yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

『武満徹全集2器楽曲合唱曲』CD11枚組み。遺稿の中から発見された真の処女作?「ロマンス」(1948-49)に感じ入る。

イメージ 1

Elias; Takemitsu "Distance de Fee(妖精の距離)"(1958)

          うつくしい歯は樹がくれに歌った
          形のいい耳は雲間にあった
          玉虫色の爪は水にまじった
          イメージ 4脱ぎすてた小石
          すべてが足跡のように
          そよ風さえ
          傾いた椅子の中に失われた
          麦畑の中の扉の発狂
          空気のラビリンス
          そこには一枚のカードもない
          そこには一つのコップもない
          欲望の楽器のように
          ひとすじの奇妙な線で貫かれていた
          それは辛うじて小鳥の表情に似ていた
          それは死の浮標のように
          春の風に樓まるだろう
          それは辛うじて小鳥の均衡に似ていた

               (滝口修造「妖精の距離」)

            

「わたくし、ああいう少ない音で余韻が沢山あるような曲がすきなんです。なんていったらいいのかしら、とにかくすてきな音がする曲でした。弾いていて、この方は音にたいしてすごく敏感な方だと思いました。あの曲、あとで藤井一興さんが弾いたCDがございますが、わたくしの記憶(引用者注―楽譜が初演後に紛失、不明)では、あんなに沢山音がなかったと思います」(藤田晴子/「立花隆・音楽創造への旅」より)

これは武満徹の公式に発表された、あの「音楽以前」だと酷評され、陰で涙したとして、あまりにも有名なエピソードをもつ最初のピアノ作品「二つのレント」を初演し、その後もラジオで紹介の再演奏機会をもった才媛ピアニスト藤田晴子(2001年83才にて没)(法律学者で弁護士の父親の留学に伴いドイツ・ライプツィヒに6年滞在、10歳のときに帰国。東京府立第一高女に入学。同時に芸大(旧東京音楽学校)教授だったレオ・シロタ(Leo Sirota, 1885 - 1965)に師事。)そのシロタの門下生(家庭の事情で月謝が払えなくなっても、「月謝はいらないから引き続き来るように」と言って、十数年後にシロタが日本を去るまでレッスンは無料だった。)で、第1回毎日音楽コンクール(1938)ピアノ部門第1位受賞。女性にはじめて門戸解放された東京大学に1946年、現役のピアニストでありながら(「ピアノだけで食べていけるかどうか不安だったから」と)法学部に入学。同期生には安倍晋太郎などがいた。卒後成績優秀により助手として採用されるも、その後、助手を辞し国立国会図書館に職(次官級の専門調査員)を移して、ピアニストとしての活動もつづける。)のことばだ。

その初演者・藤田晴子が語る武満徹との出会い。

【 <40年前の武満徹氏の初演依頼の想いで>           写真:藤田晴子(1957年頃)
イメージ 3「昭和25年(1950)年の、ある雨の夜、ベルの音に門のところまで出てみると、暗い雨の中に、素足に下駄ばきの武満徹氏が、たしか紺絣姿か何かで傘をさして立っておられた。師の清瀬保二氏の紹介で、初演の依頼に見えた20歳の武満徹氏を家にお通しすると、雑談の中で、「ぼくは探偵小説も書いています」と言われ、また、日本ではまだ著名でなかった「メシアン」の名を幾度か口にされた。私は≪二つのレント≫をこの年12月7日の「新作曲派協会第7回作品発表会」(読売ホール)で初演し、その後、ラジオの私の独奏番組でも弾かせていただいた。そのとき、うしろで聴いておられた武満氏の鼓動が、今も鮮明に記憶に残っている。」(藤田晴子「音楽芸術1990年2月号」)】

ところで、この図書館ネット借受の『武満徹全集2 器楽曲合唱曲』ではじめて聴いた印象深い作品があった。

いままで処女作とされていた「二つのレント」よりまえに、遺稿の中から発見された、それより前の真?の処女作「ロマンス」(唯一の師ともいえる清瀬保二へ捧げられた)が収録されており、これは私も初耳(今回初CD化のよし)で興味深く聴き、感銘を受けたのだった。日本的余情をもつひじょうにセンシティヴな叙情的といってもいい作品だ。

主要室内楽・器楽作品等々、そのほとんどを蒐集アルバム等で聴いているとはいえ再聴(云うまでもなく?ナガラでだけれど)して、ヴァイオリン作品に感銘を深くしたのは収穫だった。つまりは、それを<歌>の心、こころの<うた>だったと言ってもいいのかも。



