yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

2007-06-01から1ヶ月間の記事一覧

歌人、古泉 千樫( こいずみ ちかし 1886- 1927)の牛の歌。

全く不勉強で無知を愧じ入るばかりだけれど、先日新聞で、歌人の小池光氏のエッセイのなかで古泉 千樫( こいずみ ちかし 歌人 1886- 1927)≪千葉県安房郡に生まれる。 正岡子規の風をしたい伊藤左千夫に敬慕師事し、斎藤茂吉、島木赤彦、中村憲吉等と行を倶…

チック・コリア率いる、インテリジェントなコラボレーションの見事さにフリージャズであることを忘れ愉しめる『CIRCLE-Ⅱ GATHERRING』(1971)。

Circle Quartet - Quartet Piece no. III チックコリアchick corea 以前、マイブログへの投稿で、このグループ「サークル・CIRCLE」のパリでのライヴ2枚組みをとりあげた。≪惜しくもアルバム世に出ると同時に分解した才人揃うインテリジェントフリージャズ。…

手甲脚半の野良仕事着で精一杯、西洋を頑張っている小山清茂『交響組曲(能面)』(1959)、『弦楽のためのアイヌの歌』(1963)。

小山清茂 ≪長野更級郡の農家に生まれた。そこはラジオさえ普及していない純農村で、音楽的環境といえば神楽囃子や盆踊りなど郷土芸能が全てで、洋楽的な音にはほとんど汚染されなかったことが小山自身にとってはなはだ幸運であったという。1933年に長野師範…

近藤 譲、音楽変革へのマニフェスト『線の音楽』(1979)。

「・・・音が音楽になるのはどこからかという問題意識から始まったといいましたが、単なる音がどこから音楽になるかと考えるのは非常にむずかしかったもので、僕が一番最初に考えたのは、ただ音が並んでいるのと、それが「線」、別な言い方をすれば、「旋律…

洗練の度をくわえたロマンなベートーベン。ロベルト・シューマンの『交響曲第1番・Op.38<春>』と『交響曲第4番・Op.120』。

SCHUMANN Symphony no.4, op.120.wmv いつのまにやら貼り付け不可になっていたので差し替えました。 ロベルト・シューマンRobert Alexander Schumannの『交響曲第1番・Op.38<春>』と『交響曲第4番・Op.120』をレナード・バーンスタインの指揮、ウイーン…

声という、生命ある人にとっての初源の現象と歌と音楽。パロールとラングのせめぎあう<音楽・声>生成の熱き場への通時、共時的果敢LP7枚組み『合唱音楽の領域・その新しい地平』(1975)

それこそ、今日こそは、といった表現にぴったりのLP7枚組みの現代合唱音楽ばかりを集めたボックスもの。床にたてて置くことが出来るほどの厚さ。念のため定規で測ってみたら35ミリあった。こと細かに、作曲家自身の自作品へのコメント、それにその作品…

没後180年目に初演された、最晩年未完のヨハン・セバスチャン・バッハ『フーガの技法・ニ短調BWV1080』。

Bach - The Art of Fugue, BWV 1080 [complete on Organ] 投稿アルバムのものではありません 今日もLP2枚組みの、それもヨハン・セバスチャン・バッハ最晩年の未完に終わったとされる『フーガの技法・ニ短調BWV1080』を盲目の名オルガニストヘルム…

日本人作曲家10人、西洋の作曲家8人、その作品総数20という圧倒的ボリュームのLP3枚組み高橋アキ『PIANO SPACE』。

Ichiyanagi "Piano Media" - Rachel Jimenez1996 performance by Rachel Jimenez of Toshi Ichiyanagi's Piano Media. New England Conservatory, Boston, MA. http://video.google.com/googleplayer.swf?docid=-6626185085838971878&q=ichiyanagi+toshi0 ≪…

もの哀しく、ノスタルジックに奏でるベートーヴェン作品のコラージュ。マウリシオ・カーゲルMauricio Kagelの『Ludwig van』

マウリシオ・カーゲルの諸作品、もちろん『Ludwig Van 』(incomplete) 1969版がヴィデオで観れます。 "Ludvig van" (1970) Mauricio Kagel マウリシオ・カーゲルMauricio Kagel ヨーロッパに在住し活動しているアルゼンチン生まれの現代音楽作曲家。マウリシ…

イタリアが生んだ未来派の再来思わす、マグマ沸騰する如きエネルギッシュな騒雑音の高鳴りとスピリチュアルなノイズを愉しむマウリツィオ・ビアンキの<音楽>。

この貼り付け画像は紹介テープ音源の"Mectpyo Bakterium"(1982)ではなくアルバム「Mokushi」のものです。 マウリツィオ・ビアンキMaurizio Bianchi これぞノイズ<音楽>の醍醐味!?。 マウリツィオ・ビアンキMaurizio Bianchi。イタリア・ミラノの産。 …

