2006-10-01から1ヶ月間の記事一覧
Gorecki Symphony No. 3 "Sorrowful Songs" - Lento e Largo すなわちもっともよき人びとは帰っては来なかった(フランクル『夜と霧』) ≪極限状況は、およそどのような教訓からも自由であるというのが、私が得た唯一の「教訓」である。人は教訓を与えられる…
Valery Gergiev / NHKso / Yasushi Akutagawa - "Triptyque" for string orchestra 作曲家、芥川也寸志といえば、もちろん作家芥川龍之介の息子(三男)であることは衆目の及ぶことである。私はそのことより、彼、芥川也寸志の名を聞くとあの空前絶後の聴視…
いまやともども大御所と称されているらしいデヴィッド・バーマンDavid Behrmanのプロデュースで、アルビン・ルーシェAlvin Lucierがディレクションしてなったアルバムがこの『EXTENDED VOICES』なるアルバムである。もうタイトルどうりのコンセプトで、人間…
Bruno Maderna: Serenade nr 2 (1/2) さて今回は、昨日も拙ブログ文中で述べたイタリアの作曲家たちのメロディアスといっても間違いではない、その叙情性たたえたセリー作品の見事さについてである。私たちは12音セリーをその唱導者シェーンベルク、ベルク…
Mayuzumi- Mandara 今回はきのうにつづき、『日本の電子音楽’69』とタイトルされ日本の電子音楽を4曲集めて出されたもの。当時としてはきわめてリアルタイムに出されたもののようだ。黛敏郎の電子音響と声による『まんだら』(1969)、石井真木のピアノ、オ…
Toshirō Mayuzumi (1929-1997) - Campanology: for multi-piano 初々しく新鮮というのが正直な感想である。『日本の電子音楽』の、初期の名作を集めたアルバムといえる。のち国際的に大いに活躍する若き優れた作曲家たちが、電子のときはなつ初めて耳にする…
(上)菱田春草『落葉』六曲一双屏風、右隻 1909(明治42)年 (中上)菱田春草作『落葉』六曲一双屏風、左隻 1909(明治42)年 岡倉天心は第3回文展でのこの作品を 「情趣巧致固より場中第一、近頃の名品と感し申候」と絶賛した。 (中下)入…
昨日はイタリアの即興演奏グループの『NUOVA CONSONANZA』を取り上げ、その前は留学先イタリアで旗揚げしたフレデリック・ジェフスキー Frederic Rzewski (1938-)率いるMEV『ミュージック・エロクトロニック・ビヴァ』であった。今回のフランスBYGレ…
Azioni II Gruppo di improvvisazione Nuova Consonanza イタリアのアコースティック楽器を使っての即興演奏グループ、ヌーヴォ・コンソナンツァNuova Consonanza 。 このグループの創立者 Franco Evangelisti (1926-1980)よりも、マカロニウェスタンなどの…
Akira Ifukube: Ritmica Ostinata(1961)伊福部昭 リトミカ・オスティナータ 「自己に忠実であれば、必然的に作曲家は民族的であること以外に、ありようはない」(解説・木村重雄より)と伊福部 昭(1914-2006)は語っているそうである。これもひとつの信念で…
ひさかたのブログ登場。ミュージックコンクレートの雄ピエール・アンリPierre Henry(1927‐)の『CORTICAL ARTⅢ』(1973)。≪本人の脳波を基にしたバイオミュージック≫といったことしか詳らかにしない。脳波をシンセサイザーと結び付けての公開ライブインプロ…
Takehisa Kosugi - Violin Solo 1980 N.Y.C. #5 サウンド・アーティスト鈴木昭男は子供たちを前にして、<はだかの耳、はだかの心、こだわりのない耳と心!>耳を澄まして其処此処にある音を聞こうといったそうである。サウンド・アーティストとはこれいかに…
1966年ローマで結成されたライヴエレクトロニック即興グループの『ミュージック・エロクトロニック・ビヴァ(MEV)』。 メンバーは別にイタリア人で構成されているわけではなく、結成された場所がイタリア、ローマというだけで、主メンバーのフレデリッ…
La Monte Young - Dream House 78'17" ドローン(drone)。「一定の持続する音で、多くは低音。また、それを奏するための楽器や楽器の部分をさすこともある。」(ネット辞書より)。まことにクセになるドローンである。麻薬的な精神麻痺・痙攣の音楽?といえる…
Mary Cassatt:the music of Beethoven: Violin Concerto in D Major, Op. 61, II. Larghetto さて今日はと。昨今幼児虐待が甚だしいのか、メディアの異常な発達で社会が劇場化したゆえ誇大なイメージをもってしまうのかどうかは、はっきりした事はわからな…