武満徹全集2器楽曲合唱曲

イメージ 2第2巻 ロマンス、二つのレント , 妖精の距離 , 遮られない休息 I,II,III , ソン・カリグラフィ I,II,III , マスク、ランドスケープ、ピアノ・ディスタンス , 環(リング)、ピアニストのためのコロナ , サクリファイス、ソナント、悲歌(ヒカ)、蝕(エクリプス)、クロス・トーク -サム・フランシスのための- ,
スタンザ I , ヴァレリア、四季、ムナーリ・バイ・ムナーリ ,声(ヴォイス)、ユーカリプス II , スタンザ II , ディスタンス、フォー・アウェイ ,旅、ガーデン・レイン , フォリオス、フォリオⅠ、フォリオⅡ、フォリオⅢ、ブライス、波(ウェイヴズ)、カトレーン II , ウォーターウェイズ、閉じた眼-瀧口修造の追憶に- ,
閉じた眼 II , ア・ウェイ・ア・ローン , 海へ , 雨の樹 , 雨の呪文 , 雨の樹 素描 , 雨の樹素描 II-オリヴィエ・メシアンの追憶に- , クロス・ハッチ ,揺れる鏡の夜明け , 十一月の霧と菊の彼方から ,オリオン(犂)、アントゥル=タン、夢みる雨 , シグナルズ・フロム・ヘヴン -Two Antiphonal Fanfares- , すべては薄明のなかで -ギターのための4つの小品- , 海へ III , 巡り -イサム・ノグチの追憶に- ,
リタニ -マイケル・ヴァイナーの追憶に- , ギターのための小品 -シルヴァーノ・ブソッティの60歳の誕生日に- , そして、それが風であることを知った , エキノクス、ビトゥイーン・タイズ , 径(みち)―ヴィトルド・ルトスワフスキの追憶に―、鳥が道に降りてきた , 森のなかで -ギターのための3つの小品- , エア、不良少年、子供のためのピアノ小品、ヒロシマという名の少年、星たちの息子(編曲) -第一幕への前奏曲「天職」- , ギターのための12のうた , ラスト・ワルツ(編曲) , ゴールデン・スランバー(編曲) , 秋のうた、風の馬 , 芝生、手づくり諺 -四つのポップ・ソング- , うた


引用だらけだけれど、備忘録としてお赦しを・・・。

表現は、人間の生命の証であり、その他の何でもない。「情緒」というようなことは、芸術の本質とは何の関係もない低い次元の問題だと思う。僕は、われわれの内部にひそむ日本的な感覚を大事にしなければならないと思うが、それになじんでしまうこともおそれる。作曲家の態度は、「音」に立ち向かう姿勢によって決定されるのだと僕は考える。作曲家は「音」とよばれる絶対権の力によって、広大な領域の精神―感動―が、すべてのもの、前にあることに、そして、それが自身のうちにあることに気付いた時に、はじめて歩むことができる。独自な音感覚というものは、決して、意識や観念によって作られるものではないが、かと云って、偶発的にあらわれてくるものに、安直に身を委ねることもいけないと思う。そうした態度からは、芸術としての力をもった作品は生まれないで趣味的なものとどまってしまうだろう。
ヨーロッパ音楽の長い歴史のなかで、いつか、われわれは、便宜的な機能の枠の中でだけ「音」を捉えようとしてしまった。だが、物理学的な法則によってのみ連結され得るものだけが、「音」ではない。作曲家にとって、「音」のひとつは心の動きの用語であり、説明を越えた影像の小片であり、その複雑な容貌のひとつを写し出すものである。
「音」は1つの持続であり、瞬間の提出である。その意味で、便宜的な小節構造の上に成立つ形式は虚しい。僕は、平均律的な思考法、いいかえれば、便宜的な機能主義からは、もはや何も生まれないと思っている。「音」は曖昧な機能の中に死のうとしている。
音楽は、儀式や行事に従属した使用価値としての存在から解放されて、人間の内部に位置し、表現芸術としての使命をもった。作曲家は、音の感覚的世界を通じて、人間存在の本質を探究しつづけた。そして、形式が生まれた。しかし、長い歴史の間に、音楽はその使命を危うくしている。作曲家が、その本来の目的から離れて、「方法」の追求にのみ終始するようになったからだ。僕の仕事は、「音」に、曖昧な機能のなかで失われてしまったエネルギーを回復すること、それが出発であり、究極だ。たしかに、音楽は数理的な秩序の上に成り立つものだ。しかし、いつでも僕らが避けなければいけないのは、態度(アティテュード)と常套(プラティテュード)にしてしまうことだ。われわれは、新しい音の秩序を発見しなければならない。
僕らが、そうした自覚をもつことで、凡ゆる音楽的素材は、新しい意味と可能性を帯びてくる。また、未発掘の豊富な音楽資源は生命的なものになってくる。
作曲家は考古学者ではないのだ。そして、芸術作品は、精神と現実―「音」―との沸騰的な交渉の後に、沈殿して生じた結晶であるべきだ。Musique Concreteは、認識の最高の方法として僕の前に在る。僕は、この方法から作品を創ると云うより、集中的な精神の運動をしようと試みる。Musique Concreteは、非常に表現的な方法だと思うが、僕自身は、行動という言葉に近い感覚でこれを捉えている。非現実的な音響の結合のそ方―触発的な、偶然的な―で、思いがけない風景を再構成(リ・コンストラクト)する。そして、僕の精神が集中される時、僕は突然、現実のもっとも豊かな源に触れることができる。僕は、この方法によって非合理な魂を培おうと思っている。
そして、そこから僕の表現が生まれて来る。(「音楽芸術」1959年8月号)

「音楽の喜びというのは、結局、悲しみとつながっているように思う。その悲しみとは、存在の悲しみだ。音楽を作る純粋な幸せに満たされれば満たされるほど、その悲しみは深まる」