yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

2008-11-01から1ヶ月間の記事一覧

オリヴィエ・メシアン『彼方の閃光 Eclairs sur l'Au-dela』(1987‐91)。音として聴くことなく逝った絶筆「白鳥の歌」。信仰篤きまなざしの真摯を思わないではいられない固有の世界。

Olivier Messiaen - Éclairs sur l'au delà... (1987-1991) きょうもまたと言うべきか、先日仕事終えての帰宅途中に、自動車のFM放送からたまたま流れていた作品(聴くことが出来たのは真ん中の一部だけだったけれど)を、たぶんと推量しつつも帰宅後ネッ…

『チベット密教 聲明の驚愕』。人間技を超越した驚くべき超低音で唱えられるチベット声明(しょうみょう)。地下の冥界を這うようだ。

Tantra of Gyuto <天国といったところで何がそう簡単に、一足飛びに行けるものか!> 稲垣足穂 きょうは人間技を超越した驚くべき超低音で唱えられるチベットの、お経・声明(しょうみょう)。これぞ仏への帰依にすべてをなげうつ修行の果てに克ち得たとい…

『決定版・中国の名曲集』。収録曲を手蔓に動画サイトで中国五千年、そして只今の文化を聴くのもよし。

二泉映月 きょうも、またまたナンダカなーの決定版!の冠せられた、これまた昨日に引き続き町の図書館で借り受けた『決定版・中国の名曲集』。「変わったジャンルの音楽のメッセージで脳をマッサージ」という我がブログの趣旨にふさわしく、普段あまり聴かな…

『決定版・ワールド・ミュージック』。≪音楽をもたぬ人間社会は存在しない≫

Hamza El Din – Wish 町の図書館で借り受けてもう数回出し入れしているCDが、きょう投稿する『決定版・ワールド・ミュージック』。これは民族音楽シリーズとして出されてるものからセレクトされて出されたもののよし。ま、いいとこ取りの簡便な民族音楽へ…

佐藤允彦『允(ゆん) 佐藤允彦ソロ・ピアノ -2-』(1976)

富樫雅彦 & J.J.SPIRITS – MEMORIES いうまでもなく、あらためて凄いピアノです。佐藤允彦。まずスケールの大きさ。レンジの広さ、これは際立つ。鍵盤をすべて使い切ってのインプロヴィゼーションといいたくなるほどの音の豊麗さだ。癖の強いというか個性的…

山下洋輔トリオ『マル・ウォルドロンに捧ぐ』(1980)。誰が聴いても山下洋輔の疾走とリリシズムのブルーススタイルだ。

Mal Waldron - "Nervous" 図書館でのネット借受した山下洋輔トリオ『マル・ウォルドロンに捧ぐA TRIBUTE TO MAL WALDRON』(1980)がきょうのアルバム。べつにこれでなくてはということでなく、返却期限が迫ってきているということもあり、また2枚しか借り受…

『ネオテニー』。子供、幼児、赤ん坊は人間に限らずどうして愛らしくかわいいのか?

Daddy's Hands I remember Daddy´s hands, folded silently in prayer. And reaching out to hold me, when I had a nightmare. You could read quite a story, in the callouses and lines. Years of work and worry had left their mark behind. I remembe…

『Company 7』(1977)。音楽の生成の現場に居合わすことのスリリングな緊張感。フリージャズ史の貴重なドキュメントとして意義ある一枚。

Company 6 & 7 - LS/TH/AB/SL/MR (2 of 2) 「現実、それは単に正午の健忘症にすぎない。」(ダリ) 即興演奏というものが、それでも私にとって最も大きな可能性となるのは、あらゆる典範(CODE)や記憶から身をそらした時に―それは否定ということではありま…

富樫雅彦クァルテット『スケッチ』(1977)。リリカルでかつウォーム、伸びやかで親しみをもって穏やかに聴くことができるフリーフォームインプロヴィゼーションジャズ。

富樫雅彦クァルテットの『スケッチ』(1977)。ネットを覗いてもヒットしない。どういう訳なのだろう。加古隆のピアノ、翠川敬基のチェロ&ベース、中川昌三のアルトサックス&フルートとのユニット。リリカルでかつウォーム、伸びやかで親しみをもって穏やか…

タモリVS松岡正剛『愛の傾向と対策』(1980)。コトバを崩し笑いものにして遊ぶタレント・タモリとのケセマタ問答にハラヨジレセメネケした対談本。

タモリ各国語バスガイド タモリ 右→松岡正剛 いつぞやだったか、タレントのタモリ は私の脳は舌先にある。その舌が喋っているんで頭では何にも考えていないと喋っていたことがあったように記憶する。それとモットーは反省しないことだとか。ギネスものの長寿…

マウリシオ・カーゲル『ACUSTICA』(1971)。身近にある、簡単な電子機器もふくめて様々なありふれた道具、ガラクタを楽器として使用しての即興コレクティヴパフォーマンス。まさにアコースティック。

