yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

2006-07-01から1ヶ月間の記事一覧

『TOKKアンサンブル・東京』(1975)で一柳慧、入野義朗、石井真木、武満徹の作品を聴く。

Maki Ishii - Hamon-Ripples [for chamber ensemble, violin, and taped music] 今回のアルバムは『TOKKアンサンブル・東京』(1975)である。この<TOKK>とは、東京音楽企画研究所の略称ということで、<音楽のこれからの方向を世界的な視野にたって探求し…

1400年の歴史の積層がヘテロホニックに起ちのぼる音の宇宙へと誘う東儀秀樹の『雅楽(天・地・空~千年の悠雅)』(2000)

Gagaku Etenraku ≪残念ながら影響の元であった原産国ではすでに絶滅してしまい、雅楽はわが国だけに残っているといっても過言ではありません。≫こうしたことの意味することは多分、劇的な歴史変動にさらされなかったことを示すひとつなのかもしれない。よく…

演奏者との幸せな音の始原への旅。『ミニアチュール第二集・武満徹の芸術』(1973)

スタンザII:『スタンザⅡ』(1971)ハープ奏者ウルスラ・ホリガーのために作曲された。アンサンブル曲であるが共演者は別のハープ演奏を電子的に加工したテープ。テ ープには人声や水笛のような音も入っている。生ハープとミュジッ ク・コンクレートのコラボ。…

よわい九十になんなんとする神長瞭月(1888~1976)のヴァイオリン演歌『元祖・神長瞭月』(1976)

神長瞭月 ナイルの岸 "Shore of the Nile" - Ryogetsu Kaminaga 【スカラーソング(何だ神田の神田橋…)/金色夜叉(熱海の海岸散歩する…)/オッペケペー(カエルの目玉にキュウすえて…)/籠の鳥(逢いたさ見たさに恐さを忘れ…)/コロッケの歌(ワイフも…

呪術的民俗世界で、独創の漢字・文字学を確立、文化勲章した<狂>のひと白川静の『常用字解』

<*>(さい) これほどにイメージを膨らませ漢字に遊ばせてくれる漢字、文字学者はまずいないだろう。 その古代の呪術的民俗世界からする解読展開がメチャ凄くて面白いのだけれど、それを忌み嫌う人も少なからずいることは否定しはしない。しかし古代観念…

天台寺門宗・滋野敬晃師による朗々たる修験道系声明と山本邦山の尺八によるコラボアルバム『山本邦山、声明に挑む』(1978)

今日は修験道系の声明と普化尺八のコラボレーションという趣向のアルバムである。声明とは、お経に節をつけて歌うものであり、それはまた日本の声楽・音楽芸能の源流ともいわれている。≪声明は日本の歌曲の原点として、今様、平家琵琶、謡曲、浄瑠璃、小唄、…

富樫雅彦と政治ロマンに酔い、ゆれる高橋悠治の『TWILIGHT』(1976)

高橋悠治はつねに疑問符のつく存在であった。作風、コンセプトが変わっていくこと自体別に珍しいことでもないのだろうが、それにしてもというところである。80年後半以来音盤から遠ざかっているので確かなことはいえないにしろ、クセナキスとともに師弟関…

高橋悠治のピアノによる『ザ・シーズンズ』(1947)『チープ・イミテーション』(1969)『メタモルフォーシス』(1938)ほか

さて今日は、高橋悠治のピアノによるジョン・ケージとJ・S・バッハの作品演奏が収められたアルバム。先日初めてタワーレコードをのぞいて、高橋悠治のコーナーがあり、しかも数多くのCDが特設の専用棚に並べられているのを見て驚いた。最も作曲家という…

音のゆくすえ、音を出したあまりの部分に濃密な余韻を響かす武満徹の『四季・シーズンズ』(1970)と『ムナーリ・バイ・ムナーリ』(1967)

Tōru Takemitsu ~ Munari by Munari ≪結局は僕にとってかかれた音譜自体はそんなに意味がないということにつながるんです。つまり、音を出したあまりの部分――それは聴こえないわけだけれど――がやっぱり大事だということですね。そこには、どうしても音は帰っ…

人間ワザでは到底演奏不可能な、微分への意志コンロン・ナンカロウの自動ピアノ演奏作品集『Complete Studies for Player Piano』(1977)

Conlon Nancarrow, study no.12 ≪僕はいつも「ピアノの鍵盤の並び方というのはいやだ、荒っぽい」とおもうわけだけれども、それではもっと緻密に鍵盤が並んでいればよいかというとそうでもなくて、そういう荒っぽさ反抗するかたちをとりながら音の微細な構造…

