yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

『パルレ・モワ・ダムール』、何とすばらしい音楽でしょう!あの経験は死ぬまで忘れられないでしょう。その時です、いつか戦争 が終わったら作曲家になろうと決めたのは。―武満徹

Lucienne Boyer
イメージ 1 イメージ 2以下、拙い私の武満徹のブログ書庫内の記事よりの抜粋である。

武満徹が音楽の世界へ入って行くきっかけとなったのが、戦争中に聞いたシャンソン『聴かせてよ、愛のことばを』であったことは有名な話であるが、若くして亡くなった父親がモダンなせいもあってか、ディキシーランドジャズなどをよく耳にしていたそうである。そうした、知らぬままに培われた音楽感性がこうした西洋・ポピュラーミュージックへの嗜好をかたちづくったのだろう。≫

≪人の一生、人との出会いに去来するその思いは、畢竟、共に在ったことの人への、時代への、感謝である。≪あの何もかも乏しく貧しかった時代、そこで多くの出会いがありました。焼け跡で見た空はぬけるように蒼く、その下で様々な束縛から解放されて、確たる指針もないまま、真摯にひたむきに夢を抱くことができたあの青春の日々を懐かしく想い出しました。武満は貧しく、しかも病身だったにもかかわらず、たくさんの方たちに扶けられ、支えられて、音楽することに専念でき、今思い返してみても幸せな人生だったと思います≫(武満浅香「作曲家・武満徹との日々を語る」・小学館、あとがきより)人の生にこれ以上あたり前で真率普遍のことばはない。≫

≪ところで以下のピアノにまつわる黛敏郎武満徹の友情のエピソードは今回のこの記事を目にした初めてではないはずであるが、何回出くわしても胸に来るものがある。同年代の二人の間であり、面識も何もない、エリートと無名の作曲家との間であることがことのほか大切なことと思える。敗戦後の時代背景と、人間の徳ということで。≪「武満徹が始めて自分のピアノを手に入れたのは1954年の夏、浅香さんと結婚まもないことである。「或る朝、なんの前触れもなしに一台のスピネットピアノが私たちの家に運ばれて来た。それが、未だ面識のない黛敏郎氏から送られてきたものだと知ったときに、私は音楽という仕事の正体に一歩ちかづいたように直観した。もういい加減の仕事をしてはならないのだと思った。」(「ピアノ・トリステ」・『音、沈黙と測りあえるほどに』より)」≫

≪ピアノに象徴される武満徹の貧苦にまつわるエピソードは尽きない。ピアノのある家に出向いて弾かしてもらったとか、黛敏郎を通じてピアノを貸し与えてもらったとか、あげくは紙に描いた鍵盤を持ち歩き作曲していたというはなしもある。デビュー作もピアノ作品であり、いまなお彼の苦いスタートとして語り継がれている、評論家山根銀二による<音楽以前である>との酷評に涙したとは夙に知られたことである。≫

Toru Takemitsu - Romance, for piano



こうした記事を思い出しつつの、いつもながらのYOUTUBE検索の旅であった。好ましいことに、YOUTUBEの認知、普及につれ、アップロード動画が増えつづけていることは、好ましいことである。当初世界の武満ですらアップロード動画は数少なく寂しいものであった。著作権云々をよく目にしたりするけれど、それで経営を成り立たせている企業サイドが意図的にYOUTUBE動画サイトを利用している(宣伝経費をかけずにプロモーション利用の手立てにしている)だろうことも考えれば、痛し痒しと思えないこともないだろう。著作権を踏みにじる一般ファンのアップロードの害悪より権利保有者のタダで(予告編めいた、縮約、簡略ヴァージョンなどを)アップロード宣伝できるメリットのほうが、はかり知れないものがあるだろう。たぶんこちらの方が大きい利得と思われるが、さてどうだろうか。私は、シロウトファンの名義・仮面で当の権利保有(その関係)者が宣伝のためアップロード利用していると邪推するが、勘ぐりすぎだろうか。

そんなことはともかく、武満徹のピアノにまつわる涙ぐましい話『あの人に会いたい-武満徹
と、音楽人生への導きとなったシャンソン『Parlez Moi D'Amour(聞かせてよ愛の言葉を) by Lucienne Boyer』(1933)がYOUTUBE動画で検索ヒットしたので、今日はその動画鑑賞としたい。ただ残念だけれど、『あの人に会いたい-武満徹』の方はアップロードされた方の希望により貼り付け不可となっているので、ブログ記事からYOUTUBEへ飛んでいただき、またおりかえし拙ブログに戻って、終戦直後、武満だけでなく多くの人々に感動と影響を与えたLucienne Boyerシャンソン『パルレ・モワ・ダムールParlez Moi D'Amour(聞かせてよ愛の言葉を)』(作曲者:J.ルノワール J.Lenoir)の、これまた残念ながら動画なしの音声だけを聴いて、敗戦後すべてが打ちひしがれ貧しく、つらい困苦のなか、往時の感動のありようを偲ぶよすがとしたい。

≪「・・・・・それは戦争の末期で私は十四、五歳でした。私は軍隊とともに山の中にいました。その当時西洋音楽を聴くことは禁止されていて(当局の馬鹿げた政策ですが)軍歌とドイツのマーチだけが許されていました。ある日のこと、とても若く知的な見習士官が軍に配属されました。大学の学業半ばに徴兵された彼は、戦争を憎んでいました。その彼の行なったことが私の人生を変えました。彼は西洋音楽のレコードを一枚持ってきていたのです。それは禁止されていたシャンソンのレコードでした。私たちはひそかに集まり、隠れて聴きました。レコードには二〇年代か三〇年代の歌が一曲入っていました。彼はレコードをかけ、私たちは耳を傾けました。そんなに美しいものが存在するとは想像したことさえなかったので、私はびっくりしてしまいました。『パルレ・モワ・ダムール』、何とすばらしい音楽でしょう!あの経験は死ぬまで忘れられないでしょう。その時です、いつか戦争 が終わったら作曲家になろうと決めたのは。」
 (インタビュー 透明性の住む場所 / 「遠い呼び声の彼方へ」所収)    ≫(ブログ・Signals from Heavenさんより引用)



Lucienne Boyer - Parlez-moi d'amour - Chanson française



Speak to me about love
Tell me again of the tender things
Your beautiful words
My heart never grows tired of hearing them
As long as
You repeat these beautiful words
I love you

I'm sure you know
That I don't believe a word
But however I still want to believe
In these words I love
Your voice and your cherishing words
With every murmur and quiver
Deludes me with its beautiful history
And in spite of myself I want to believe your words

It is so comforting
My dear treasure, to be a little mad
Life is sometimes too bitter
If you can't believe in a dream
Sorrow is quickly lost
In the protection of an embrace
The heart is strong enough to heal a wound
Made by the oath which created it:

I Love you....