yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

2006-06-01から1ヶ月間の記事一覧

スケール大きく堅固な構築展開の美に驚く、諸井三郎(1903‐1977)作曲『交響曲第2番』(1938)

諸井三郎 交響曲第2番(1938) Saburo Moroi: Symphony No.2 初演後実に33年ぶり(1972年録音)2回目!の演奏がこのアルバムに収録されているそうである。諸井三郎(1903‐1977)作曲『交響曲第2番』(1938)である。駄作ゆえでは断じてない。傑作である。…

相似にとどめるトワイライトなスミレ色の存在・「現」ウツツへの私の放下。松岡正剛『言語物質論(ろ)経を読む』(1979)

ブログトップ画像三匹の子犬の母親、我が家の柴犬はことのほか、カミナリと風に煽られバタバタと音たてるシートが恐怖である。しきりに音立てバサバサと不連続に不定形に踊り動くシートに吠え立てるばかりである。その現象の因果が了解不能だからだ。これは…

松岡正剛の思想(存在論)の原基を思い聴く、曹洞集大本山永平寺の僧による『般若心経』

別にどの宗派でもよく、たまたま曹洞集大本山永平寺の僧による『般若心経』の読経が収録されたアルバムである。経の何たるかを抜きにしても、複数人の読経に特徴的に聴ける、微妙にずれるユニゾンはことのほか気分のいいものである。このアルバムにはこのほ…

映画「プラトーン」に流れた悲しくも美しい「弦楽のためのアダージョ」で有名なアメリカの作曲家サミュエル・バーバーの『ヴァイオリン協奏曲』(1939)と『第一交響曲』(1942)

Violin Concerto Op.14 Mov.1 - Allegro - Samuel Barber きょうは、あのベトナム戦争を扱って秀作とした映画「プラトーン」(1986年制作)に使用された悲しくも美しい「弦楽のためのアダージョ」で有名なアメリカの作曲家サミュエル・バーバー・Samuel …

影向する尺八吹き抜ける息、一陣の風。広瀬量平(1930)の『成・VIVARTA』(1974)

人間は生を享けるとともに呼吸を開始し、その停止をもって生を閉じる。気息は生命の本質である。マクロコスモスの気息が象徴として自然の風であり、ミクロコスモスの気息が象徴として人間の息である。宇宙、自然も息をする生命体であり、息する人間もまた宇…

歴史に息づく三絃(三味線)の余情の響き『西潟昭子・三絃』(1980年)

三味線といえば、たぶんおおかたが、津軽太棹三味線であり、文楽の義太夫太棹三味線であり、歌舞伎の長唄細棹三味線であることだろう。常磐津、清元、地歌、新内などの中棹というのもある。とはいえ実際耳にする機会は随分と少ないはずである。民謡で聴く三…

哀しくも美しいトマゾ・ジョヴァンニ・アルビノーニの『弦楽のためのアダージョ』ほか

Tomaso Albinoni – Adagio 今日もまた、サッカーワールドカップ日本代表の一次リーグ敗退にかこつけいっぷく気分である。一勝する事もできずの敗退には正直、気分はなはだよろしくない。縦への速攻と失敗を恐れないアッグレッシブさ、接触とタマギワの強さ、…

ジェルジ・リゲティの堅固な弦の響き『弦楽四重奏曲第一番』(1953)。微細に音色生成変化搖動する『弦楽四重奏曲第二番』(1968)

Ligeti : String Quartet N° 2 --- mvt I. ハンガリーの作曲家といえばおおかたがバルトークを上げることだろう。それほどまでに偉大であるということなのだろう。私のようなごく普通の音楽鑑賞者にとっては新古典派ではストラビンスキーとバルトークである…

プリペアド・ピアノの民俗の響きに心優しく安らぎを聴かすフランソワ・テュスクのピアノソロ『DAZIBAO NO2』(1971)。

1938年生まれでフランスフリージャズ界の先導者ということである。レジスタンス運動に深く関与していた父親の機密保持のため、本人も表立った行動をとることかなわず、音楽家の母親を持ちながらピアノは耳学問、独学であったそうである。そういえば山下洋輔…

メシアン、クセナキス、ペンデレツキの無伴奏混声合唱曲集(1970)

NUITS:Musique Iannis XENAKIS <花であること> 花であることでしか 拮抗できない外部というものが なければならぬ 花へおしかぶさる重みを 花のかたちのまま おしかえす そのとき花であることは もはや ひとつの宣言である ひとつの花でしか ありえぬ日々…

