yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

1970年未だ社会主義体制下のポーランドジャズ。トマス・スタンコの『Music for k』(1970)を聴く

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ポーランドを出自とするのはコペルニクスショパン、マリ・キュリー夫人ローザ・ルクセンブルク(女性革命家)、ロマン・ポランスキーアンジェイ・ワイダスタニスワフ・レム、ルトスラフスキー、ペンデレツキーなどなど。
さてところでポーランドのジャズ。なぜポーランドか?政治の季節を若き日々通過した世代にとっては、こころなしか忸怩たるも惹かれるものがなくはないだろうか。しょせん他国のことではあるが。
地理的僥倖もあるとはいえ、何とはなしにうまく世渡りし戦後およそ60年、戦死者0という幸運でここに至った我が民にすれば、はっきり物申しかねる疎ましさもあろうというものである。先人の努力、犠牲あったればこその今日であり感謝の念やぶさかではないつもりだけれど、平和の配当、乳母日傘(おんばひがさ)おんぶに抱っこでこんにちここにいたった芯のなさは、今、世間を揺さぶっている事態になすすべを失っているかに見える。
団塊世代の<ミー(私)>イズム(ミーイズム【meism】自分の幸福や満足を求めるだけで他には関心を払わない考え方。自己中心主義。――大辞泉)を、本人もその範疇に入るのだけれど、自己反省をも込めて寺島実郎がいつになく語気鋭く痛烈に批判していたのを朝の勤務途中、車中のラジオ放送で耳にしたことがある。
以下は情け無いながらネット書籍の宣伝要約記事よりの引用。≪著者はいう。「現在の若者の頽廃は、我々の世代が作ったといえる。『軟弱な私生活主義』に浸ってきた我々は、子供たちに社会との正しい接し方を教えて来なかった。そのツケが現れているのだ」「団塊の世代はミーイズムを捨て、今こそ社会に役立つことを真剣に考えねばならない。方法としては『NPO』という新たな公共組織作りに積極的に加担し、そこから社会にモノ申すのがよい」「アメリカへのあこがれの中で育ってきた我々だが、激烈な国際競争を勝ち抜くには、アメリカから卒業し自らの力で世界の競合に立ち向かうべきだ。この視点で日米安保を考えよう」≫
ざっとこんな具合である。おおまかな現実認識として多分的を得ていることだろう。ポストモダンの<公>からのトンズラもふくめて、それらへの指弾でもあるだろう。破壊なくして創造はない。だが建設意志<公>のないところになんの夢があるというのだろう。ダダイストもアプローズ・拍手喝采称賛を必要とするではないか。
ささやかでも一つ一つの市民政治的経験、対話としての政治成熟がいっとう大事であること、これに尽きるのであって、ここからしか何事も始まりはしない。高踏に冷笑、韜晦したところで何になろう。生きた現実に併走することかなわないことは言うを待たない。つねに決断迫られる政治の泥臭い現実こそ評論よりビビッドである。
これほど会社という組織の中であらゆる画期とする創造がなされている世に<組織論>一つまともに哲学できない思想家とはなにか?。
なぜこんな話へと横道それたのか。長きに亘る幾多の国家分断の歴史、東欧諸国のソビエト社会主義政権との政治的角逐、そこに見る反ソ・反政府抵抗運動の悲劇、これであった。とりわけポーランドハンガリーには慟哭苛烈な歴史的悲劇の事態を見る。それは要するにわが国、若人にはアンジェイ・ワイダの抵抗運動えがく映画作品などを見ての甘い悲劇へのロマンでしかなかったのだけれど。
こうしたこともあってのポーランド・ジャズであった。この面構え、このアルバムのポートレイトデザインに魅かれてでもあり、傑れたトランペッターのトマス・スタンコ(1942)であればこそということでもある。『Music for k』(1970)とタイトルされたトランペッター、トマス・スタンコのリーダーアルバム。(Kとは、彼が影響を受け共に活動したクシシトフ・コメダKrzysztof Komeda(1931)本業は医者。ピアニストであり、作曲者としても名声を誇る、東欧モダンジャズの第一人者と説明されているそのKであるそうだ。)
ポーランドの自由・民主化政治の黎明はやはり他の東欧諸国と同時期の1989年であり、1970年といえば体制としてはまだソ連圏であった。しかし現代音楽での動向はポーランド学派とも括られるペンデレツキー、ルトスラフスキーなどにみるように、そうした政治的文化的閉塞を感じさせないほどの前衛を走っていた。
ジャズはどうだ?だが期待は外れていた。68、9年のヨーロッパフリージャズ革新の激流、山下洋輔プロトジャズの独創ブレーク筆頭におく日本フリージャズの奔流など、同時代の事態をみれば、無骨さに新風の予感めいたものを感じさせるテクニックみせるものの随分とオーソドックスなモダンジャズであった。
ロマン潰えたか?いや、いまだ雌伏して時至を待つ黎明の期であったのだろうか。現代音楽シーンのように、こんにち、ポーランドジャズも革新のパトス満ちた響きで豊穣の時満ちているのだろうか。