yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

CD14枚の『武満徹全集5 舞台TV ラジオ作品, 補遺』。「私にとって世界は音であり、音は私をつらぬいて世界に環のようにつづいている。…形づくるというのではなく、私は世界へつらなりたいと思う。」

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Tōru Takemitsu (1930--1996) - Water Music

              

私にとって世界は音であり、音は私をつらぬいて世界に環のようにつづいている。私は音にたいして積極的な意味づけをする。そうすることで音の中にある自分を確かめてみる。これは私にとって、もっとも現実的なおこないなのだ。形づくるというのではなく、私は世界へつらなりたいと思う。(「ヤマハニュース」1962年3月号)

さてさて、きょうは、CD14枚の『武満徹全集5 舞台TV ラジオ作品, 補遺』。ほぼ一月ほど前に≪『武満徹全集4映画音楽2』なんとCD11枚セット。この音の河に身をゆだね身を晒す快感。これはすばらしい体験であること間違いない。≫と投稿し、そしてその勢いで1週間後には≪『武満徹全集3 映画音楽1』。先週に引き続きのCD10枚の愉楽。「君も知っているでしょう。ぼくはジャズが大好きだ」。初期のころの何とジャズ音楽の多いことか。≫と投稿した。こうなるともう意地でも残りを聴こうと、図書館のネット予約で借り受けた。メインの楽曲集でない所為か(CD化されていないゆえ却って、こうした音源(集)の方が貴重といえば言えるのだが)予約者もなくすぐに借りれた。前回と同イメージ 3様これだけ大部の長時間ものゆえ、ナガラでの鑑賞でしかなかったが。よくもまあ、これだけさまざまな意匠の音楽が、響きが、音が武満(ひとり)の手にかかり遺されたものだと感服のほかない。それと、ほとんど散逸もせず、こうした多岐にわたる音源を集め、おまけに詳細な情報を網羅した著書(音源もさることながら各巻に付された著作の方も音源と相等に貴重で価値がある。むしろこちらのほが全集としての価値があるといえるのかも。)まで編集し付したその労力たるや、後世に誇りうる事業といえよう。斯く、この『武満徹全集5』収録の音源のほとんどは、私にも初耳のものばかりだった。なかでも、興味深く聴けたのは≪ルリエフ・スタティク , ヴォーカリズムA・I , 木・空・鳥、クラップ・ヴォーカリズム , 空、馬、そして死 , クワイエット・デザイン , 水の曲 , トゥワード、波長、ミネアポリスの庭 , 静寂の海、イン・モーション ―音と映像による音楽作品≫といったミュージック・コンクレート作品群だった。とりわけ長尺ものの≪波長、ミネアポリスの庭 , 静寂の海≫だった。このような環境音楽的と云ってもいいようなスタティックな静謐感漂うテープ音楽作品があるとは今回はじめって知ったのだった。

    写真:巻物のように長い<日本の文様>の楽譜に手を入れる武満→

1974年から2年間、「未来への遺産」というシリーズをいっしょにつくったとき、はじめのほうの回でエジプトの古代神聖文字をシャンポリオンが解読した話がとりあげられた。そのときから、彼は未解読の古代文字に大いに興味をもったようだ。未解読の文字ばかりでなく、既に解読済みのメソポタミア楔形文字や、そのころ解読の方向がみえはじめた古代マヤ文字にも、新たな疑いを投げかけるのである。それも、われわれが抱くふつうの疑いではなくて、みていると自分には旋律がきこえてくるから、太古の音楽の記譜ではないか?というものであった。古代クレタの線文字やインダス、イースター島の奇怪な未解読文字が画面に現れるたびに、「これ、ほんとは譜面じゃないかなあ」と叫ぶのである。「文字だと思いこむから読めないんだよ」と言うので、もし楽譜だとしたら?ときくと、古代マヤの石碑にびっしり彫られた、美しい象形文字をみながら、「楽譜だとしたら、たとえばこんなふうかな」と、ささやくように、じつにきれいな悲しい歌を歌いはじめたのである。私は凍りついたように聞き惚れた。終わってから、録音しておけばよかったと後悔して、もういちど歌ってくれとせがんだのだが、なんの根拠もない即興だから、再現はむりだと笑ってとりあってくれなかった。
知られざる聖歌のようだったあの旋律も、それを歌っているときの彼の至福の表情も、消えてとり返しがつかないのが悲しい。(吉田直哉「忘れ得ぬ言葉」)

