yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

「散歩ですか?」・・・・「よしゃいいんだろう」と答えていた稲垣足穂(1900-1977)。

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「散歩ですか?」・・・・
「よしゃいいんだろう」・・・・・と答えていた稲垣足穂(1900-1977)。


「ある晩 唄をうたいながら歩いていると 井戸へ落ちた Help! Help! と叫ぶと たれかが綱を下ろしてくれた 自分は片手にぶら下げていた飲みさしのブランディびんの口から匍い出してきた」(どうして酔いよりさめたか?・「一千一秒物語」)

なにやらシュールである。エッシャーメビウスの環、反転だましえのようなイメージでもある。


「昨夜 メトロポリタンの前で電車から飛び下りたはずみに 自分を落してしまった ムーヴィのまえでタバコに火をつけたのも――かどを曲がってきた電車にとび乗ったのも――窓からキラキラした灯と群集とを見たのも――むかい側に腰かけていたレディの香水の匂いも みんなハッキリ頭に残っているのだが、電車を飛び下りて気がつくと 自分がいなくなっていた」(自分を落してしまった話・・「一千一秒物語」)

何気なく考えもせずやり過ごしている日常のことども、その気付かぬうちの背後にいる自分、この自分とは何か?あのときの自分とは、さて何ものか?なにげなくふと!振りかえって、もはやないそのときの自分とは!?
          
          写真:1948年の稲垣足穂
イメージ 2奇人のヒトであった。その文学は≪抽象志向と飛行願望、メカニズム愛好と不毛なエロティシズム、天体とオブジェ、――これが稲垣足穂の文学的モチーフのあらましである≫(澁澤龍彦)。まさに簡潔このとおりであろう。


私にとっての稲垣足穂といえば、もっぱら『僕のユリーカ』に代表される宇宙論幾何学、つまりは抽象論理、存在学であった。オントロギー。「その生涯をあげて虚空を掴まんとせし者ここに眠る」という墓標を死の20年ほども前に決めていた稲垣足穂。以下足穂コスモロジー、その語録である。


<ある人間に起り得る最大の不幸の一つは大衆の人気を獲ることである>

<女には衣装とお化粧ですね。男には機械と論理ですね。>

<少年的ひめごとは、あらゆる「抽象的可能性」への出発点である。>

<われわれが模型工作に熱中するのは、そこに一つのイデーがともかく模型的に把握されていて、そのことによって実物以上の魅力が唆り立てられるからであろう。>

<われわれは「もはや自然物ではありたくない」という所にまで来ているのである。>

<われわれはたれでも「神への漸近線」の上におかれている。>

<ねえ、口で伝えられる物語のように移ろい行き、溶けて幻に似た無に近づく物質の将来について語ろうじゃありませんか。>

<人間は肉体を棄ててから真個の覚醒生活にはいる。>

<鉱物に較べると、大方の生物はまるで泡だ、と私は思っているのです。>

<総ての物事の始めと終りには、たがいに似かよった、或る永遠的な感覚が移殖されるのではなかろうか……?>

<複数が単数の集合であるかぎり、われわれはこのままでありながら、いつどこにも存在しているわけではないか?>

<われわれは醒めても醒めてもなお醒めなければならない永劫の悪夢の状態に放置されている。終りを迎えるならばめでたしめでたしである。死ねば文句はないが、死ねないことが問題なのだ。>

<天国といったところで何がそう簡単に、一足飛びに行けるものか!>

<「白い色鉛筆」などすてきでないか?>

<僕の生家には、たあれも、何も、無くなってしもうた!>


             オブジェマガジン『遊』稲垣足穂野尻抱影=追悼号・1977より




さて今日からサッカーJリーグ、ワールドカップ中断からの残り試合、地元ガンバ大阪戦をもっての再開である。テレビ観戦としよう。