≪1927(70歳) ベレニス・アボット(Berenice Abbott)がアジェのポートレートを彼女のスタジオで撮影.~ 生活が貧しく、日頃はつぎはぎの衣服を着ていたアジェが立派なオーバーコート姿で現われ、アボットを驚かせた.(コートは借り物であった)≫ 今回の取り上…
Wired - Deutsche Grammophon LP 1974 side two 今、どれほどフリーインプロヴィゼーションのコレクティヴな試みがなされているのか詳らかにしない。たぶん85年くらいからの急速なCD化の時代以来、私的なことともあいまって音盤から遠ざかっている身には…
まさに宝の持ち腐れとはこういうのを云うのだろう。LPレコード3枚と図版で埋め尽くされた135ページのブックレットのセットもの。しかも小さい文字のドイツ語と英語でドイツ・フリーミュージックの歴史が語られている。尤もそうだろうと推測してのこと…
「楽園への歩みThe Walk to Paradise Garden」(1946) あまり時事ネタは拙ブログでは趣旨ではなく、遠ざけてきた。しかし北朝鮮の核実験の強行実施という憂慮すべき事態を迎えるに至ってしまったことに口つぐむのも穏やかではない。いま又、ここに至るまで…
「蛍雪の功なってみごと合格する」というよろこばしい言葉がある。残念ながらわが青春には縁のないことであったけれど。ほかでもない、先日、日本経済夕刊の「明日への話題」コラム欄にゴリラ学者で有名な山極寿一氏の「闇の体験」なる一文が目に留まった。…
切れ目なく電子音が空間を埋め尽くす。あらゆる音の境界定かならぬ未分明な音が延々とある時は轟々とあるときは沸き立つ如く沸々滔々と流れる。雑音であり、騒音のドローンである。さまざまな日本のロケーションでのフィールドレコーディングされた音源を使…
ところ変われば品変わるというけれど、この今回取り上げるアルバムはイタリア・CRAMPSレーベルより出された現代音楽シリーズのうちの一枚『JOHN CAGE』(1973?)。このアルバムは、≪ジョン・ケージの影響のもとニューヨークのフルクサス運動に呼応す…
The Music Improvisation Company 1968 - 1971: Pointing / Bedrest Jamie Muir (percussion),Hugh Davies (live electronics & organ),Evan Parker (soprano sax and amplified auto-harp),Derek Bailey (guitar) ドイツECMという商業ベースのレーベルに…
Stockhausen: "Mikrophonie I" ひさしぶりのシュトックハウゼンKarlheinz Stockhausen(1928 -)の登場である。若き日アーティフィシャル(artificial)に抽象の美を感じていたのだろう。そのせいかシュトックハウゼンの音盤はLP時代を限ってであるけれど…
カミーユ・ピサロCamille Pissarro (1830-1903) ロードシップ・レイン駅 Lordship Lane Station(1871) Django – John Lewis 今日もきのうに続いてジョン・ルイスのピアノ・ソロ。この『素描』(1976)とタイトルされたアルバムは彼が単身来日したとき…
ジョン・ルイスにふさわしい 私の好きな印象派の画家 おだやかさと品を感じさせるアルフレッド・シスレー(Alfred Sisley, 1839 - 1899) (上)ルーブシエンヌの雪 1870 (下)洪水と小舟 1876 ムードジャズでは断じてありません。ヴィルトゥオゾにありがち…
カミーユ・ピサロCamille Pissarro (1830-1903)『モンフーコーの池』(1874) 9月26日付の日本経済『詩歌のこだま』(坪内稔典)欄で紹介されていた俳句が目に留まって印象深かったので、その記事より引用させていただくことにする。仁藤さくら1948年…
サッカー日本代表ガーナに敗れる。とテレビ中継を見終わって、さてと・・・というところである。サッカー負けはしたけれどスピードと連携(動)はやはり日本にとって世界に伍する途と再確認。ただ最後のクロスの精度などペナルティーエリアでの詰めが課題で…
K.Yamada (山田耕筰) - Nagauta Symphony Tsurukame (1934) [2/2] 先日取り上げた民族派の作曲家とは違ってこちらは西洋的感性、方法意識を堅持しつつ音楽展開をはかった作曲家と一応括ることが出来るだろうか。そのうち、山田耕筰は少し違うかもしれない。…
Walk Jo Kondo さて今回は1947年生まれの団塊世代。とびっきりのユニークかつ独創的でコンセプチュアルな現代音楽作曲家、近藤譲(こんどう じょう、1947年 - )。拙ブログでも先に2稿ばかり起こしている。意味剥落し、飄々として静やかにさやさやと好…