yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

武満徹と同世代の傑れた作曲家、間宮芳生『オーケストラのための2つのタブロー65』と松村禎三『交響曲・1965』

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Matsumura: "Symphony No. 1" (1965), Mvt. 1

            

武満徹(1930)の愛娘はよく、お父さんの曲はどれも似たような曲だと言っていたそうだけれど、そうした印象を確かにおぼえられる方は少なくないと思われる。とりわけ後期の作品にはそうした印象拭えぬもの、ありはしないだろうか。一つ聴いただけでこれは武満、どれを聴いても武満というように、いい意味であるけれど独創の響きをもっている。その響きを貫いてある音楽感こそ武満のアルファーでありオメガーでもある。綺羅星のごとく輩出して奇跡の豊穣ともいえる同世代作曲家群にあって、武満徹の突出ゆえに、いささか一般受けに引けはとるものの、その力量と実績においてけっして勝るとも劣らぬ二人の作曲家、間宮芳生(1929)と松村禎三(1929)。どちらも民俗、土俗の生命力を自らの音楽の骨格にもつ傑れた作曲家である。武満トーンにいささか食傷気味の現代音楽ファンは、ぜひともこの二人の素晴らしい作品を一度は耳にして欲しいものである。ここには確かな真性がある。先のブログでも引用したけれども、評論家秋山邦晴は次のように戦前との断絶と革新洗練を指摘した。≪僕たちの世代(1930年前後生まれ―引用者)にとって、戦前世代の作曲家たちの遺産というかその音楽作品は、果たしてどう結びついているのだろうか。ぼくはちかごろ、あらためてそんなことを考えてみることがある。ぼくが批評めいた文章を新聞や雑誌に書き出したころ、あれはたしか1950年だったとおもうけれど、そのころぼくは過去の音楽的遺産の不毛さをみてしまったような気がしていた。そして「近代の確立していなかった日本の作曲界をあらためて出発点に立たせたのが、戦後の一群の若い作曲家たちであった。」といったようなことを読売新聞に書いたのを憶えている。1952、3年のころだったろうか。≫(秋山邦晴「日本の作曲家たち」・音楽の友社)。斯く印象せしめるほどの洗練と成熟を劇的に提示したのがこれらの作曲家であり、世代であった。斯くまで激変するかというほどの断層である。興味そそる問題ではある。それはひとまず措くとして、このアルバムのA面は間宮芳生の『オーケストラのための2つのタブロー65』である。この作品はその年の尾高賞を受賞している。ここには確かに骨太に構築する意志と形を突き破るうねる民俗エネルギーの、情動たぎる力強いオーケストレーションの響きを、それも時代の前衛に併走しつつも、なんの違和もなく手の内にいれた洗練を見ることだろう。民俗感性と西洋近代とのあわい境界を勁い音楽形成の場と定め果敢であるのが見事であり、一己の独創であり個性であるといえるだろう。つぎにB面は松村禎三交響曲・1965』。彼は、結核という長い闘病生活で鬱勃と雌伏していた頃に≪「12音音楽って言うものを聴いて、こんな風にエネルギーのない痙ったものならば、ぼくにとって音楽は無縁なものでもいいとさえ思ってたね。」≫と語ったそうである。そうした間に≪アジア的な発想をもった、生命の根源に直結したエネルギーのある曲を書きたい。≫との音楽感を醸成していった。≪私に最も近く感じられた古典的作品として、ストラビンスキーの「春の祭典」をあげることが出来るが、あの楽観的なディアトニックの旋律と、舞踊に結びついた明快なリズムはもはや私のものではなかった。・・・・もっと混沌とした巨大な音の堆積のようなものが漠然と私のイメージの中に棲みついていた。≫それは≪生命力をもった個々の単位が集積されて一つの野放図な太い実体を形づくっているさま(―アジア諸国に見る巨大な、仏・石像の集塊群に見る生命力)は、まさに快哉を叫びたいほど、私のイメージを代表していた。・・・・西洋ルネサンス以後のポリフォニーやホモフォニーという概念を離れた<アジア的発想>による音楽の構築であり、いわば西洋的二元論ではなく、東洋的一元論に立脚した音楽表現の達成であった≫(松村禎三)。導入部からしてなにかしら予感を感じさせる内的意識・精神のストーリー感じさせるうごき、一気にその流れへと魅き入れるつかみの見事さ。精神の緊張に張り付けるパセティックな音響の反復重畳の厚み、糸ひくがごとし弦の最高音の持続と最低音が絡み作り出す引き締まった厳しい音響空間。それは疼く心に民俗のはるけし声を聴くおもいでもある。束ね引き回す土俗的エネルギーのオスティナートに極まる精神の緊張と高揚を響かして見事である。魂の奥深く秘められた<生>のストーリーをダイナミックに且つ厳かに聴くこと確かである。武満徹だけでなく、ぜひとも耳そばだて聴くべき二人である。





Matsumura: "Symphony No. 1 (1965)", Mvt. 3