ブーレーズには「 ル・マルトー・サン・メートル」。ルチアーノ・ベリオには「サークルス」(1960)がある。

ルチアーノ・ベリオLuciano Berio ブーレーズには≪「ル・マルトー・サン・メートル(主なき槌)」(ルネ・シャールの詩による)≫という傑作がある。たぶん異議を唱える人は少ないことだろう。もちろん私も感動を覚えた曲のひとつであった。そして今日取り上…

美人画の女流画家として、初めての文化勲章を受章した上村松園常設の『松伯美術館』と備前焼個展の美術の一日。

序の舞 「私は母のおかげで、生活の苦労を感じずに絵を生命とも杖ともして、それと闘えたのであった。私を生んだ母は、私の芸術までも生んでくれたのである」 上村松園 先日、日曜日に奈良・登美ヶ丘にある松伯美術館へと、汗ばむほどの陽気の中、足をはこん…

総合音楽への可能性、端緒すら感じさせる≪モメント形式、不確定性、多義性≫の果敢による「音づれ」。

Stockhausen- Momente (1/2) カール・ハインツ・シュトックハウゼンKarlheinz Stockhausen ≪三つの大きなモメンテ=グループがあり、それらはI-モメンテ(比較的不確定、アンフォルメル)によって枠付けられて分離されています。K-モメンテ(KLANG=音色…

親世代から贈られる心やすまる子守唄。『懐かしの歌声』

国境の町 / 東海林太郎 東海林太郎(しょうじたろう) 『下流志向・学ばない子どもたち働かない若者たち』を著し、いま巷間で話題を呼んで注目されている内田 樹(うちだ たつる)神戸女学院大教授。というものの実は私はまだ読む機会をもてないでいる。新聞…

壮大な歴史の事象として編集される、目のくらむほどの情報の行き交うさま『情報の歴史』(監修・松岡正剛、構成・編集工学研究所)

松岡正剛 梅棹忠夫 情報というものの価値を先見的に見出し、指摘したのは梅棹忠夫であったことは、つとに知られたことである。とりわけ、その「情報お布施論」は、言いようが奇抜で、少なからずのナットクをしたものだった。情報サービスは、単なるサービス…

京都・祇園祭、「コンチキチン」の囃子は、元は「鉦」ではなく「鼓」だった。

Yamahoko, the float ceremony of the Kyoto Gion festival http://www.youtube.com/watch?v=v36jDZI35Bg つい先ごろの新聞記事で「コンチキチン」の囃子とくれば京都・祇園祭だけれども、その鎮魂の意をあらわすとされる「コンチキチン」の「鉦」がメインの…

≪「自分の創作のエネルギーは怒りだった」≫と語り≪矛盾や悶着に向かう≫並外れた「エゴイスト」・芸術家イサム・ノグチ。

ニューヨーク・ウォール街「レッドキューブ」(1968) カリフォルニアシナリオ「ライ豆の精神」(1982) Tōru Takemitsu ~ Itinerant, In Memory of Isamu Noguchi イサム・ノグチIsamu Noguchi パリ・ユネスコ庭園、イタリア・ピエトラサンタ(アト…

≪自分のメロディーにうっとりと惚れ込んでいる≫≪人の善さがストレートに表われている美しい音楽≫フランツ・シューベルト。内田光子の『シューベルト・ピアノソナタ第7番D568、楽興の時D780』。

Schubert by Arrau - Moment musical No 2 in A flat, D. 780 - Andantino 投稿音源のものではありません フランツ・ペーター・シューベルトFranz Peter Schubert 聞き流しでクラシック音楽を長年聴いてきたとはいえ、ほとんどがNHK・FM放送でのもの。…

『ミレーの「晩鐘」、ミシンと雨傘が、解剖台の上で偶然出会ったように、美しい!』と賛するサルヴァドール・ダリ

「晩鐘」 「種まく人」 「羊飼いの少女」 ジャン=フランソワ・ミレーJean-Francois Millet 「自分は農夫の中の農夫だ。自分の綱領は労働だ」とミレーは語っていたそうである。≪大地の労働と結びついた人間≫農夫、その≪大地、自然と労働と祈り≫を描いた「晩…

いつもながらの混沌エネルギッシュなコレクティヴパフォーマンス+ハンス・アイスラー信奉の大衆啓蒙パフォーマンス『GLOBE UNITY ORCHESTRA JAHRMARKT/LOCAL FAIR』

いつもながらの混沌エネルギッシュなコレクティヴパフォーマンスは、はやいうも更なりである。ただいつものGLOBE UNITY ORCHESTRAとちがうのは、ハンス・アイスラーHanns Eislerの社会主義的な芸術論、大衆啓蒙観が打ち出されてのことなのか、親しみやすいメ…