小走りで快調に歌いまくり乗る山下洋輔。アデルハルト・ロイディンガーとのデュオ『Inner Space』(1977)

山下洋輔のピアノとアデルハルト・ロイディンガー Adelhard Roidingerのベースとのデュオパフォーマンス。かれアデルハルト・ロイディンガーは1943年オーストリアの産。音楽高校で6年間ベースと作曲を修学するも大学では建築を専攻。両方を教え生業としてい…

サッカー・ワールドカップ日本代表の戦いでまんじりとしない夜を静める、J・S・バッハ『ゴルドベルグ変奏曲』

高橋悠治でなければならないということはない。極端な話、誰でもいいのだ。誰が良いだのとシロウトの私には確たる判断根拠があるわけではない。前にも言ったように案外最初に聴いたもの、感動したものがベストであることが多い。それは音盤購入であれば、や…

シンプルさに、もの悲しい憂愁を漂わす高橋悠治演奏の『エリックサティ・ピアノ作品集』

Gymnopedia No 1 以前あるラジオ放送番組でエリック・サティを聴くにふさわしいのは目覚めの朝か、夜の更けた就寝前の深夜かといったことをやり取りしていたのを車中で聞いたのを覚えている。 確かにそのような問いかけをするにふさわしい曲調のシンプルさが…

岩城宏之指揮による松村禎三『管弦楽のための前奏曲』(1968)、三善晃『管弦楽のための協奏曲』(1964)、それに武満徹の『テクスチュアズ』(1964)を聴く

Matsumura: "Symphony No. 1", Mvt. 1 毎度のことながら、1930年をさかいに綺羅星のごとく才能が同時的に歴史に生み出されたこの事実は、おどろきである。矢代秋雄(1929)、黛敏郎(1929)、松村禎三(1929)、間宮芳生(1929)、、湯浅譲二(1929)、…

クシシュトフ・ペンデレツキの典礼宗教音楽の傑作『聖ルカ伝による主イエス・キリストの受難と死』(1966)

神よ、私の神よ、私のほうを見てください。 なぜ私を見捨てられたのですか。 私の神よ、私は日々呼びかけます。 でもあなたは聞いてくださらないでしょう。 私の言葉に耳を傾けてください、主よ、 私の叫びをわかってください。 WARSAW BOYS CHOIR - K. Pend…

私性のない没我浮遊感でビミョーな、SMEジョン・スティーヴンスの『BIOSYSTEM』(1977)

1960年代後半よりイギリス・フリージャズシーンを牽引した名ドラマー、ジョン・スティーヴンスJohn Stevens(1940-1994)。Spntaneous Music Ensemble率いて多くの作品をフリーインプロヴィゼーションジャズの記録としてのこしている。先の私のブログで…

ミシェル・ベロフによるオリヴィエ・メシアンの『幼子イエズスにそそぐ20のまなざし』(1944)

Olivier Messiaen - Vingt Regards sur l'Enfant Jésus XIII-XIV ミシェル・ベロフによるオリヴィエ・メシアンの大作『幼子イエズスにそそぐ20のまなざし』(1944)を聴く。2枚組み全曲演奏である。これが宗教的趣向、主張を持った作品と俄かには聴けない…

音楽への愛おしさあふれるムハル・リチャード・エイブラムス(1930)のピアノパフォーマンス

今日は、きのうのサッカー日本代表のふがいない敗戦が尾を引いているのか、心穏やかではない。コンディション云々、地力としては相手の方が上とかではなく、はっきりいって作戦ミス、これに尽きるとシロウトながら勝手におもっている。自陣に引いて、後半に3…

1970年未だ社会主義体制下のポーランドジャズ。トマス・スタンコの『Music for k』(1970)を聴く

ポーランドを出自とするのはコペルニクス、ショパン、マリ・キュリー夫人、ローザ・ルクセンブルク(女性革命家)、ロマン・ポランスキー、アンジェイ・ワイダ、スタニスワフ・レム、ルトスラフスキー、ペンデレツキーなどなど。 さてところでポーランドのジ…

マウリツィオ・ポリーニで1936年第二次大戦直前のウェーベルン『Variationen Op.27』。1948年大戦直後のブーレーズ『Sonate No.2』を聴く

Pierre Boulez - Piano Sonata No. 2 - I. Extrêmement rapide:Maurizio Pollini, piano さすがというか、素晴らしく美しい、輪郭明瞭に音起つその際立ちは、喩えようもなくビルトォーゾである。もはや古典の域に入りつつあるかのような手慣れた、ロマンテ…

