yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

知的品格の備わった豊麗で美しく響く安部 幸明(1911- )『弦楽四重奏曲第7番』(1950)ほか作品集

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サッカー日本代表ガーナに敗れる。とテレビ中継を見終わって、さてと・・・というところである。サッカー負けはしたけれどスピードと連携(動)はやはり日本にとって世界に伍する途と再確認。ただ最後のクロスの精度などペナルティーエリアでの詰めが課題であることには毎度ながらの修正課題というところに落ち着いてしまう。しかしディフェンスでの動きは徐々によくなってきてはいるようだ。アグレッシヴで見ていても気持ちがいい。とまあ、サッカーのことはこれくらいにして、音楽の話に舞い戻ろう。時間がない。昨日山田耕筰がなぜ入っていたのかよくわからないけれど、戦前のモダニスト派の作品集を取り上げた。そのつながりで、今回も山田耕筰の名が見られる作品集を取り上げることとした。彼の名は音楽の教科書で目にしたり、≪『からたちの花』(作詞:北原白秋、作曲:山田耕筰)『この道』(作詞:北原白秋、作曲:山田耕筰)『鐘が鳴ります』(作詞:北原白秋、作曲:山田耕筰)『赤とんぼ』(作詞:三木露風、作曲:山田耕筰)『兎のダンス』(作詞:野口雨情、作曲:山田耕筰)『お山の大将』(作詞:西條八十、作曲:山田耕筰)『七夕』(作詞:川路柳虹、作曲:山田耕筰)『ペチカ』(作詞:北原白秋、作曲:山田耕筰)『待ちぼうけ』(作詞:北原白秋、作曲:山田耕筰)『あわて床屋』(作詞:北原白秋、作曲:山田耕筰)≫(WIKIPEDIA)などの親しみのあるメロディアスな童謡や歌曲、国民歌で人口に膾炙している。しかしクラシカルな作品を耳にされている方は存外に少ないのではと思われる。何せ生まれが1886年、明治19年である。≪1879年(明治12年)、文部省に伊沢修二を御用掛とする「音楽取調掛」が設立され、日本国の音楽教育に関する諸調査等を目的とした。翌年以降、師範学校付属小学校生や幼稚園生への教育、音楽教員の育成を行い、音楽専門教育機関の役割を果たすようになった。その後数回の名称変更を経て、1887年(明治20年)に「東京音楽学校」と改称される。≫(WIKIPEDIA)こうした創成期に生を享けている作曲家ということである。そしてまた<昭和の初めにはまだ音楽学校には作曲科というものさえなかった。東京音楽学校<現・芸大音楽部=明治12年創立>にはじめて作曲部が設置されたのは、なんと昭和7年のことであった。―秋山邦晴>。西洋音階に触れて何ほどの月日であったろう。それ以前は音楽家といえば≪吉沢検校(よしざわ けんぎょう、1800年 - 1872年)、十代目杵屋六左衛門 (きねや ろくざえもん、1800年 - 1858年) 、十一代目杵屋六左衛門 (きねや ろくざえもん、1815年 - 1877年)、二世杵屋勝三郎 (きねや かつさぶろう、1820年-1896年)、二世豊澤団平 (とよざわ だんぺい、1828年 - 1898年)≫ (WIKIPEDIA)とまあ、なんと古色蒼然としたものであろうか。まるでちょん髷、羽織袴である。こうしたなかでの西洋受容、しかも海外留学を経ての近代化であり、滝廉太郎ともどもの先覚者であったということも彼の音楽の性格は枠付けられたともいえるだろうか。このアルバム収録の『弦楽四重奏曲 第2番』(1907?)は、わずか5分弱の単一楽章の作品である。習作的なといえなくもない響きだけれど、やはり叙情性に長けた性格を遺憾なく作品化したものとして懐かしくもあり、愛おしく切なくもある。日本的にセンチメントでありメロディアスなだけにいっそう、その印象が募る。こうしたことの天与ゆえにその名を刻んでいるのだろうか。つぎの池内 友次郎(いけのうち ともじろう・1906-1991)『チェロのためのソナチネ』(1957)。俳人高浜虚子の次男である。そして≪門下から矢代秋雄松村禎三、林光、三善晃など多数の作曲家を輩出した≫(WIKIPEDIA)教育者としても知られている。しかし作品を聴く限りこの池内 友次郎はもっぱら教育者でその才があったのだろうと思われる。「青は藍(あい)より出(い)でて藍より青し」名伯楽ということなのか、これはこれで大きな貢献と顕彰さるべきなのだろう。さて最後に安部 幸明(あべ こうめい・1911- )『弦楽四重奏曲第7番』(1950)。
弦楽四重奏曲を15曲も作曲するほどに好きな演奏形式であるらしい。弦楽四重奏曲第15番は1993年に発表されている。第一番が23才のときというから半世紀以上に亘ってその形式を彫琢しているということなのだろう。これがためなのかどうかわからないけれど、すばらしい作品である。もっとも、収録曲の7番は1950年の作曲ではあるけれど、およそこの戦前世代の作品と思えないほど豊麗で美しく厚みをもってよく鳴っている、知的品格の備わった響きで好感この上ない。まったく素晴らしい。彼曰く、≪調性のない音楽を好まず、旋律の美しさと明瞭な形式を重視する。≫とのこと。しかし聴くだけの鑑賞者である私は、調性があろうが無かろうが、どちらもいい音楽は好きである。そしてまた、アヴァンギャルドの実験性、その果敢な精神も含めて好きである。



山田 耕筰(やまだ こうさく、1886-1965)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E8%80%95%E7%AD%B0

1886年(明治19年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/1886%E5%B9%B4

池内 友次郎(いけのうち ともじろう、1906年-1991)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E5%86%85%E5%8F%8B%E6%AC%A1%E9%83%8E