川合玉堂の品格と画格、詩情満ちる印象深い作品と時節の静謐をうたう漢詩。
峰の夕(1935)
落 葉 し て 木 々 り ん り ん と 新 し や (西東三鬼) 遠 山 に 日 の 当 た り た る 枯 野 か な (高浜虚子)
先日図書館で借りてきた、横山大観、下村観山、菱田春草らと並んで画業成した川合玉堂(かわい ぎょくどう、本名:芳三郎(よしさぶろう)、1873 - 1957)の画集より、その品格と画格、詩情満ちる印象深い作品を貼り付け、且つ、これまた手にして偶々目に飛び込んで良い詩だと思った漢詩を載せて今日は筆を擱くこととしよう。
題破山寺後禅院 破山寺の後の禅院に題(しる)す (常建)
清晨入古寺 清き晨(あした)に古き寺に入れば
初日照高林 初(ほの)かなる日は高き林を照らす
竹逕通幽處 竹のしたの逕(みち)は幽(ふかき)処に通じ
禪房花木深 禪房(ぜんぼう)には花木(かぼく)の深し
山光悦鳥性 山の光は鳥の性(せい)を悦ばしめ
潭影空人心 潭(ふち)の影(ひかり)は人の心を空しくす
萬籟此都寂 萬籟(ばんらい)は此(ここ)に都(すべて)寂(ひそ)まり
但餘鐘磬音 但(た)だ鐘磬(しようけい)の音を餘すのみ
初日照高林 初(ほの)かなる日は高き林を照らす
竹逕通幽處 竹のしたの逕(みち)は幽(ふかき)処に通じ
禪房花木深 禪房(ぜんぼう)には花木(かぼく)の深し
山光悦鳥性 山の光は鳥の性(せい)を悦ばしめ
潭影空人心 潭(ふち)の影(ひかり)は人の心を空しくす
萬籟此都寂 萬籟(ばんらい)は此(ここ)に都(すべて)寂(ひそ)まり
但餘鐘磬音 但(た)だ鐘磬(しようけい)の音を餘すのみ
焚火(1903)
【「山光は鳥性を悦ばしめ 潭影は人心を空しくす」鳥性とは面白い言葉である。天地の中の一物として生活する万物が、天地からそれぞれに賦与された生命の原理、それが性であり、人間の性といえば、良心である。鳥にも性はあるにはちがいない。さればこそ、つやつやしい山の空気の中に、嬉嬉として遊んでいる。人間も、この空気の中にあっては、すべての妄念を去る。潭の影(ひかり)の清らかさにいざなわれて、人の心も清らかに空しい。世の中の最も清浄なものを吸収しつくしたのが、この小さな空間であるようであり、雑音は、何ひとつきこえない。「万籟は此に都べて寂(せき)」である。ただその静寂を一そう深めるものとして、聞こえるのは、きよらかな鐘の音、磬の音。磬とは石をみがいて作った打楽器であり、高くすんだ音を発する。】(岩波新書「新唐詩選」吉川幸次郎、三好達治著)
【「山光は鳥性を悦ばしめ 潭影は人心を空しくす」鳥性とは面白い言葉である。天地の中の一物として生活する万物が、天地からそれぞれに賦与された生命の原理、それが性であり、人間の性といえば、良心である。鳥にも性はあるにはちがいない。さればこそ、つやつやしい山の空気の中に、嬉嬉として遊んでいる。人間も、この空気の中にあっては、すべての妄念を去る。潭の影(ひかり)の清らかさにいざなわれて、人の心も清らかに空しい。世の中の最も清浄なものを吸収しつくしたのが、この小さな空間であるようであり、雑音は、何ひとつきこえない。「万籟は此に都べて寂(せき)」である。ただその静寂を一そう深めるものとして、聞こえるのは、きよらかな鐘の音、磬の音。磬とは石をみがいて作った打楽器であり、高くすんだ音を発する。】(岩波新書「新唐詩選」吉川幸次郎、三好達治著)
老松蒼鷹図(1928)6曲1双