yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

アルフレット・シュニトケ『ピアノ五重奏曲』(1972-1976)ほか。余韻深く、厳かな鎮魂の響き。難解さの一つとしてない真のココロからする祈りの音楽。

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Alfred Schnittke: Concerto per viola e orchestra (1985)

              

   人が曲を書くとき、人は世界を作り出しているのである・・・
   表現に値しない音楽の素材など一つもない・・・
                  アルフレット・シュニトケ

イメージ 2「今日ママンが死んだ・・・」ではじまる小説があった。そうです、アルベール・カミューの『異邦人』だった。人間存在の不条理をえがいた小説のセリフとして学生時代よく口端に上ったものだった。最近はどうなのだろう、とんと名前が聞かれなくなった。論敵サルトルの名前、いや実存主義の哲学すらあまり聞かなくなった。いや、べつにこうした七面倒な思想的なことどもを語ろうなどと思ってではなく、たんなる話しの枕としてもち出したに過ぎないのだけれど。というのも今日取り上げるアルフレット・シュニトケのCD(今日もまた図書館ネット借受のもの)収録のうちの一曲が、1972年に亡くなった母親への思い出に捧げられたレクイエムとされている「ピアノ五重奏曲」(1972-1976)ということで、先のことばが想起されたに過ぎない。余韻深く、厳かな鎮魂の響き、徹頭徹尾最初から最後まで荘重に祈り歌うこの沈鬱、堪らない魅力を湛えた静穏な祈りに満ちた音楽。難解さの一つとしてない真のココロからする祈りの音楽として擱こう。もう一曲はすでに≪アルフレット・シュニトケ『ヴァイオリン協奏曲第2番』(1966)、同『第3番』(1978)ほか。弛緩を感じさせないそのインテンシブな響きと造形には、精神のありどころの余人との遠き隔たりをおもう。≫とタイトルしてブログ投稿している「ヴァイオリン協奏曲第2番」(1966)なので割愛としよう。

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「ヴァイオリン協奏曲第2番」(1966)
ピアノ五重奏曲」(1972-1976)



ルフレット・シュニトケ、関連投稿記事――

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/53132896.htmlルフレット・シュニトケ『KREMER plays SCHNITTKE』(1986)。感性の迸りと彫琢、圧倒的なオーケストレーション、そのボリュームとテンションの持続力。その支える精神を前にたじろぐ。

http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/53520195.htmlルフレート・シュニトケシュニトケとの対話』(春秋社・2002)。「あまねく世界に神は存在し あまねく音楽にバッハは存在する」。




Alfred Schnittke: Piano Quintet (1)