Acustica:Apartment House perform Kagel's Acustica at LSO St. Luke's, London as part of the Cut and Splice festival さて今日は飛びっきりアヴァンギャルド、奇矯なパフォーマンス、ハプニングを伴う音楽でその名を轟かし、斯界に驚きと憤激、唖然嘲…

スティーヴ・レイシー&アンドレア・センタッツオ、デュオ『CLANGS』(1976)。スティーヴ・レイシーはいつになく破調し、遊び、彼なりに珍しくアヴァンギャルドしてソプラノサックスを吹いている。

きょう取り上げるスティーヴ・レイシー。地味という印象があるせいか所蔵アルバムはそこそこあるのだけれど、なかなか登場の機会をもてなかった。いつまでも棚でホコリをかぶせておくわけにはいかず、ということで取りあえずはレコードジャケットデザインが…

『清元』。ふりしぼり哀情切々とハイトーンで艶に唄う魅力。

清元國惠太夫×清元延美雪 三千歳1 先日のNHK・FMでの邦楽の番組で「清元」が流されていた。たまたま出くわし聴いた(聞き流し程度だが)だけに過ぎないのだけれど、やはり、艶っぽく張りつめたハイトーンの唄・浄瑠璃と三味線(三絃)に魅かれ感じ入っ…

ベートーヴェン『ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品61』。マキシム・ヴェンゲーロフのヴァイオリンとロストロポーヴィチ指揮するロンドン交響楽団。重いです。

Maxim Vengerov plays Beethoven Violin Concerto in D major op. 61 and Meditation by J. Massenet きょうは、重た~いベートーヴェン、妙にゆたっりしたベートーヴェンということで、図書館にて借りてきたベートーヴェンの『ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作…

ピエール・アンリ『エジプト人の死者の書』(1988)。ノイズの轟然に茫然自失となるとき私に開け示される世界は思念及ばぬ<空・くう>であり、無の存在の現成である。音を連れてそれ!は漸近する。

Pierre Henry : Dislocation http://www.youtube.com/watch?v=NH1c-18wxas ≪原始古代では調律されていない騒音や雑音が主体であった音楽は次第に平均律の構造にむかい、近代においてすっかり騒音を駆除し終わったところへ、再び騒音の復権が持ち出されてきた…

『民音現代作曲音楽祭79-80』。どれを聴いても時代と音・響きに生きていたとの印象を抱かせる。

先日たまたま、仕事帰りの自動車車中のラジオから日本音楽コンクール・作曲部門の本選会での演奏が流されていたのを聴いた。しょうじき悪い意味で驚きました。まだ!こんなこと、こんな音作りに賞が与えられているのかといった印象だった。書法の熟度とかそ…

ワンダ(ヴァンダ)・ランドフスカ『バッハ(チェンバロ)名演集』。

Wanda Landowska plays Bach (1953) 何をしていてこんな時間になったのだろう。今日もわが町の図書館で借り受けてきたCD。めぼしいものが無いとやはりバッハとなる。 ワーグナーの楽劇やら、もろもろのオペラなどセットもの等聴こうと思えばまだまだそれな…

アート・アンサンブル・オブ・シカゴの『スピリチュアル』(1969)。一般的に抱くジャズのイメージを超出した表現主義的コレクティヴ音楽は彼らにしかない魅力だ。音以上のものがつねに鳴り響いている。

Art Ensemble of Chicago – Toro 今日取り上げるLPレコードがオリジナルなのかどうか私は詳らかにしない。ねんのためネット通販サイトで検索してみたところ、タイトルは同じで、もちろん収録曲もそうなのだけれど、CDジャケットデザインがまったく違う。…

沖至『ミラージュ』(1977)。音楽性豊かな素晴らしい熟度のパフォーマンスの愉楽に浸れるアルバム

Itaru Oki trumpet :To free from bondage by Alan silva Vid C.silva part2 レコード解説(悠雅彦)によると、先日≪沖至『幻想ノート』(1975)。ユニットの成熟。すばらしいコレクティヴパフォーマンスが熱い。言語疾走する詩人吉増剛造とのコラボも聴き…

アルフレット・シュニトケ『ピアノ五重奏曲』(1972-1976)ほか。余韻深く、厳かな鎮魂の響き。難解さの一つとしてない真のココロからする祈りの音楽。

Alfred Schnittke: Concerto per viola e orchestra (1985) 人が曲を書くとき、人は世界を作り出しているのである・・・ 表現に値しない音楽の素材など一つもない・・・ アルフレット・シュニトケ 「今日ママンが死んだ・・・」ではじまる小説があった。そう…

翠川敬基『FIVE PIECES OF CAKE』(1975)。ファーストアルバム。ソロ、デュオ、トリオ、クァルテットと編成を変え思う存分しなやかに現代音楽+ジャズし、何より音楽していて見事だ。