ピエール・シェフェールとピエール・アンリの若きテクノ感性が切り開いた記念碑的ミュジーク・コンクレート音源

Symphonie pour un Homme Seul ≪ミュジーク・コンクレートの創始者は、フランスの電気技師ピエール・シェフェール(Pierre Schaeffer)である。彼は1948年頃からミュジーク・コンクレートの実験を始め、1949年頃からは作曲家ピエール・アンリ (Pierre Henri)…

息づく音色、遅延重層するポリフォニックな響きも心地よい松永通温(1927)『葦と枝と風と……』(1970)ほか

静寂の中での雨だれのようにマリンバの同一音型の反復からはじまる『葦と枝と風と……』(1970)リコーダーの持続する長音に吹き抜ける自然と通底した風としての呼吸、奏者の<気>の吹きかけとも同定される掛け声、意味不明な呪文のごとき鋭く切り込む声など…

トリッキーでアグレッシヴ、はつらつ清新の革新者セシルテーラーの『Cecil Taylor Buell Neidlinger Newyork City R&B』(1961)

前回採り上げたBARNABY盤はサックスのアーチー・シェップをフューチャーしたクァルテットでの1960年セッションの記録『AIR』であった。ところで今回のものは、そのおおよそ3ヶ月あとの1961年1月にレコーディングされたものである。 この『Cecil Taylor Buell…

複雑系が提示した、ゆらぎ、ズレ、相似、フラクタルなどの概念が作品に先取りゆらいでいるルチアーノ・ベリオ自作自演盤『シュマンⅣベリオ作品集』(1980)

このアルバムの『ポインツ・オン・ザ・カーヴ・トゥ・ファインドPoints on The Curve to Find』(1973-74)を聴くと、ルチアーノ・ベリオLuciano Berio(1925-2003)が電子音楽で開発しただろう新しい音響が伝統的なオーケストラ、あるいは楽器をもって実践…

境界、薄明へと古代論する思想の原基。吉本隆明と松岡正剛の出会い、オブジェマガジン『遊』9月特大号・1982

吉本隆明――日本では多種多様な種族が、それぞれ小地域で独自の習慣、風俗、言語を持ち続けていた時期がそうとう長かったのではないでしょうか。そう考えると、共同体形成のときにはじき出された連中というのは、種族としてまったく別だったのか、宗教的タブ…

享年47才早逝の俊才、矢代 秋雄(1929-1976)「弦楽四重奏曲」(1955)、「ピアノソナタ」(1961)、「2本のフルートとピアノのためのソナタ」(1958)

矢代秋雄 / Yashiro Akio 《1 from SONATA pour Piano》 ≪池内先生はおっしゃっておりました。「三善は天才です。矢代は俊才です。」と。≫(ネット記事より) ≪矢代秋雄がこの3つの作品で実現しているのは、西洋音楽の形式と論理の拡大との総決算である。非…

死の理不尽に拮抗し、存在が哭く<断念>と<拒絶>の詩人石原吉郎(1915-1977)

香月泰男『涅槃』 ―――すなわちもっともよき人びとは帰っては来なかった(フランクル『夜と霧』) ≪死は、人間にとって最後まで不自然なものだ・・・・≫(石原吉郎『望郷と海』) <花であること> 花であることでしか 拮抗できない外部というものが なければ…

オリヴィエ・メシアンとイヴォンヌ・ロリオのピアノデュオによるコラボレーションの巧緻『アーメンの幻影』(1971)

Olivier Messiaen - Visions de l'Amen I 投稿音源のものではありません。 普段演奏家にこだわるほうではない。これは常々ブログでも言っていることである。だがこのオリヴィエ・メシアンとイヴォンヌ・ロリオのピアノデュオを聴くに及んで、そうはいってお…

赤貧洗うが如しのこのポートレートはいったい誰?

