総白髪の指揮者で記憶に残っている山田一雄(やまだ かずお、1912 - 1991)の戦前戦時に作曲された作品が、仕事帰りで帰宅途上の車中のラジオから流れていた。一部しか聴けなかったが。 以下の放送内容だった。 【 - …

『伊福部 昭 全歌曲/藍川由美』。伊福部昭の歌曲。オスティナートで民俗の昂揚ほとばしる交響楽とはちがって、ゆったりとして、リリシズムとロマンティシズムにウルッとさせる優しく魅力的な旋律に満ちた歌曲。

因幡万葉の歌五首 因幡万葉の歌五首(1994) 新(あらた)しき 年の始の初春の 今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと) 春の野に 霞みたなびきうら悲し この夕かげに 鶯鳴くも 春の苑 紅にほふ桃の花 下照る道に 出で立つ娘子(おとめ) さ夜ふけて 暁月…

『舞 ― 伊福部昭の芸術3 舞踊音楽の世界』.。どこの「サロメ」?北海道か?と言いたくなる。やはりニッポンです、これは。

Akira Ifukube: Salome(1948/1987)伊福部昭 舞踊曲「サロメ」 投稿音源のものではなく演奏会用作品『舞踊曲「サロメ」』(1987) 夏のお休みは昨日で終わったのだけれど、音楽は相変わらず土俗・民俗派の頑固一徹伊福部ブシがつづく。ネット図書館で借り受…

『響-伊福部昭 交響楽の世界』。土俗派の真骨頂、頑固一徹伊福部ブシで盆休みの締めくくり。

日本組曲(1934/91)・盆踊 「メフィストと作曲家」 ――三浦淳史 札幌の北三条通りに「ネヴオ」という喫茶店があって、ぼくたち学生は、そこのクラシック・レコードのコレクションと毎月の新譜紹介をあてこんで、1杯のコーヒーで、時計の針が午前の方角を示し…

『譚 ― 伊福部昭の芸術1 初期管弦楽』。「自己に忠実であれば、必然的に作曲家は民族的であること以外に、ありようはない」・・・この信念、この一徹。

日本狂詩曲 (1935) 第2楽章「祭」 「伊福部くん、どう、今度、早坂って男と会ってみない?」 「どんな人ですか?」 「君と同じ年齢で、北中の出身だよ。今は日の丸舞踊団でピアノを弾いてるそうだ。早坂くんは作曲もやっててね。金魚を見ても楽想が湧いてく…

『赤とんぼ~山田耕筰 作品集』(CD2枚組み)。「GONSHAN、GONSHAN、・・」耳にこびりつきますね・・・。

曼珠沙華 GONSHAN、GONSHAN、何處へゆく、 赤い、御墓の曼珠沙華(ひがんばな)、 曼珠沙華、 けふも手折りに來たわいな。 GONSHAN、GONSHAN、何本か、 地には七本、血のやうに、 血のやうに、 ちやうど、あの兒の年の数。 GONSHAN、GONSHAN、氣をつけな、 …

『転生 貴志康一作品集』。ドイツ人ソプラノ歌手が歌う日本人が作曲した日本(語)歌曲。歌詞の明瞭さにはもちろん無理があるとはいえ、音楽性において、ウタゴコロにおいて魅了された。

赤いかんざし 赤いかんざし 赤いかんざし何故もの言わぬ。あたいがこんなに想てる事を、せめてお前が言わしゃんせ。赤いかんざし涙に濡れて。何でそんなに悲しそう。天神祭りの篝火をお前はちゃんと忘れたか。初めて逢うたあの人に、優しい声を掛けられて、…

間宮芳生『日本民謡集』。近代との対峙。その意気や了。けれど、歌い継ぐ伝承を支える、歌う歓び、快感、エロスのありやなしや。

こきりこ すでにして愉しまれ歌い継がれている演歌、歌謡曲があり、民謡があり、俗謡がある。そのそれぞれは大衆に愛され磨きに磨かれた洗練、歴史に生きた感性をもっている。 そうしたことを思うとき、そのネライ、意図を了としつつも、何をいまさらという…

『七人の侍~早坂文雄の芸術』 。この民族楽派・早坂文雄には、媚がない。大衆への平俗なおもねり、へつらいがない。ひたすらな矜持があるのみ。民族の心意気。漲る音楽精神の充溢。

古代の舞曲(1937) 原太郎 僕の印象では、彼は或るつくりあげられた境地にはまりこんでゐて、本質的には何の新たな苦心もせず、切磋琢磨もなく、至極イーヂーに呑気にやってゐるのではあるまいかといふ気がする。 山根銀二 僕は発明のない人だと思ふ。世評と…

小倉朗『交響曲ト調』(1968年)。奇妙な印象のメインモチーフが、強迫観念めいて響いてくる交響曲。民族派めいていて、そうでもなく・・・。どうなのよ~。

ト調 失礼なことながら、いままでの投稿記事≪『現代日本の音楽―京都をとイメージした作品集』(2枚組・1978)。三善晃「オーケストラのためのレオス(Rehos)」(1976)を聴く。この頃の三善晃の音塊のもつエネルギーは、吹き上がる激情のよう。≫で…

