yuki-midorinomoriの日記

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マウリツィオ・ポリーニで1936年第二次大戦直前のウェーベルン『Variationen Op.27』。1948年大戦直後のブーレーズ『Sonate No.2』を聴く

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Pierre Boulez - Piano Sonata No. 2 - I. Extrêmement rapide:Maurizio Pollini, piano

           

さすがというか、素晴らしく美しい、輪郭明瞭に音起つその際立ちは、喩えようもなくビルトォーゾである。もはや古典の域に入りつつあるかのような手慣れた、ロマンティシズムをさえ感じさせるアントン・ウェーベルン(1883-1945)であり、ピエール・ブーレーズ(1925)ではないか。ピアニスト、マウリツィオ・ポリーニ・Maurizio Pollini(1942)だからなのだろうか。このような流麗ともいえるピアニズムだからこそなのかもしれない。
概して私は演奏者に拘るほうではない。とりわけ現代音楽の場合、作品の演奏実現こそが先決であり、演奏の質云々どころではない。作品が演奏と聴者共で成りたち完結するものとすれば、それはそれで一個の存在であり作品であるともいえよう。思い入れということもある。初恋が淡き永遠の恋にまつり上げられるように、最初に耳にした演奏が名演奏であり名盤だと割り切って思っている。誰の演奏のほうがいいなぞ、私には余り関係のない話ではある。シロウトにとってはほとんどが思い入れであり、プロにとってはシガラミもつ評価であり、ナリワイ、飯の種として棲み分けにも重要なことではあるだろうけれど。
さてウェーベルン!どうしてこのようなシンプルな僅かの音でありながら、一音一音の存在がそれとして生きて際立ち、端然として美しく響くのだろう。その暗冥な時代を映して余りある。
ブーレーズ!これが合理計算しつくされてのピアノ作品か?信じられないほどのその厳しい知性は、このようなワイドレンジに、いささかエキセントリックでもある精緻に刻むリズミックな躍動、煌めく清冽、搖動するロマンをさえ感じさせる世界を構造して暁光の時代に屹立した。至当であり、至言であればこそ何度でも言おう<音楽は、音の芸術ではなく、音と沈黙の対位法である>(ピエール・ブーレーズ)。
ヒトラーの侵攻始まり、おぞましき時代への崩落へと歩みを始めた1936年第二次大戦直前のウェーベルン『Variationen Op.27』であり、終結の曙光に新たな始まりをみた1948年大戦直後のブーレーズ『Sonate No.2』である。このポリーニは素晴らしい。また先のマイブログのチャールズローゼンもいい。いずれにせよ傑作のピアノ作品であることに変わりはない。


アントンウェーベルン―――

≪密度の薄い音響体と冷たい情感が特徴的で、これがブーレーズシュトックハウゼンなどに影響を与えている。一方、ケージは、ウェーベルンの独自な時間感覚やリズム構成をとらえて、「音楽の神髄とは間合いと呼吸にあることを教えた作曲家である」という趣旨の発言をしている。≫

≪ある程度の長い経歴を持つ作曲家がそうであるように、ウェーベルンは時期ごとに音楽を変化させていった。それでもなお、次のような特徴を挙げることができる。
   ・あらゆる音符が明晰に聞き分けられるほど、非常に簡素な響きの織り地
   ・念入りに選び出された音色
   ・実に事細かな演奏者への指示
   ・特殊奏法の頻繁な利用(管楽器のフラッタータンギングや弦楽器のコル・レーニョ奏法       など)
   ・しばしば長7度音程を越える旋律の跳躍
   ・楽曲の極度の短さ(《弦楽四重奏のための6つのバガテル》(1913年)は全体を通して演       奏しても3分しかかからない) ≫

                    ―――(WIKIPEDIA)









Glenn Gould playing Webern, from "The Idea of North"