武満徹『ア・ストリング・アラウンド・オータムA String Around Autumn』(1989)余韻深く静かなエネルギーに満ちて宇宙大に響く、重層的な深みのある響きで抒情を謳う。
― 私が表したかったのは静けさと深い沈黙である。―
アルバムタイトルが『ア・ストリング・アラウンド・オータムA String Around Autumn』(1989) と言うことで、少々時期を失している投稿となってしまった。(図書館にて借りてきたアルバム)別に収録曲全部がそうした時節に関係あるというわけではなく、たぶん武満トーンなる響きが、とりわけ70年後半以降のそれが秋と言うイメージを呼び起こすゆえなのだろう。秋と言えば静かさだ。≪「秋は自然や植物がしずかに微妙な変化を見せる季節である。・・・・秋は静けさだけが永遠である」(P・ルヴェルディ)≫また≪「私は秋と冬が好きだ、その季節になると風景の骨格が感じられる。その孤独さ。冬の死んだようなひそやかさ。その下で何かが待っている。全体の姿は現れない。」(A・ワイエス)≫とのことばがあるように、静謐、静寂を旨とする思索的な芸術家にとっては、秋という季節のイメージは斯く感興を呼び起こすようだ。ところで陰鬱、憂愁ともいえる美しい抒情的な響きがメロディアスに調性を前面に打ち出して作り出されてくるいわゆる「調性の海」への作風の変移は1970年代後半からのことのようだ。(というのも80年代央ころより現代音楽の音盤蒐集から遠ざかったのでこのような言い方しか出来ないのだ)≪オーケストラ作品の分野では、1977年11月に初演された「鳥は星形の庭へ降りる」≫(解説・木幡一誠)からがそうした「調性の海」への船出だったそうである。その頃からだろうか、<何を聴いても似たような響き>となかば批判めいてもいるオーケストラ作品群が世に出されたのは。確かにそうした印象のするのを私も否定はしないが。マンネリとみるのか豊饒の海への旅立ちとみるのか、集中的に後期の作品を聞いていないので判断の迷うところではあるけれど。しょうじき、私はこれ以前の、すなわちこの稿でいえば≪1977年11月に初演された「鳥は星形の庭へ降りる」≫以前の武満作品の方が私の好みではある。というも、間違うかたなく、ここには武満がジャポネーズがぎっしり詰まって響いていることは言わなくてはならないだろう。しかも余韻深く静かなエネルギーに満ちて宇宙大に響いているのだ。まことに重層的な深みのある響きでロマンティシズムを謳うのだった。それらは<間・ま>の詰め方の独創天与がそうした響きを創りあげているのだと私には思える。収録曲を見て今ふと思ったのだけれど、武満トーンのイメージの根源、そのキーワードは「海」、「秋」、「水」、「樹」であり、「生命と宇宙」なのではと感得したが、どのようなものだろう。
収録曲は
1.A String Around Autumn (1989) for viola and orchestra
2.I Hear The Water Dreaming (1987) for flute and orchestra
3.A Way A Lone II (1981) for string orchestra
4.Riverrun (1984) for piano and orchestra
1.A String Around Autumn (1989) for viola and orchestra
2.I Hear The Water Dreaming (1987) for flute and orchestra
3.A Way A Lone II (1981) for string orchestra
4.Riverrun (1984) for piano and orchestra
――「見ること、それは目を閉じることだ」(ヴォルス)―