言葉と音楽。抒情的感性を決して離さない前衛性、ルチアーノ・ベリオ『ラボリントス2』(1965)

Luciano Berio: Laborintus II (1965) Prima parte ルチアーノ・ベリオLuciano Berio 言葉と音楽。抒情的感性を決して離さない前衛性。これはすぐれてベリオの音楽を特徴づけるものではないだろうか。現代音楽に特徴的なさまざまな革新の書法を取り入れよう…

青磁、白磁の気品、色艶色香を堪能。大阪・中ノ島『大阪市立東洋陶磁器美術館』

この収蔵品QuickTime VRオブジェクトムービーをクリックして、とりわけ国宝二点とそのほかの名品をじっくりと鑑賞してください。 大阪市立東洋陶磁器美術館 チャリンコにのって大阪・中ノ島にある大阪市立東洋陶磁器美術館へ、その名称どおり中国、朝鮮の青…

「ICP(Instant Composers Pool)」005(1970)。ハッタリとメリハリに伏し目がちなミシャ・メンゲルベルグ。

ICPレーベルレコードセット<No.001~010>10枚入BOXケース Derek Bailey & Han Bennink: ICP 004 (Sometimes called Lijm) ミシャ・メンゲルベルグMisha Mengelberg 今日取り上げるアルバムは、オランダ(ネット覗いていたらEuropean group founded…

ヴィトルト・ルトスワフスキの20年を隔てての2つの交響曲。『交響曲第1番』(1941-47)と『交響曲第2番』(1967)。

Witold Lutoslawski - Symphony No. 1 - Movement I. Allegro Giusto ヴィトルト・ルトスワフスキ(Witold Lutosławski, 1913 - 1994) 20年のときを隔てての作風の変化。新古典派様式から、伸びやかで多彩な音色の変化に自由度を加速してみごとな前衛性を切…

今は墓もなく、精神朽ち果て悲劇に逝った天才女流彫刻家カミーユ・クローデル。

カミーユ・クローデル『分別盛り』(1899) 「あの美しく誇り高い女がこんなふうに自分を描いている。嘆願し、屈辱を受け、ひざまずき、裸で。すべては終わった。彼女は私たちの前に、こんな姿で永遠にさらされているのだ。」(ポール・クローデル「わが姉カ…

青色で特許をとり、青色に魅入られ、青で世界を塗りつぶして足早に駆け抜けたイヴ・クラインYves Klein(1928 - 1962)。

Yves Klein - Blue anthropometries and fire paintings 1960 ≪……彼は雨に濡れたまま、アスファルトの上を踏んで行った。雨はかなり烈しかった。彼はしぶきの満ちた中にゴム引きの外套の匂いを感じた。すると目の前の架空線が一本、紫色の火花を発していた。…

武満らのアヴァンギャルド集団<実験工房>に唯一の演奏家として参加、戦後、国際的ピアニストとして楽界を先導した園田高弘弾く、水野修孝「ピアノのための仮象」(1967)ほか現代音楽ピアノ作品。

Mizuno- Tone for Piano (1/2) 投稿音源ではありません 水野修孝 すでに泉下にある日本の国際的ピアニストの先導役でもあった園田高弘が現代音楽を弾いて興味深いのが今日取り上げるアルバムである。収録曲は石井真木の「遭遇Ⅰ-尺八曲とピアノ曲」(1970)…

大衆音楽形式の伸びやかさへの羨望のあらわれなのだろうか。間宮芳生(みちお)『ヴァイオリン、ピアノ、打楽器、コントラバスのためのソナタ』(1966)ほか。

≪私が通った旧制青森県立青森中学に、教科書を節つきで調子も面白く音読して聞かせてくれる風変わりな国語教師がいた。・・・作家太宰治が同じ青森中学の卒業で、ほぼ二十年私の先輩なのだが、彼も橋本氏の国語の授業を受けたことがあったのだそうである。敗…

正岡子規、絶望的苦悩の果ての光明。「悟りという事はいかなる場合でも平気で生きることであった。」と覚識する『病牀六尺』。

「僕ハモーダメニナツテシマツタ。毎日訳モナク号泣シテ居ルヤウナ次第ダ」正岡子規亡くなる前年イギリス留学中の夏目漱石への手紙である。 不治の病に伏し、絶望のうちに36歳の生涯を閉じた正岡子規は、辞世三句のひとつに次の句を詠んだといわれている。 …

経済・社会哲学で人間存在の本源的<暴力>という独特の視角から思想的営為を重ねてきた今村 仁司の訃報に思う。

「信仰は主観的事実である。」(清沢満之) 「信仰は確信ではない。不安である。」(石原吉郎) 「人間から悪を消去するなら、生の根本的な諸条件を破壊することになるだろう」(モンテーニュ) ここ最近著作が出ていないなと思っていたら、訃報が飛び込んで…