yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

武満徹『ジェモー』。宇宙の観照に深く響く武満トーン。

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Toru Takemitsu - Gemeaux, for Oboe, Trombone and Two Orchestras (1/4)

            

イメージ 2今日も、昨日に引きつづきわが町の図書館で借り受けてきた武満徹の『ジェモー』。予算不足だけれど廉価盤が出たとあっての購入なのだろうか。つい最近所蔵されたようだ。とにもかくにも、こういう(現代音楽)のが聴けるとはありがたいことだ。80年央以降、追っかけるのに疲れ果ててレコード蒐集から遠ざかっていた。放送などで聴き流していたにせよ、武満徹作品もじっくりと聴いてはこなかった。拙音楽ブログで単独書庫を設けるくらい思い入れのある作曲家だのに後期の音源をほとんど所蔵していない。あるブロガー曰く、≪武満徹の人生における傑作の森は、1964年の「テクスチュアズ」に始まって、1981年の「海へ」で終わる、と私は考えている。1980年代以降、武満の音楽はひたすら美しくなり、代償として緊張感を失った。この世ならぬ美と緊張感が両立しているのが「テクスチュアズ」から「海へ」の間の作品なのだ。≫そうだけれど、どこらあたりに線引きするかの如何はともかく、私も、まあ、そうかも知れないかなと思ているが。私も、≪・・・ところで陰鬱、憂愁ともいえる美しい抒情的な響きがメロディアスに調性を前面に打ち出して作り出されてくるいわゆる「調性の海」への作風の変移は1970年代後半からのことのようだ。(というのも80年代央ころより現代音楽の音盤蒐集から遠ざかったのでこのような言い方しか出来ないのだ)≪オーケストラ作品の分野では、1977年11月に初演された「鳥は星形の庭へ降りる」≫(解説・木幡一誠)からがそうした「調性の海」への船出だったそうである。その頃からだろうか、<何を聴いても似たような響き>となかば批判めいてもいるオーケストラ作品群が世に出されたのは。確かにそうした印象のするのを私も否定はしないが。マンネリとみるのか豊饒の海への旅立ちとみるのか、集中的に後期の作品を聞いていないので判断の迷うところではあるけれど。しょうじき、私はこれ以前の、すなわちこの稿でいえば≪1977年11月に初演された「鳥は星形の庭へ降りる」≫以前の武満作品の方が私の好みではある。≫(拙ブログ投稿記事より)と以前記したことがある。(また、パターン化した安易な俗っぽい響きをしばしば耳にしたりするのも後期作品に多くなる。)だから今回のCD収録作品はその範疇にあり、したがって後期武満作品によく謂われる、金太郎飴の如く何を聴いても似たような音が鳴っているという印象はやはり拭えないといえるかもしれない。そのような中でも、私の好みでしかないけれど、「夢窓」(1985)と「精霊の庭」(1994)(ちなみに、武満の没年は1996年)の2作品の方がアルバムタイトルになっている「ジェモー」(1972‐86)よりはバランスよく音が響いていて良い作品に仕上がっているように思える。「ジェモー」は、あまりにも長期にわたっての作曲制作なのか、コンセプトのゆえなのか深みと整除に難があるように聴こえるのだけれど。モティーフ、想念に引きずり廻され音響深化せずといった印象すらする。唐突だけれど、武満徹は日本の庭園の空間配置が自分の作品の音響形成に多いに与っているようなことをどこかで言っていたように思う。ようするに「ま・間」に象徴される時空意識なんだろうが・・・。「夢窓」と「精霊の庭」の二作品はまさしく日本庭園への武満の思いを背後にもつ作品のよし。古来日本庭園とは浄土のイメージだったそうだが。それはまた、見立て、宇宙の観照でもある。<気>は深く降り立ってきているだろうか。

武満徹『ジェモー』

1. ジェモー/オーボエ,トロンボーン,2つのオーケストラ,2人の指揮者のための
2. 夢窓/オーケストラのための
3. 精霊の庭/オーケストラのための

http://www.hmv.co.jp/product/detail/1908219 上記アルバム試聴サイト




Toru Takemitsu - Spirit Garden (1994)