武満徹全集5 舞台TV ラジオ 作品, 補遺』

第5巻 さよなら、小さな部屋で , うたうだけ , 恋のかくれんぼ , ○と△の歌 , 小さな空 , 見えないこども , 雪 , 素晴らしい悪女 , 雲に向かって起つ , 死んだ男の残したものは , 三月のうた , ワルツ、めぐり逢い , 燃える秋 , 翼、島へ , 明日ハ晴レカナ、曇リカナ , ぽつねん , 昨日のしみ , ルリエフ・スタティク , ヴォーカリズムA・I , 木・空・鳥、クラップ・ヴォーカリズム , 空、馬、そして死 , クワイエット・デザイン , 水の曲 , トゥワード、波長、ミネアポリスの庭 , 静寂の海 , 夏と煙、野性の女、アンフィトリオン38、せむしの聖女、トロイ戦争は起こらないだろう、国性爺、海賊、死せる女王、狼生きろ豚は死ね、お芝居はおしまい、黒の悲劇、一の谷物語 ―琴魂―、カラマゾフの兄弟、祝典喜劇 ポセイドン仮面祭、シラノ・ド・ベルジュラック子午線の祀り、ウインズ ―翼―、音の四季 ―現実音と音楽による交響詩、海の幻想、炎 ラジオファンタジー、Kの死、秋の蝶、男の死 ―立体放送のためのカンタータ・ディアロジーク、顔またはドン・ファンの死 ―狂言様式による放送劇、心中天の網島、ポジション ―声のコラージュ、白い恐怖 ―ラジオのための構成詩、瘋癲老人日記、チャンピオン ―音響による建築学的試み、津の国人、かたちもなイメージ 2く寂し、上海幻影路、家なき子、あざのある女、ムックリ吹く女、日本の文様、祭、雲に向かって起つ、正塚の婆さん、青春の碑、目撃者、ある女の影、源氏物語源義経楠木正成足利尊氏、あなたは…、剣、恩讐の彼方に、悪一代、天皇の世紀、イン・モーション ―音と映像による音楽作品、我が愛、私という他人、未来への遺産、冬の虹、命もいらず名もいらず・西郷隆盛伝、ルーブル美術館 ―絢爛たる人類の遺産―、赤穂浪士、血族、夢千代日記、NHK市民大学、ジョバンニの銀河・1983、まあえいわいな、話すことはない、波の盆、21世紀は警告する、おさんの恋、谷崎・その愛、我という人の心は、禅の世界、今朝の秋、山頭火 ―何でこんなに淋しい風ふく―、源氏物語絵巻、太陽の狩人、WONDER WORLD、ファーム・ソング ―『日本人』第3部―、シルクロード ―光と風と音―、インランド・シー、日本映画の百年、NHKバック音楽、自然 秋、自然 波、自然 宇宙空間、情緒 叙情、学術 歴史遺産、宗教 仏、日本物 能、日本物 武士道、日本物 北陸、自然 春、自然 深夜、情緒 活気、情緒 追憶、情緒 目覚め、産業 建設、日本物 茶室、外国 アフリカ風、子供 幼児、二つのメロディ、二つの小品、二つの作品、室内協奏曲、パナンペのおもいがけない勝利の話 ―アイヌ民話よりの自由な脚色、シーン、愛して、あわれみたまえ、お休み!、3たす3と3ひく3、夕暮れに、枯葉、L.A.New York,Paris,Rome,Helsinki、


毎度のことながら武満徹のことばの引用をもってこの稿擱くこととしよう。

ぼくは、1948年のある日、混雑した地下鉄の狭い車内で、調律された楽音のなかに騒音をもちこむことを着想した。もうすこし正確に書くと、作曲するということは、われわれをとりまく世界を貫いている「音の河」に、如何に意味(シニフィエ)づけるか、ということだと気付いた。(「三田文学」1959・10月号)

作曲家は考古学者ではないのだ。そして、芸術作品は、精神と現実―「音」―との沸騰的な交渉の後に、沈殿して生じた結晶であるべきだ。Musique Concreteは、認識の最高の方法として僕の前に在る。(「音楽芸術」1959・8月号)


Toru Takemitsu:Nami no Bon 武満徹 「波の盆」