yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

富樫雅彦クァルテット『スケッチ』(1977)。リリカルでかつウォーム、伸びやかで親しみをもって穏やかに聴くことができるフリーフォームインプロヴィゼーションジャズ。

イメージ 1

イメージ 2富樫雅彦クァルテットの『スケッチ』(1977)。ネットを覗いてもヒットしない。どういう訳なのだろう。加古隆のピアノ、翠川敬基のチェロ&ベース、中川昌三のアルトサックス&フルートとのユニット。リリカルでかつウォーム、伸びやかで親しみをもって穏やかに聴くことができるフリーフォームインプロヴィゼーションジャズといえるだろうか。富樫以外の3人もすべてなんらかの打楽器をもち参加する。これがなんともアフリカ的親愛を感じさせ和むのだ。A面1曲目の「スケッチ3」冒頭からピアノとベースのオスティナートが同じリフで延々と奏されるこれが気分を高揚させ和ませるのだ。この気分が主調として全体をつつむ。この時期70年央はまさしく<スピリチュアル・ネイチャー>の気分、情緒が富樫雅彦を支配していたようだ。以前拙ブログに≪富樫雅彦『VOICE FROM YONDERかなたからの声』(1978)。ほどよい情緒性に本来性を聴いて、遅まきながらの哀悼としたい。≫とタイトルして投稿した記事に【全体的なトーンは≪1975年のスウィングジャーナル誌「ジャズディスク大賞」「日本ジャズ賞」をダブル受賞≫(WIKIPEDIA)という栄誉に輝く名盤といわれている『スピリチュアル・ネイチャー』(1975)や『ギルド・フォー・ヒューマン・ミュージック』(1976)、『Song for Myself』(1974)に近いといえるだろうか。現代音楽寄りのフリージャズへの試みより、こうした情緒性を感じさせるパフォーマンスの方が本来的なのかもと思っているのだけれど、どうだろうか。】と言葉を綴った。この評言はきょう取り上げる『スケッチ』(1977)にも当てはまるといえるだろうか。もちろんスイングするとかの類のジャズではもちろんないけれど、穏やかに流れ行く、音楽することの親愛が、心を和ませる。フリーフォームのひとつの切り開いた境地の地平だったのだろう。何とはなしにフリージャズを毛嫌い遠ざけているジャズファンにもこの時期の富樫雅彦はすべて推奨にあたいする。ここには音楽を生き、解き放つ精神がある。