yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

武満徹

『武満徹 自らを語る』(青土社)。そうかフェデリコ・モンポウとタンゴ・・・。

Federico Mompou plays Mompou Cançons i danses No. 4-5-6 おおむね、武満徹というわが国を代表する音楽史的作曲家のエピソード等の、既知の知識の範囲をでるものではなかったのだけれどおもしろく読めた。ジャズ好きは映画音楽などで聴くことができ了解の…

『タケミツ 愛の歌』(福原久美)。そこはかとなく哀しい余韻。固苦しく構える芸術歌曲じゃない。むしろポップだといえなくもない。

三月のうた ヴォーカル:おおたか静流(おおたか しずる) 三月のうた 作詞・谷川俊太郎 わたしは花を捨てて行く ものみな芽吹く三月に わたしは道を捨てて行く 子等のかけだす三月に わたしは愛だけを抱いて行く よろこびとおそれとおまえ おまえの笑う三月…

武満徹『ノヴェンバー・ステップス』(1967)。ニュアンスは日本人でしか感得できないのか?。

003_ノヴェンバー・ステップスNovember Steps 1/2(1967)前半10:00 きょう仕事帰りの車のラジオから武満徹の『ノヴェンバー・ステップス』(1967)が、フランス(スイスを出自とする)の指揮者シャルル・デュトワとNHK交響楽団によるライヴ演奏で流され…

武満徹「フルート、オーボエ、ハープのための“ユーカリプス2”」。ヴァーチカルな張り詰めた音響空間、その造形がかもす余韻のみごとさ・・・うん?こりゃいいなあ~。

ユーカリプスⅡ 先日、仕事帰り帰宅して車を車庫入れしているときに、ラジオから流れていた曲にいたく感心。ヴァーチカルな張り詰めた音響空間、その造形がかもす余韻のみごとさ・・・うん?こりゃいいなあ~。なんか武満みたいと聴いていたら、そうだった・…

武満徹『ピアノ作品集』。1973年とあるから外装変えての何回かの登場ということなのでしょう。

Tōru Takemitsu: For Away (1973) 投稿音源のものではありません。 いつも人の家で、邪魔をしないようにそっとピアノを借りて弾いていたもので、僕の音楽はほとんどがピアニッシモなんだ。それに下手だったから、ゆっくりしか弾けなかったので、僕の曲にはほ…

武満徹『作品集』。すでに3年ほど前に投稿している内容のものだった。幻想、夢幻的というより宇宙との交感、宇宙的と形容したくなるような響きだ。時代を超越しているのかも。

Toru Takemitsu, Ceremonial An Autumn Ode 投稿の音源ではありません。 未だ聴いてないアルバムのはずと町の図書館で借りてきたのだけれど、なんのことはない、すでに3年ほど前に、ネット図書館で借り受け投稿しているではないか。難儀なことでゴザイマス…

武満徹『海へ Toward the Sea』。オーケストラヴァージョンの世界初演なんだそうで・・・。

海へ 「・・できればクジラのように優雅で、頑健な肉体を持ち、西も東もない海を泳ぎたい。」 とは、その曲のタイトルに寄せられたことばなのだそうだ。 ところで、この『海へ』は3つのヴァージョンをもつ。 海へ(Toward the Sea, 1981年)(アルトフルー…

『武満徹全集1管弦楽曲』<付録・APPENDIX>。最終59枚目。まさに完。

武満徹,Toru Takemitsu : 弦楽のためのレクイエム(若杉弘/NHKso) 25年前、既に私は「鎮魂歌(レクイエム)」を書いた。これは私が作曲家として書いた最初の音楽である。「レクイエム」というタイトルを択んだからには、あの時、死について考えていなかった…

『武満徹全集1管弦楽曲』。それにしてもCD58枚、よくこれだけの音源を聴いたものだ。ナガラの鑑賞とはいえ後期の豊麗極まりない叙情的なその響きの世界は、そうそう簡単に聴き済せるていのものではなさそうだ。

Takemitsu- Coral Island (1/2) 「水の音は、子守唄のようだ。涙のようだ……来ては、また去っていく……私たちはみんな、そういうものでできている……」 若い時の作品で好きだったのは、大阪でやった「二十世紀音楽研究所」の現代音楽祭に彼が出した≪環(リング…

『武満徹全集2器楽曲合唱曲』CD11枚組み。遺稿の中から発見された真の処女作?「ロマンス」(1948-49)に感じ入る。

Elias; Takemitsu "Distance de Fee(妖精の距離)"(1958) うつくしい歯は樹がくれに歌った 形のいい耳は雲間にあった 玉虫色の爪は水にまじった 脱ぎすてた小石 すべてが足跡のように そよ風さえ 傾いた椅子の中に失われた 麦畑の中の扉の発狂 空気のラビ…

