yuki-midorinomoriの日記

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ジェルジ・リゲティの堅固な弦の響き『弦楽四重奏曲第一番』(1953)。微細に音色生成変化搖動する『弦楽四重奏曲第二番』(1968)

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Ligeti : String Quartet N° 2 --- mvt I.

             

ハンガリーの作曲家といえばおおかたがバルトークを上げることだろう。それほどまでに偉大であるということなのだろう。私のようなごく普通の音楽鑑賞者にとっては新古典派ではストラビンスキーとバルトークである。彼本人がピアノ名人であったせいもあり、名品多くピアノ曲はよく聴かれている。それと私が好きだからかもしれないが弦楽四重奏曲である。民俗音楽研究から、それらが宿す精神性、生命力を掬い上げ自身の作曲の根幹にすえ、雄勁ともいえるみなぎる力と躍動。民俗自然性への精神の付託に見る骨格の確かさと親しさ。深い精神性。こうした印象は、今回ここに取りあげるつい先日鬼籍に入ったジェルジ・リゲティ・György Sándor Ligeti(1923-2006年6月12日)の『弦楽四重奏曲第一番』(1953-54)にも相当する。ただバルトークほどには明るさ親しみには欠けるけれど。バルトークアメリカへ亡命しこの異国の地で亡くなっている。ちなみに≪40年後の共産主義体制の崩壊後、指揮者ゲオルグショルティらの尽力で亡骸が1988年7月7日ハンガリーに移送され、国葬によりブダペストのファルカシュレーティ墓地に埋葬された。≫(WIKIPEDIA)そうである。このジェルジ・リゲティもまたハンガリー動乱の難を避けるべく亡命を余儀なくされている。≪ハンガリー動乱とは1956年にハンガリーで起きたソビエト連邦の権威と支配に対する民衆による自然発生的な反乱をさす。 反乱は直ちにソビエト軍により鎮圧されたが、その過程で数千人の市民が殺害され、25万人近くの人々が難民となり国外へ逃亡した。ハンガリーではハンガリー革命と呼称されている。≫(WIKIPEDIA)当時のハンガリー社会主義体制の下では新ウイーン楽派(十二音、無調)の音楽は禁じられていたそうである。そのせいだけではないだろうけれど≪彼は、バルトークの影響を受けつつ、彼もまた民謡の編曲や、民謡を取り入れた作品を発表する中で革新的な作風を模索していた≫。その亡命する前の作品が『弦楽四重奏曲第一番』である。ひじょうによく出来た作品で、ヨーロッパ近代の音楽の伝統、歴史の連続性、積層する文化的背景の強さ、をまざまざと見せ付ける堅固な構造に裏打ちされた引き締まった弦の響きにはうなってしまった。また背景に民俗の音楽的精神があるせいもあってか親しみを持つ旋律も垣間見せ、バルトーク弦楽四重奏をこのんで聴かれている向きには好感を持って受け入れられることと思われる。私にはバルトークよりも、より洗練された響きを持った堅固をここに聴く。このおよそ15年後に作曲されたのが『弦楽四重奏曲第二番』(1968)である。ここでは亡命で西側に渡り、カールハインツ・シュトックハウゼン、ヘルベルト・アイメルトなどの知遇をえ、ケルンでの電子音楽スタジオにおいて電子音楽の研鑽期間となる。それは『アトモスフェール』で一躍前衛の一角を占めることとなったトーンクラスターによる音響創造、作品提示の礎ともなる諸技法音楽観考究の雌伏のときでもあった。そうしたトーンクラスターからあのリゲティに特徴的な未分化の淡い境目を揺らぎうごめく微分的微細な、柔らかさをも感じさせる音響、音色変化へと関心が移っていった時代の作品である。複層的に微細に変化してゆく揺らぐ弦の響きにはまるで生成未分化の、そのあわいに立ち会う風情でもある。微細に変化生成搖動する音色、響きに耳そばだてるその緊張は素晴らしくまた新鮮な音楽体験でもある。



Ligeti : String Quartet N° 1 (1/3)