このまさに赤貧洗うが如しのポートレートはいったい誰?背景にある、障子紙の代わりに新聞紙を使ってあるこの破れ障子。しかもご当人のメガネの左側のレンズ枠は破損でもしたのかすでになく、たぶん和紙をニカワか何かで固めて代用しているのか、左右ちぐは…

「散歩ですか?」・・・・「よしゃいいんだろう」と答えていた稲垣足穂(1900-1977)。

「散歩ですか?」・・・・ 「よしゃいいんだろう」・・・・・と答えていた稲垣足穂(1900-1977)。 「ある晩 唄をうたいながら歩いていると 井戸へ落ちた Help! Help! と叫ぶと たれかが綱を下ろしてくれた 自分は片手にぶら下げていた飲みさしのブランディ…

無常と寂寥の良寛を読む

今日は文章まとまらず、さりとて読後感想ともいけず、さてどうしたものかと思案しばし。 無常感と寂寥の心に、なぜか日本人にとっては心魅かれる良寛の歌を引用、鑑賞することとしよう。人里はなれ、森閑とした庵にて耳澄まし全身音ともなり音の中へと入って…

<和>を奏でるデュオパフォーマンス。富樫雅彦『Song for Myself』(1974)

最初の一撃で決まりというところか。別にリズム刻むわけでもなく、ゴングの響きが、鉦の響きがはや日本である。この富樫雅彦(1940)のデュオ・パフォーマンスをメインとするアルバム『Song for Myself』(1974)の主調音は<日本>である。本人自らもそうした…

アロイス・アルフォンス・コンタルスキー兄弟(1931,32-)によるクロード・ドビュッシーの『4手のためのピアノ曲集』

Claude Debussy - En Bateau 今、小中学校に音楽室なるものがあるのかどうかはしらないが、音楽史を飾る大作曲家の肖像画が掛けられていたのを思い出す。バッハ、ハイドン、モーツアルト、ベートーベン、シューベルトといったところだろうか。なかでもいちば…

松岡正剛、津島秀彦共著『二十一世紀精神』(工作舎・1975)

宇宙の心 それ が マンダラだ 自然の心 それ も マンダラだ 人間の心 それ で マンダラだ 津島秀彦(松岡正剛共著『二十一世紀精神』工作舎・1975) ★――松岡正剛 ▲――津島秀彦 ★―例えば、暑いとき、「暑いな」と思う。風が吹いたりしている時、言葉にしな…

松下真一(1922-1990)の『シンフォニアサンガ・Sinfonia Samgha』(1974)

こんにちでは、忘れられた作曲家なのであろうか。もっとも在世の時にあっても国内よりは国外での演奏機会が日本人作曲家のなかでは群を抜いて多く、名声評価が高かったそうである。死後の経年もあってかNETを覗いてもさほどの情報がえられると言うことも…

『神ちゃま』!に流した涙。ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』第五編より

(上)香月泰男『青の太陽』 (下)香月泰男『告別』 頭から熱湯、二歳児死なす ≪調べに「言うことを聞かなかった。約一ヶ月前からほぼ毎日、棒で殴ったり、けったりした」≫ ――2006-7-6 日本経済新聞―― Arvo Pärt Berlin Mass: Sanctus.m4v ≪子供のことなら…

近藤等則、ヘンリー・カイザー、アンドレア・センタッツオのフリーインプロヴィゼーション・デュオアルバム。『プロトコル・Protocol』(1978)

なにを思ってこのアルバムを購入したかまったく記憶がない。たぶん近藤等則の名前が見えたからだろうか。いやそれとも、ギタリストのヘンリー・カイザーHenry Kaiser、パーカッションのアンドレア・センタッツオAndrea Centazzoの組み合わせゆえだったかもし…

生成のゆらぎと清冽な精神の緊張、メロディアスなまでに美しい音のうねりジェルジ・リゲティ『Chamber Concerto for 13instrumentalists』(1969-70)ほか

György Ligeti: Chamber Concerto (1/3) ≪言葉は聖なる沈黙にもとづく≫ ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ・Johann Wolfgang von Goethe(1749-1832) 1927年、超ミクロの世界の原理をうちたてたハイゼンベルグの「不確定性原理」。その中心概念と…

トランペッター沖至トリオの『殺人教室』(1970)

トランペッター沖 至(おき いたる) 1941年 兵庫県生れ。≪1965年関西から東京へ活動の拠点を移し、 1969年には富樫雅彦、佐藤允彦らの実験的グループ「ESSG」参加し、ヨーロッパ演奏ツア一に同行、帰国後に自己のグループを率いて活動する。1974年にはパリに移り…

論理が招きよせた不思議神秘の土俗が際立ち響くヤニス・クセナキス『Polla Ta Dhina for Childen’s Chorus and Orchestra』(1962)ほか

Iannis Xenakis- ST/10 (1/2) ≪あり得ぬことをあり得ぬと解っていれば 語れぬものを語ろうとはしない 語れぬものを語れぬと解っていれば 知るべきことを知ったのである≫(津島秀彦) (松岡正剛+津島秀彦『二十一世紀精神』・工作舎より) 知ることができな…