CD14枚の『武満徹全集5 舞台TV ラジオ作品, 補遺』。「私にとって世界は音であり、音は私をつらぬいて世界に環のようにつづいている。…形づくるというのではなく、私は世界へつらなりたいと思う。」

Tōru Takemitsu (1930--1996) - Water Music 私にとって世界は音であり、音は私をつらぬいて世界に環のようにつづいている。私は音にたいして積極的な意味づけをする。そうすることで音の中にある自分を確かめてみる。これは私にとって、もっとも現実的なお…

『武満徹全集3 映画音楽1』。先週に引き続きのCD10枚の愉楽。「君も知っているでしょう。ぼくはジャズが大好きだ」。初期のころの何とジャズ音楽の多いことか。

ひとつの夢を無数に紡いでいく、映画は記憶の鏡だとも謂えよう。 (武満徹) White Morning 1965 Soundtrack:ピアノ・八木正生(やぎ まさお、1932 - 1991) 谷川俊太郎――彼が病気になって入院中に書いていた日記の中に「希望を捨てない」って言うのがあって…

『武満徹全集4映画音楽2』なんとCD11枚セット。この音の河に身をゆだね身を晒す快感。これはすばらしい体験であること間違いない。

Takemitsu Soundtrack Documentary (4 of 6) 不真面目なことではあるけれど、CD11枚がセットとなっている『武満徹全集4映画音楽2』をナガラで、つまりはバックグラウンドミュージックとして一応!聴きとおした。イヤー凄いものです。図書館のネット借…

武満徹『マイ・ウェイ・オヴ・ライフ,セレモニアル,系図(英語版),弦楽のためのレクイエム,エア』(1997)。雅楽楽器<笙>と洋のフルート。いいですね~。

Toru Takemitsu: Air for Solo Flute 投稿音源のものではありません。 きのうに引き続き、<笙>奏楽者の宮田まゆみを、図書館蔵書ネット検索していてたまたまヒットしたCDアルバムを取り上げるとしよう。小沢征爾指揮による、武満徹の『マイ・ウェイ・オ…

武満徹『トゥイル・バイ・トワイライト~武満徹作品集』。調性の抒情には、たんなる甘美な旋律を越え、ときに力強く宇宙的時空の広大重厚ささえ響き渡らせる。

Tōru Takemitsu: Les yeux clos II (1988) by Odilon Redon 投稿音源のものではありません。 ≪私がうたいたい旋律(うた)は、単純な叙情の線ではない。それをも含めた、多くの糸が複雑に撚り合わされた、物語る線である。だが、私は、まだそれを手にしては…

武満徹『秋庭歌一具』 伶楽舎(2001)。武満徹の、まるで音を自然へ返そう、送り返してやろうとでもいうかのような音そのものの自然性、本源性へ迫る認識力の透徹。

Takemitsu:In an autumn garden 雅楽:秋庭歌 1/2 先日、≪雅楽、伶楽舎・ 芝 祐靖『陰陽師』。素晴らしい!。自然が起ちあがってくる息吹、息づかい気韻荘重を深く感じさせて秀逸だ。自然が吹き遊(すさ)んでいる。≫とタイトルして投稿した。この≪「古式ゆ…

武満徹・管弦楽曲集『夢の時』(1993)。武満トーンの重層的余韻に浸り堪能。ヴァイオリンが奏でる武満の深い精神の起伏。

Takemitsu - Nostalghia - In memory of Andrey Tarkovsky -- Gidon Kremer *** Utagawa Hiroshige 図書館のネット借受のCDの返却期限が迫ってきたということで、その当のアルバム武満徹『夢の時』(1990)を取り上げよう。初期音源はレコードでほとんど所蔵…

武満徹『ジェモー』。宇宙の観照に深く響く武満トーン。

Toru Takemitsu - Gemeaux, for Oboe, Trombone and Two Orchestras (1/4) 今日も、昨日に引きつづきわが町の図書館で借り受けてきた武満徹の『ジェモー』。予算不足だけれど廉価盤が出たとあっての購入なのだろうか。つい最近所蔵されたようだ。とにもかく…

武満徹『ノヴェンバー・ステップス』(1967)。果たして代表作としていいのだろうか。

Takemitsu:November Steps(excerpt) あの人に会いたい-武満徹 クルクルとジャケとデザインを変えたり、カップリングの組み合わせを変えたりで、どれがオリジナルの初版なのかわからなくなってしまっている。今日取り上げる、図書館で借りてきたCD、武満徹…

武満徹『ア・ストリング・アラウンド・オータムA String Around Autumn』(1989)余韻深く静かなエネルギーに満ちて宇宙大に響く、重層的な深みのある響きで抒情を謳う。

Takemitsu, Viola concerto "A string around autumn" {Part 1/2} ― 私が表したかったのは静けさと深い沈黙である。― アルバムタイトルが『ア・ストリング・アラウンド・オータムA String Around Autumn』(1989) と言うことで、少々時期を失している投稿とな…

