yuki-midorinomoriの日記

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西洋的方法意識を堅持しつつ音楽展開をはかった戦前モダニストの交響作品集

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K.Yamada (山田耕筰) - Nagauta Symphony Tsurukame (1934) [2/2]

            

先日取り上げた民族派の作曲家とは違ってこちらは西洋的感性、方法意識を堅持しつつ音楽展開をはかった作曲家と一応括ることが出来るだろうか。そのうち、山田耕筰は少し違うかもしれない。山田耕筰といえば、以下のような≪『からたちの花』(作詞:北原白秋、作曲:山田耕筰)『この道』(作詞:北原白秋、作曲:山田耕筰)『鐘が鳴ります』(作詞:北原白秋、作曲:山田耕筰)『赤とんぼ』(作詞:三木露風、作曲:山田耕筰)『兎のダンス』(作詞:野口雨情、作曲:山田耕筰)『お山の大将』(作詞:西條八十、作曲:山田耕筰)『七夕』(作詞:川路柳虹、作曲:山田耕筰)『ペチカ』(作詞:北原白秋、作曲:山田耕筰)『待ちぼうけ』(作詞:北原白秋、作曲:山田耕筰)『あわて床屋』(作詞:北原白秋、作曲:山田耕筰)≫(WIKIPEDIA)童謡、歌曲でその名を知るものの本格的なオーケストラ作品をあまり聴いたことがない方が多いのではないだろうか。戦前、軍歌などを作曲しているとはいえ、ごりごりの民俗(族)派ではない。しかしそれら戦時歌謡、国民歌、校歌など多岐のリストを見るにつけこの節操や如何と思わないでもないけれど。叙情と洗練といったらいいのだろうか。しかしいっぽう物足りなさと音の線の細さ(受容期の時代的制約ともいえるのだろう)を感じはするものの、日本で最初の交響曲を作曲した先覚者として、やはり教科書どおりその業績は素直に受け取りたいと思う。あとのモダニスト3人は、彼よりおよそ20数年若い。この時期、西洋音楽の受容に苦闘する近代の精神的軋轢の重みと近代化のスピードはまさにドッグイヤー並みであっただろう。隔世の感がするという表現に相当するほどの20数年であっただろうことは、山田耕筰と較べてオーケストレーションの厚み、見事さを聴けば肯ける。とりわけ私には、平尾貴四男(ひらおきしお・1907~1953)の交響詩曲『砧』が一番印象的でよく出来ていると思った。一番練れたオーケストレーションで時代を感じさせない上に、普遍の意志を持って日本的感性が品よく掬い上げられているとの印象で見事だ。収録曲は山田耕筰、音詩『曼陀羅の華』、尾高 尚忠(おたか ひさただ・1911-1951)『日本組曲』、深井史郎(ふかい しろう・1907-1959)『パロディー的な4楽章』、それに先ほどの平尾貴四男(ひらおきしお・1907~1953)の交響詩曲『砧』の4曲。機会があれば、ぜひ先人の作品もじっくりと聴いてほしいものだ。



山田 耕筰(やまだ こうさく、1886-1965)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E8%80%95%E7%AD%B0

尾高 尚忠(おたか ひさただ、1911-1951)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE%E9%AB%98%E5%B0%9A%E5%BF%A0

平尾貴四男(ひらおきしお・1907~1953)
http://www.musicabella.jp/pukiwiki/index.php?%CA%BF%C8%F8%B5%AE%BB%CD%C3%CB
平尾貴四男、作品試聴できます
http://a-babe.plala.jp/~jun-t/Hirao-Sonata.htm

深井史郎(ふかい しろう、1907-1959)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%B1%E4%BA%95%E5%8F%B2%E9%83%8E