武満徹の山下ツトムの独奏打楽器との『カシオペア』(1971)と石井真木の雅楽とオーケストラのための『遭遇Ⅱ・<1971>』

さすがに毎日ブログろうとすると疲れる。文筆を生業とするプロのようにネタがコンコンと湧いてくる才と蓄積でもあればいいが、そうでないシロウト身にはキツイ難行苦行でもある。とまあ、泣き言めいたつぶやき、ぼやきが出もするが、歳の所為もあり、一種、…

篠崎史子の『ハープの個展』(1974)に聴く、武満徹の『STANZA Ⅱ』(1971)と小杉武久『ヘテロダイン・1973』

現代音楽 篠崎史子 「ハープの個展」/武満徹/坪能克裕/小杉武久 ≪ある真昼の情景であり、石は沈黙を破って言葉を交わし、鳥は影を落とすこともなく中空をよぎる。音楽は舗道のたたずまいに等しく過ぎ去るものであり、沈黙をふちどる。≫見事な、イメージ喚起…

ポール・ズーコフスキーによる日本の現代作曲家のヴァイオリン作品演奏『ポール・ズーコフスキーの芸術』(1979)

石井真木(1936-2003)。伊福部昭を師とし、彼もまた同様感性的に東洋・アジア的な民俗への関心を少なからず有していた作曲家といえよう。伝統邦楽器を使ったアマルガムな作品に力作も多い。しかしけっしてそれらを添え物として扱うような粗末な印象も、また…

武満徹と同世代の傑れた作曲家、間宮芳生『オーケストラのための2つのタブロー65』と松村禎三『交響曲・1965』

Matsumura: "Symphony No. 1" (1965), Mvt. 1 武満徹(1930)の愛娘はよく、お父さんの曲はどれも似たような曲だと言っていたそうだけれど、そうした印象を確かにおぼえられる方は少なくないと思われる。とりわけ後期の作品にはそうした印象拭えぬもの、あり…

19歳にて、冥き戦時局と純粋精神の病いに懊悩果てた原口統三『二十歳のエチュード』

別にこの冊子、昭和21年(1946)19歳で自死した旧制第一高等学校生、原口統三のノート『二十歳のエチュード』が名著だからというわけではない。たまたま詩人・作家の清岡卓行氏(享年83歳)の訃報記事を新聞で見てのことである。一度は見舞われるだろ…

武満徹のバーチカルでダイナミックに拍動する室内楽の響き『スタンザ第一番』(1969)ほか

環(RING)の " I " 武満徹は小編成の室内楽が自分にとってもっともふさわしい形式であるといっていたそうである。 それは大オーケストラなどの演奏機会を得ることの現実的な難易を意味していることもあるだろうけれど、彼の響き、音色への志向性にとっては…

松村禎三(1929)間宮芳生(1929)三善晃(1933)の62・63年の輝くばかりの弦楽四重奏曲

松村禎三(1929)間宮芳生(1929)三善晃(1933)の弦楽四重奏曲のカップリング。 ちなみにこの世代、武満徹(1930)黛敏郎(1929)湯浅譲二(1929)矢代秋雄(1929)下山一二三(1930)廣瀬量平(1930)一柳 慧(1933)ほか綺羅星のごとくである。さてB面…

賞賛、歓呼倍加する1975年の山下洋輔トリオ再ヨーロッパツアードキュメント『CHIASMA』(1976)

山下洋輔トリオ キアズマ (CHIASMA):1975.6.6 ヨーロッパでの成功勝ち得ての翌年、1975年ドイツでのライブ録音である。衝撃的なヨーロッパデビューの成功は、当時でも大きな話題であった。一曲終わるごとの嵐のごとき歓呼の凄さが前年にもまして倍加してい…

アフリカの大地との交感に清冽な詩を歌うダラー・ブランドデュオアルバム『Good News from Africa』(1973)

Abdullah Ibrahim: Ntsikana's Bell だいたい音楽は何でも聴くほうだけれども、たとえばこのブログで主に取り上げている現代音楽、フリージャズなどはいうに及ばず、ロックのハードからへヴィーまでなんでも、アルゼンチン・タンゴ(タンゴピアノがなんとも…

アルバムポートレイトを見入って凄みを聴く、シェーンベルクの『木管五重奏曲・作品26』(1923-24)

さてこうした音楽、わが日本という国ではどのような人たちが聴くのだろうか。たしかにクラシック音楽である。親しみやすいメロディや、響きの美しさの魅力とかそういった類のものではなさそうな、いわば堅固な構築性とはいえきわめて地味な印象を一般的とす…