武満徹。深い余韻に一音一音が煌き生きて厳しく屹立する『ウインター』(1971)、『マージナリア』(1976)、それに独奏マリンバとオーケストラのための『ジティマルヤ』(1974)。

Toru Takemitsu - "Gitimalya" for marimba and orchestra 武満の芸術は能から来たものだ、といえば、誤解を招くのは当然だ。しかし神事でも執り行うような極度に様式化された音の動きのなかで、精神的な緊張のひじょうな高さと厳しさとをきき手に、伝えずに…

余韻に独特な武満の濃密な情緒性を、意図的に排除しているように聴こえた高橋悠治のピアノ。『武満徹の芸術・ミニアチュ-ル第3集』(1972)。

瀧口修造 『ピアノ・トリステ、武満徹と黛敏郎』と題してこのアルバム写真はすでに出されている。そこでは、ピアノ作品に関してというより、尾ひれもついている事だろう、あまりにも有名なピアノにまつわる悲話をめぐっての記事だった。シロウトの印象批評だ…

日本的余情の響きと冥い情念のうめき。どこをとっても武満というほかないこの余韻深い響き。大島渚監督作品『愛の亡霊』(1978)オリジナルサウンドトラック。

Empire of Passion / In the Realm of Passion / Ai no borei (Seki and Toyoji) 武満徹の映画音楽。日本的余情の響きと冥い情念のうめき。どこをとっても武満というほかないこの余韻深い響き。≪映像と音とが緊迫感をたたえて切り結ぶ「一音の構造」の美学を…

『パルレ・モワ・ダムール』、何とすばらしい音楽でしょう!あの経験は死ぬまで忘れられないでしょう。その時です、いつか戦争 が終わったら作曲家になろうと決めたのは。―武満徹

Lucienne Boyer 以下、拙い私の武満徹のブログ書庫内の記事よりの抜粋である。 ≪武満徹が音楽の世界へ入って行くきっかけとなったのが、戦争中に聞いたシャンソン『聴かせてよ、愛のことばを』であったことは有名な話であるが、若くして亡くなった父親がモダ…

音の余韻をひたすら聞く、武満絶頂期の作品でありアルバムなのでは?『TASHI plays TAKEMITSU』(1978)。

Toru Takemitsu"Textures" / NHK Symphony Orchestra ≪神はみずからものをいうことはない。神がその意を示すときには、人に憑(よ)りついてその口をかりるのが例であった。いわゆる口寄せである。直接に神が臨むときには、「おとなふ」のである。「おとなふ…

廃墟と化した遺跡に悠久の時を隔て響き渡るエキゾチックで玄妙・幽玄な武満サウンド『未来への遺産』(1975)

武満徹:未来への遺産 メロディアスで印象的な汎古代といってもいいような、すべからくエキゾチックな響きのタイトル音楽とともに、壮大な廃墟と化した古代遺跡へと経巡る「沈黙の廃墟に人類の明日のあり方を問う」NHK・TVならではのドキュメンタリー番…

演奏者との幸せな音の始原への旅。『ミニアチュール第二集・武満徹の芸術』(1973)

スタンザII:『スタンザⅡ』(1971)ハープ奏者ウルスラ・ホリガーのために作曲された。アンサンブル曲であるが共演者は別のハープ演奏を電子的に加工したテープ。テ ープには人声や水笛のような音も入っている。生ハープとミュジッ ク・コンクレートのコラボ。…

音のゆくすえ、音を出したあまりの部分に濃密な余韻を響かす武満徹の『四季・シーズンズ』(1970)と『ムナーリ・バイ・ムナーリ』(1967)

Tōru Takemitsu ~ Munari by Munari ≪結局は僕にとってかかれた音譜自体はそんなに意味がないということにつながるんです。つまり、音を出したあまりの部分――それは聴こえないわけだけれど――がやっぱり大事だということですね。そこには、どうしても音は帰っ…

武満徹の山下ツトムの独奏打楽器との『カシオペア』(1971)と石井真木の雅楽とオーケストラのための『遭遇Ⅱ・<1971>』

さすがに毎日ブログろうとすると疲れる。文筆を生業とするプロのようにネタがコンコンと湧いてくる才と蓄積でもあればいいが、そうでないシロウト身にはキツイ難行苦行でもある。とまあ、泣き言めいたつぶやき、ぼやきが出もするが、歳の所為もあり、一種、…

武満徹のバーチカルでダイナミックに拍動する室内楽の響き『スタンザ第一番』(1969)ほか

環(RING)の " I " 武満徹は小編成の室内楽が自分にとってもっともふさわしい形式であるといっていたそうである。 それは大オーケストラなどの演奏機会を得ることの現実的な難易を意味していることもあるだろうけれど、彼の響き、音色への志向性にとっては…