先日≪翠川敬基『緑色革命 GRUNE REVOLUTION』(1975)。 高柳昌行の生真面目と佐藤允彦の無碍。際立つ二つの個性とのデュオの敢闘、そのフリーへの濃密な自負。≫とタイトルして投稿したベースおよびチェロの翠川敬基のファーストアルバム『FIVE PIECES OF CAKE…

アンリ・デュティユー『交響曲第2番≪ル・ドゥーブル≫』(1959)ほか。緻密堅固、重厚壮大にオーケストレーションしつつ流麗なさま、まことに見事。豊麗な音色、響きに酔い、惚れる。

Dutilleux- Symphony No. 2 (1/4) 現代音楽を、あーだこーだなんだかんだで敬遠している食わず嫌いのクラシックファンにぜひ聴いていただきたい作曲家であり、作品と言っておこうか。すでに拙ブログで記事を以下のタイトルにて投稿している。 ジャケットデザ…

『ベニスの愛~イタリア・バロック・オーボエ協奏曲集』。バロック音楽はなぜ癒されるのか?

Tommaso Albinoni - Oboe Concerto / Andante バロック音楽はなぜ癒されるのか?とはよく言われていることだけれど。どうしてなのだろう。いまだよくわからない。音楽が神とともにあったからなのだろうか。捧げられるべきものであったからだろうか。音楽を聴…

武満徹・管弦楽曲集『夢の時』(1993)。武満トーンの重層的余韻に浸り堪能。ヴァイオリンが奏でる武満の深い精神の起伏。

Takemitsu - Nostalghia - In memory of Andrey Tarkovsky -- Gidon Kremer *** Utagawa Hiroshige 図書館のネット借受のCDの返却期限が迫ってきたということで、その当のアルバム武満徹『夢の時』(1990)を取り上げよう。初期音源はレコードでほとんど所蔵…

OBSCURE №5 『JAN STEELE AND JOHN CAGE』(1976)。音の過剰でないぶん何か弱々しく、やるせない。けれど居丈高でないだけ心穏やかに音楽に耳傾けることができる。

John Cage -Six Melodies シンプル・イズ・ベスト Simple is (the) best。こんな言葉が巷に流れていたのは70年代のことではなかっただろうか。検索サイトが使えず確かなことは分からないが。今日とりあげるアルバムを聴いていてそのことがまず思い出された…

ドイツフリージャズオーケストラの『グローブユニティ GLOBE UNITY‘74』。WUPPERTALでのライヴ録音シングルドーナツ盤。やはりブロッツマンはフリーキーにのぼりつめています。快感の極み。

今日は、何の音楽を聴いても感興わかず、言葉が出てこない。ということで、ドイツフリージャズオーケストラの「グローブユニティGLOBE UNITY‘74」のWUPPERTALでのライヴ録音(ちなみに同地での73年ライヴのものはすでに投稿済み)、それもシングルドーナツ…

ドン・チェリー『RELATIVITY SUITE・相対性組曲』(1973)。のっけからお経の読経にはじまるドン・チェリー独特の得体の知れぬ民族臭芬々、しかし奇妙さがクセになる愉しいフリージャズ。

DON CHERRY & JAZZ COMPOSER'S ORCHESTRA:01 "Tantra" /3'.16":02 "Mali Doussn'gouni" -HD & HQ audio 相変わらずコンピュータの不都合に振り回され、根もつきました。検索サイトが使えずお手上げということもあり、また時間も気力もないので、アルバム紹介…

ジョン・ケージ『16のダンス・ソロと3人の組み合わせのための』(1951)。自己放棄、人為の彼方からやってくる≪さらりとした音楽≫無上に美しく、虚空に中世的素朴?の不思議が鳴り響く。

John Cage: Sixteen Dances (1951): Tranquility 「今日、音楽が何であるのか?芸術が何であるのか?を知ることは、実にむつかしい。わたしは、今日では、物事が何であるかは知らずにおいて、物事が真になんであるかを経験をとおして見出していくほうが、よ…

松岡正剛『情報と文化』(NTTアド・1986)。情報をキーコンセプトとする広大多岐な人知の渉猟要約編集はまことにスリリングなことこのうえない。

時代は高エントロピーの情報化社会をむかえつつある。情報と自己の関係はますます混沌の度合いを深めるにちがいない。 どうした具合かインターネットエクスプローラの不都合で、3時間近くも無駄な時間を費やしてしまった。何がなんだか分からないままいじり…

翠川敬基『緑色革命 GRUNE REVOLUTION』(1975)。 高柳昌行の生真面目と佐藤允彦の無碍。際立つ二つの個性とのデュオの敢闘、そのフリーへの濃密な自負。

翠川敬基 & 高柳昌行 - くわの木より生まれ出づる姫に 1/2 (1976) 生真面目?な高柳昌行と、無碍の佐藤允彦。その両者との各々のフリーデュオパフォーマンスが敢行されているアルバム。はたして高柳昌行が実際に生真面目で意固地なのか分からないけれど、す…