『シャコンヌ ~佐村河内守 弦楽作品集』。そのキャッチャーな曲作りは、この人の引き出しの多さを証示するものなのだろう。
過日、
http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/64009608.html 佐村河内守『交響曲第1番 HIROSHIMA』。SAMURAGOUCHI・・・?。演奏時間82分という渾身の大作だ。
を、投稿したのだった。
ところで、ネット図書館所蔵アルバムを検索していて、『シャコンヌ ~佐村河内守 弦楽作品集』なるアルバム在るを知った。たぶん、つい最近所蔵されたのだろう。で、さっそく予約。運よくさほど予約待ちすることなく借りることができた。
ひとことよくできている。そのキャッチャーな曲作りは、この人の引き出しの多さを証示するものなのだろう。
さきの『交響曲第1番 HIROSHIMA』を投稿したさい以下綴ったのだった。
絵画で模写することが大きな制作行為のひとつであるように、音楽にだって、それに近いものがあってもいいではないかと・・・。
まえにも言ったことがあるけれど、後期ロマン派の極点リヒャルト・シュトラウスの豊麗な音などを聴いていると、斯くなる西洋管弦楽の世界に近づくことのはるけし隔絶(天才のワザとはいえ、もう、カナワンナーと言った嘆息)を思い知らされ、せめて模写することの修練をと思うのだった。
たぶん、エスタブリッシュメントでは書きえない作品。しかし、それでいいではないか。】
斯くなると同様の印象は変わらないけれど・・・。