yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

音の余韻をひたすら聞く、武満絶頂期の作品でありアルバムなのでは?『TASHI plays TAKEMITSU』(1978)。

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      Toru Takemitsu"Textures" / NHK Symphony Orchestra

        

≪神はみずからものをいうことはない。神がその意を示すときには、人に憑(よ)りついてその口をかりるのが例であった。いわゆる口寄せである。直接に神が臨むときには、「おとなふ」のである。「おとなふ」「おとづれ」は神があらわれることをいう。それは音で示される≫(白川静『漢字百話』中公新書

イメージ 2私たちは、武満の音楽には、まず音の余韻をひたすら聞くということを印象することは間違いのないことだと思われる。それほどに、音色、響きの独特を残しえた作曲家である。武満徹には、この世界、宇宙に音は充満しているのだろう。
【≪・・・それから、僕は「音は黒板のように詰まっている」という気がするんだけれど、これも、なぜ「黒板のように」なのかわからない。とにかく黒板のようにみっしり、上に続いているように思えるわけです。ヨーロッパでは白色雑音という言い方をするけれど、僕には黒いものに映じている。有機的に、生きていて、そして黒く塗りつぶしたように詰まっているんですね。≫(武満徹「樹の鏡、草原の鏡」より)音は黒く上に起っている。そうした音の原イメージを持っていると武満徹は言っている。】(マイブログより)。
先日、通勤途上の自動車ラジオでのNHK・FMから流れていた、これも途中からであったけれど、素晴らしいオーボーエの音色と笙のような(そう、そのときそれとは分からなかったのだ)音色で、空間を緊張感鋭く提示していた音楽に遭遇した。この素晴らしい音楽は何か?武満の雰囲気だな。と思いつつ聞き惚れていた。気になり、職場に着くなり早々、ネットで番組内容を検索してみた。やはり、武満徹の曲で、しかもハインツ・ホリガーオーボエと日本の笙であった。それはハインツ・ホリガーのために作曲された作品で『ディスタンス・オーボエ、またはオーボエと笙のための』(1972)。であった。以前拙ブログで取り上げているのに!。
ということで、今日は、久しぶりに武満徹のアルバム『TASHI plays TAKEMITSU』(1978)である。武満絶頂期の作品であり、アルバムなのではないだろうか。自身、室内楽的小編成が音楽表現に適していると述べている。私には、武満徹全集なるものを手に入れるほどの気力と懐を、はや失ってしまっているので、このことは保証の限りでなく、それゆえ独り言めいているが。≪「QUATRAINⅡ for clarinet, violin, cello and piano 」は”TASHI(Peter Serkin, Richard Stoltzman, Ida Kavafian, Fred Scherry)”を、「WAVES for solo clarinet accompanied with horn, 2trombones and bass drums」はディック・ストルツマンRichard Stoltzmanを、「WATER WAYS」はピーター・ゼルキンPeter Serkinを念頭に置いて作曲された。僕は、抽象的な器楽曲を書くと謂う意識より、具体的な肉体のすべてに対して作曲することを考えているので、このアルバムのように、僕のオリジナルな設計(プラン)を具体的に肉化する音楽家は、僕の内面の意識――その混濁する無意識を、明確に造形表出することに力を貸し与えてくれた音楽家によって演奏されるのが理想的だ、レコードは、その点で殊に大事だ。
地上では、いかなることもひとりではできない。だが、無数の個別の流れが、大洋に注がれているように、共同や連帯を作りそれを持続するのは、各自(それぞれ)の孤独な感情だろう。僕は、芸術の一回性と謂うようなことに特に深刻に思い患うこともないが、この一枚のアルバムを制作することで齎された、何人かの音楽家や技術者とのただ一度の出会いと謂うものに、いま大きな意味を感じている。≫(中入れリーフレットより「音楽の時」武満徹)ここには、彼の音楽観・人生観が聞こえるだろう。

以下、マイブログに引用した武満徹のことばから――

【余韻は余白として消息でありつつなにものかの動向である。音に耳そばだてるとは響きに音連れをまつ儀式でもある。≪そうなんですよ。音をつくっているとよくわかるんだけれど、音と接触するというのは絶対に放心することなんですよ。≫(武満徹『樹の鏡、草原の鏡』)】

【≪結局は僕にとってかかれた音譜自体はそんなに意味がないということにつながるんです。つまり、音を出したあまりの部分――それは聴こえないわけだけれど――がやっぱり大事だということですね。そこには、どうしても音は帰ってゆくものだというイメージがあって、どこかを通ってまた帰ってゆく、あるいはいろんな人を通って帰ってくる。帰った時に、違った領域や違った音にならなければならないんじゃないかとおもうんですね。木や葉っぱなどなどの自然にはもともとそういうところがあるんでしょうね。≫(武満徹『樹の鏡、草原の鏡』)】

【<音楽に関して最も重要な作業というのは新しい耳で聞くことであり、自分の音の聴覚をなおすことです。その音とは、耳に聞こえる音と聞こえない音の両方です>(武満徹武満徹の音楽は、また聴く行動としての音楽の自覚化を促しているのだろう。】

