yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

『民音現代作曲音楽祭79-80』。どれを聴いても時代と音・響きに生きていたとの印象を抱かせる。

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イメージ 2 イメージ 3先日たまたま、仕事帰りの自動車車中のラジオから日本音楽コンクール・作曲部門の本選会での演奏が流されていたのを聴いた。しょうじき悪い意味で驚きました。まだ!こんなこと、こんな音作りに賞が与えられているのかといった印象だった。書法の熟度とかそういった技術的なことはドシロウトの私には分からないが、こんな「ふるくさい」意匠がまかり通っているとは!といった情けなさの感想だった。色々いいたいことはあるけれど、門出を祝うコンクールのことでもあり後の精進を期してこれ以上は控えよう。また、誰の作品が賞に該当したとかのことどもも割愛しよう。むしろ選ぶ側の審査員の見識を指弾したいくらいだ。ちなみにネット検索で確認したところ以下の面々だった。池辺 晋一郎一柳 慧、尾高 惇忠、鈴木 英明、長木 誠司、夏田 昌和、西村 朗、野平 一郎、原田 敬子、菱沼 尚子、三輪 眞弘、以上の諸氏のよし。講評のほどは詳らかにしない。それにしてもだ・・・。こうしたこともあり、それに最近拙ブログに日本の作曲家の作品、アルバムの登場がご無沙汰しているということもあって、きょうは『民音現代作曲音楽祭79-80』イメージ 4の2枚組みアルバム。委嘱作品と再演あわせて、5人5作品が収められている。いまからおよそ30年近くも前の作品を耳にするとなおさら先の印象を強くするのだが。ちなみにこのアルバムに対してのレヴュー(文言から察するに93年頃とだいぶ前の評のようだ)がネット通販サイトにあり≪今をさか上ることたったの13年なのに,このCDを聴くとパターン化された予定調和の響きが押しよせ,今さらながら当時の「現代音楽」の間口の狭さに感じ入る。≫とあったが、私はまったく正反対の評価である。時代の流れ、主調その意匠がもちろん使われているのは否定しようもないけれど、≪パターン化された予定調和の響き・・・「現代音楽」の間口の狭さ≫云々というより、むしろ時代のエートスとして個々の作曲家が認知し、その音色に生きている表現として私は受容したいと思う。野田暉行の『変容』など、武満徹の「ノヴェンバーステップス」に劣らぬほどに邦楽器を取り入れて成功している作品だし、戦後草々、現代音楽にセリエール導入して果敢した入野義朗の「シンフォニア」も伸びやかで清冽の響きをもった堂々たる交響曲作品であり、名を伏せて聴けば邦人作品、それも武満徹などより旧い世代の作品だとはたぶん気付かないだろうほどの洗練された構成イメージ 5 イメージ 6と音色をもつ優れた作品だ。そして武満以後の世代で、その才、前途を嘱望されつつ若く?して無念の死の中断を余儀なくされた八村義夫の緊張感湛え、透徹した煌めく音色に冴えわたる「錯乱の論理」、毛利蔵人の知的にコントロールされたエネルギーの清新の発露が豊麗に響きわたる「GROOM IS GLOOMY」の音色の世界。どれを聴いても時代と音・響きに生きていたとの印象を抱かせるものだと記してこの稿擱えよう。

写真:上左(入野義朗)上右(野田暉行) 中(八村義夫) 下左(佐藤 眞)下右(毛利蔵人)

民音現代作曲音楽祭79-80』

1. 変容op.18(野田暉行)
2.交響曲 第3番(佐藤 眞)
3.「錯乱の論理」~ピアノとオーケストラのための(八村義夫)
4. グルーム・イズ・グルーミー(毛利蔵人)
5.シンフォニア(入野義朗)


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%9B%E5%88%A9%E8%94%B5%E4%BA%BA 毛利 蔵人(もうり くろうど、1950 - 1997)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%9D%91%E7%BE%A9%E5%A4%AB 八村義夫(はちむら よしお、1938 - 1985)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E7%94%B0%E6%9A%89%E8%A1%8C 野田暉行(のだ てるゆき、1940 - )
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A5%E9%87%8E%E7%BE%A9%E6%9C%97 入野義朗(いりの よしろう、1921 - 1980)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E7%9C%9E 佐藤眞(さとう しん、1938 - )