武満徹『ノヴェンバー・ステップス』(1967)。ニュアンスは日本人でしか感得できないのか?。
きょう仕事帰りの車のラジオから武満徹の『ノヴェンバー・ステップス』(1967)が、フランス(スイスを出自とする)の指揮者シャルル・デュトワとNHK交響楽団によるライヴ演奏で流されているのを耳にする機会を得た。
【 ベストオブクラシック - NHK交響楽団 第1744回 定期公演 -
「ノヴェンバー・ステップス(1967)」 武満徹・作曲
(尺八)柿堺香
(琵琶)中村鶴城
(管弦楽)NHK交響楽団
(指揮)シャルル・デュトワ 】
「ノヴェンバー・ステップス(1967)」 武満徹・作曲
(尺八)柿堺香
(琵琶)中村鶴城
(管弦楽)NHK交響楽団
(指揮)シャルル・デュトワ 】
どんなんかな~と、耳そばだて(運転中なのに)聴いていた。
ウ~ン、これが武満か?だった。やはりね。(けれどブラヴォーの声しきりだった。???)ヴァーチカルに打ち込む間と緊張感が招き寄せる余韻が希薄で、横に流れてしまう(ホリゾンタルな)メロウな響きの音楽になってしまっていた。日本人でしか分からないニュアンス、気韻とはいいたくないんだけれど・・・。やはり違います。
なんだかなあ~で、演奏が終わっちゃいました。
こんなことを言ってる限り、この曲は普遍性をもたないのかなと思ったりするけれど・・・。たしかに現実問題として、尺八奏者と琵琶奏者を二人して演奏の場に揃えることじたい、時と場所を選ぶ困難であるだろうし。
ちょうど5年前に『ノヴェンバー・ステップス』を以下投稿していたのだった。
004_ノヴェンバー・ステップスNovember Steps 2/2(1967)後半