尾高 惇忠 『オーケストラのための「イマージュ」』。そつなく練成された手堅い作風。かといって古臭いといったイメージでもない。

オーケストラのための「イマージュ」 ひきつづき、きょうもエアーチェック音源から。もうネタが尽きかけています。まだいろいろ録られているんだけれど、エエカゲンな録り方しているものだからタイトルが分からないものや、アタマ飛びや、尻切れなどなど・・…

一柳慧『えんげん<箏とオーケストラのための>』(1982・86)。重層的な時空の拡がり・・・。

えんげん<箏とオーケストラのための> 先日来より投稿音源として利用している、30年ほど前のカセットテープに録られていたもののなかに、一柳慧(いちやなぎとし)の『えんげん<箏とオーケストラのための>』(1982・86)があったので、きょうはそれを投…

石井眞木、藤田正典『ベルリン公演ライヴ』(1993)。相変わらず、エネルギッシュな音のマッスで攻めまくる石井眞木。

雅霊<The Spiritual Power of Gagaku> ネット図書館で借り受けたのだけれど、今ままで作曲者・石井眞木のキーワードで検索していてまったく気づかなかった。どういうことなのだろう。アルバムは『ベルリン公演ライヴ』(1993)。 相変わらず、エネルギッシュ…

アモルファスな勁い精神の響く現代雅楽 黛敏郎『昭和天平楽』(1970)。この楽の音の息吹に日本がすさぶか。

雅楽・昭和天平楽 一昨日≪松岡正剛『フラジャイルな闘い 日本の行方 (連塾・方法日本・Ⅲ)』。そもそも原理原則、コアな理念、中心がない。デュアル・スタンダード。≪中空・均衡構造≫を深層の方法とし実践するわが日本。≫と投稿したこともあり、それを思い起こ…

近藤譲『左岸』。多言を要さず、簡潔、シンプルな叙情。線の叙情。佇む叙情。それでいいではないか?そう言いたくなる。

左岸 「音楽は抽象的な音の構成であって、何も意味しない――すなわち、それ自体以外の何者も表現しない」という、絶対音楽を信奉唱える「形式主義者は、音楽は抽象的な音構成体自体以外の何ものでもなく、それ以上解釈の余地などない、と主張するかもしれない…

石井 眞木『打楽器とオーケストラのための協奏曲ブラックインテンション5』。

ブラックインテンション5 ≪石井 眞木『螺旋Ⅱ番<チェロ独奏のための>』(1970)。不確定要素を繰り込んでのパフォーマンスなのに、その風貌のような音楽となる。 ≫を半月ほど前に投稿しているのだけれど、きょうは埃をかぶって放置されていたカセット…

鈴木匡(ただし)『弦楽四重奏曲 第2番』(1962)。ロマンの香りのする美しい弦楽四重奏曲。

弦楽四重奏曲第2番 WIKIを覗いても、その他のネット検索をこころみても、全くといっていいほど基本的情報すら得られない。けれど、収録の曲は気に入っている。よく出来ている。 <現代日本の音楽名盤1300シリーズ>のうちの一枚に収録されているの…

芥川也寸志『交響曲第1番』。冒頭第1楽章を耳にしたとき、エッ、これが日本人のオーケストレーションになるものなのかと、感嘆驚かされたのだった。名作!座布団1枚。

交響曲第1番 【 芥川が戸山学校軍楽隊に生徒として入隊したのには、次のようなエピソードがある。大戦末期、東京音楽学校関係者が山口の元を訪れ、「学徒動員で狩り出されるなら、むしろ音楽技術を以って戦争協力させたい」と申し入れ、山口が承諾して戸山…

石井 眞木『螺旋Ⅱ番<チェロ独奏のための>』(1970)。不確定要素を繰り込んでのパフォーマンスなのに、その風貌のような音楽となる。

螺旋Ⅱ番 顔貌で音楽を判断、いや予断するのは馬鹿げたこととおもいつつ、しかし、この作曲家・石井 眞木(いしい まき、1936 - 2003)の曲趣をついつい、そうしたことに引きずられてヴァイタル、エネルギッシュ、剛毅などとの臆断思い込みにいたる。当たらず…

我が音楽界にケージショックをもたらした作曲家、一柳 慧の最初期の尾高賞受賞曲『空間の記憶』(1981)。

空間の記憶 留学先の米国より一時帰国のおり、わが国にケージ・ショックをもたらしたのが、きょう投稿する一柳 慧(いちやなぎ とし、1933 - )。 ミーハー的なことではありますがオノ・ヨーコ(Yoko Ono、本名:ヨーコ・オノ・レノン Yoko Ono Lennon、日本…

近藤 譲 『時の形』(1981)。この叙情・・・。

時の形 「・・・先ず「音楽」というものを単なる「音」から区別し、その「音」と「音楽」との存在論的な差異を観察することによって、「音」からの「音楽」の成立を考える。つまり、、音は音楽の前提だが、音そのものは音でしかない――すなわち、音楽ではない…

芥川也寸志『チェロとオーケストラの為のコンチェルト・オスティナート』(1969)。

芥川也寸志『チェロとオーケストラの為のコンチェルト・オスティナート』 F・メンデルスゾーンは、手紙のなかでこう書いている。<……きっとあなたは私のことを、いつも不平をブツブツつぷやき続けている、バッソ・オスティナートのようだと思いはじめるに違…