yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

武満徹・管弦楽曲集『夢の時』(1993)。武満トーンの重層的余韻に浸り堪能。ヴァイオリンが奏でる武満の深い精神の起伏。

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Takemitsu - Nostalghia - In memory of Andrey Tarkovsky -- Gidon Kremer *** Utagawa Hiroshige

               

イメージ 2図書館のネット借受のCDの返却期限が迫ってきたということで、その当のアルバム武満徹『夢の時』(1990)を取り上げよう。初期音源はレコードでほとんど所蔵してはいる。しかし80年央以降音盤蒐集から遠ざかったこともあり、メディア等で何とはなしの聞き流す程度に機会があれば聴いてはいたけれど、それに、前に投稿記事でも言ったけれど80年頃以降のタケミツトーンに、初期ほどの緊張感、きらめきが響いてこず、いささかのマンネリを感じて興味が薄れてきていたということもあった。さてその80年ころまでの<傑作の森>以降の作品の収録されたアルバムということになるのだろうけれど、きょう鑑賞していて気付いたことのひとつにヴァイオリンの使い方、音色にすばらしいものを認めたことだった。武満スピリットが鳴り響いていたのだ。だからと言うべきなのか、武満の敬愛尊崇する映画監督アンドレイ・タルコフスキーへの思いを捧げた『ノスタルジアアンドレイ・タルコフスキーの追憶に―(Nostarghia ― In Memory of Andrej Tarkovskij ―)・ヴァイオリン、弦楽合奏』(1987)と『遠い呼び声の彼方へ!(Far calls. coming, far!,)・ヴァイオリン、管弦楽』(1980)のヴァイオリンソロが入った2作品は興味深いものだった。武満とピアノは、作曲家としての苦いデビューや、哀しみのエピソードなどで、そのもつ意味、重要性が了解できるのだけれど、弦合奏の響き、とりわけヴァイオリンはこの作曲家の精神のありどころ、余韻・深さを示しているようで・・・ささやかな発見だった。「ベリー・インテンス(Very intense)」(ストラヴィンスキー)(wiki)との賛辞享けてのセンセーショナルなデビューが『弦楽のためのレクイエム』であったことを思えば何らの不思議もないことなのかもしれないが。弦の響きの独特の余韻深奥、厳しさは武満の響きの世界そのものといえるのだろうか。最後に次の文章(CD解説より)を載せてこの稿擱えよう。【≪「テクスチュアズ」・・・この作品が彼の管弦楽的空間の概念から生まれたのを知った。――ピッチのスペクトルのなかで、構成要素を1つずつ丹念に配置していくのである。高音域の旋律が描く弧は固有のピッチの「空間」のなかで飛翔し、中音域ではミュートをつけた弦と金管が靄をかけ、低音域では木管と低音弦のクレッシェンドが、ときどき唸り声をあげ、ときにはこっそり忍び込み、不意に姿を現してぎょっとさせる。そのすべてが奇蹟のように時間の連続体のなかで、音楽に織り込まれた鼓動とリズムをともないながら、宙に浮かぶのである。≫(解説・1970年の春から秋にかけて、武満徹に東京、大阪で師事したバリー・コニンハム)】ここには武満トーンの響きの重層的な空間構造が的確に述べられているのではないだろうか。今回はすなおに武満トーンの重層的余韻に浸り堪能したことを付記しておこう。




武満徹管弦楽曲集『夢の時』(1993)

1.「夢の時」(Dreamtime, 1981年)
2.「ノスタルジア」 ―アンドレイ・タルコフスキーの追憶に―(Nostarghia ― In Memory of Andrej Tarkovskij ―, 1987年)(ヴァイオリン、弦楽合奏
3.「虹へ向かって、パルマ」(Vers, l'arc-en-ciel, Palma, 1984年)(ギター、オーボエ・ダモーレ、管弦楽
4.「遠い呼び声の彼方へ!」(Far calls. coming, far!, 1980年)(ヴァイオリン、管弦楽
5.「鳥は星型の庭に降りる」(A Flock Descends into Pentagonal Garden, 1977年)


武満徹、関連投稿記事―
http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/50818026.html 武満徹。深い余韻に一音一音が煌き生きて厳しく屹立する『ウインター』(1971)、『マージナリア』(1976)、それに独奏マリンバとオーケストラのための『ジティマルヤ』(1974)。




Toru Takemitsu - Far Calls. Coming, Far! (1/2)