【≪<一音>として完結しえる音響の複雑性、その洗練された<一音>を聴いた日本人の感受性が<間>という独自の観念をつくりあげ、その無音の沈黙の<間>は、実は、複雑な<一音>と拮抗する無数の音の犇く<間>として認識されているのである。つまり、<間>を生かすということは、無数の音を生かすことなのであり、それは、実際の<一音>(あるいは、ひとつの音型)からその表現の一義性を失わした。音は無音の<間>にたいして、表現上(この言葉はきわめて一般的な意味としてうけとってほしい。)の優位にたつものではない。音は演奏表現を通して無名の人称を超えた地点へ向かう。≫(「音、沈黙と測りあえるほどに」)。】

【≪不在そのものへのあくなき追求≫であり、それはすなわち≪「いま、われわれが感じているのは、イマージュ、根源的(イマジネール)なるもの、想像力(イマジナシオン)がただ内的幻覚への生来の嗜好だけでなく、非現実的なものの独自の現実への接近を示すということである。」(モーリス・ブランショ・終わりなき対話)≫。≪武満徹の独自な聴覚的想像力の世界は、つねにそうした不在のもの、未知のものへのあくなき追求であり、「聴く」ことの可能性への行動だろう≫。武満徹の聴覚的想像力が開示する音楽とは、≪音楽のなかでの音のイメージとは固定的、固体的なものではない、生成しつづけ、体験されるあるひとつの動的な状態にほかならない。人はそのなかに入って、その瞬間を生きる。その変化する現在のなかを生きるのである。≫(秋山邦晴)】

松岡正剛の千夜千冊『音、沈黙と測りあえるほどに』より武満徹へのオマージュ抜粋―――

 ≪ぼくは吃りでした。吃りというのは言いたいことがいっぱいあるということで、想像力に発音が追いつかない。発音が追いつかなくとも、でもぼくはしゃべっているのです。このとんでもない「ずれ」はいつまでもぼくのどこかを残響させ、それがそのまま作曲に流れこんでいったように思います。
 8歳のときまで満州にいた。おまけに中学校もろくに行かなかった。だいたい学校はぼくには縁が薄く、ついに一度も音楽教育というものを受けませんでした。ですから、ぼくが作曲法を思いついたのは日々の生きざまのなかで体験したことにひそんでいたというしかありません。そこから始めるしかなかったのです。それ以外は、そうです、すばらしい音楽に出会うときに何かを組み立てなおす。それ以外はありません。
 ぼくは作曲というのは「無」からつくるのではなくて、すでにいろいろのところで鳴ったり止んだりしている音を組み立てなおすことから始まるのだとおもうのです。

 1948年のある日のこと、ぼくは混雑した地下鉄の狭い車内で、調律された楽音のなかにちょっとした騒音をもちこむことを思いつきました。それとともに、作曲するということはきっとぼくをとりまく世界を貫いている「音の河」にどんな意味を与えるかということだろうと確信できた。
 そのころ、しばらく前から音楽は孤立していました。人々は音楽を聴くことに苦しんでいた。いつからこんなことになったのだろうかと思いますが、それがわからない。とくに日本人としてそれがわかりにくくなっています。
 たしかに音楽は数理的な秩序のうえに成り立っているものでしょう。けれどもそれはヨーロッパの音楽ということであって、その規則とはべつにぼくは音のなかで生活し、太陽を見てくしゃみをし、地下鉄の振動をみんなとともに感じつつ、作曲の着想を得てきたのです。もともと音楽は持続であって、瞬間の提出です。ですから、便宜的な小節構造に縛られているのはあまりにむなしいのです。
 ぼくは地下鉄を降りて広場に出て、そこに犬の彫刻が置いてあったのを見て、どうして吠えない犬を置いているのだろうと思いました。これではその広場はいったい何をもたらしいのか、わからない。

 それから15年ほどたったころ、ぼくは北海道の原野を歩いていたのですが、自分が都会の舗道の敷石にとどまっていることをふいに知らされます。
 都会は末梢神経こそ肥大させたかもしれないのですが、四〇キロも見渡せる原野の知覚のようなものをもたらさない。このときぼくは、音は沈黙と測りあえるほどに深いものでなければならないと知ったのです。
 その数日後、ぼくは宮内庁雅楽を聴くことになりました。驚きました。ふつう、音の振幅は横に流されやすいのですが、ここではそれが垂直に動いている。雅楽はいっさいの可測的な時間を阻み、定量的な試みのいっさいを拒んでいたのです。
 これは何だろうか、これが日本なのだろうかと思いましたが、問題はヨーロッパの音楽からすればそれが雑音であるということです。雑音でなければ異質な主張です。そうだとすると、ぼくという日本人がつくる音楽は、これを異質な雑音からちょっとだけ解き放って、もっと異様であるはずの今日の世界性のなかに、ちょっとした音の生け花のように組み上げられるかどうかということなのです。
 このとき、日本という文化があまり人称にこだわらないということがヒントになりました。そう、人称なんていらないのです。音が鳴るたびに「私は」「僕は」と言わないように音を並べたい。
 そうなのです、ぼくは発音する音楽をつくりたいのです。吃りだったからそんなことを言っていると思われるかもしれませんが、それもありますが、それよりも、どんな石にも樹にも、波にも草にも発音させたいのです。ぼくはそれを耳を澄まして聴きたいだけなのです。ぼくの音楽があるのではなく、音楽のようなぼくがそこにいれば、それでいいのです。 では‥‥、さようなら。≫】