yuki-midorinomoriの日記

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19歳にて、冥き戦時局と純粋精神の病いに懊悩果てた原口統三『二十歳のエチュード』

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別にこの冊子、昭和21年(1946)19歳で自死した旧制第一高等学校生、原口統三のノート『二十歳のエチュード』が名著だからというわけではない。たまたま詩人・作家の清岡卓行氏(享年83歳)の訃報記事を新聞で見てのことである。一度は見舞われるだろう若き(純粋)精神・自意識の病への追憶想念がその記事と共によぎったのである。この年になってくると先ず訃報欄に目が行く。自身がそれに近づいてきたというだけではなく、わが青春(嫌なことばだ、春がついているのが嫌なのだ。)の<知>を彩った先達が欠けてゆくさまは、やはり感慨をさそうものである。面識などもちろんない。心・精神を揺さぶった彼等はたしかに我が<生>の一部でもあった。真理がどうした、識ったとて何になると啖呵切ってみたところで、<知>の果実味わった意識は、泥となり、<無知>として朽ち果てることには堪えられない。知への渇望は<業>のごとく身に纏わりつき離れはしない。当の鬼籍に入った清岡卓行を、当時、戦前殖民地にあった中国・大連の旧制中学にて先輩として出会い、以後第一高等学校入学にいたるも同様文学・思想での影響を少なからず受けて、その青春の自意識に懊悩することとなる。誰しも思春期に煩う<自意識>の肥大と堅固な現実の汚濁との相克という図式である。一敗地にまみれ疵付く自意識。もはや今日「青春は終焉した」といい「教養主義の崩壊」をいう。ましてや「無疵な心がどこにある」と悩む<自意識>や、昨今<実存>なる言葉などは死語であるらしいが、実存と本質(意識)こうしたことの喧々諤々が遠き思い出になりつつあるということである。反抗すべき汚辱にまみれた実質への、茫洋とした不分明への苛立ちは、いま自意識の奈辺に、どのような姿であるのだろうか。次の詩句は原口統三のみならず多くの青春のシュトゥルム・ウント・ドラング(Sturm und Drang)でもあっただろう。


            また見付かった
            何が、永遠が、
            海と溶け合う太陽が。

            独り居いの夜も
            燃える日も
            心に掛けぬお前の断念を、
            永遠の俺の心よ、
            かたく守れ。

            人間どもの同意から      
            月並みな世の楽しみから
            お前は、そんなら手を切って、
            飛んでゆくんだ・・・・。
            
            もとより希望があるものか
            立ち直る筋もあるものか、
            学問しても忍耐しても、
            いづれ苦痛は必定だ。
            
            明日という日があるものか、
            深紅の燠きの繻子の肌、
            それ、そのあなたの灼熱が、
            人の務めというものだ。
            
            また見付かった、
            何が、永遠が、
            海と溶け合う太陽が。


また次の詩句をもまた若き日々、定まらぬ鬱勃の幾多の自意識が胸に諳んじたことだろう
            
            
            あ々、季節よ、城よ
            無疵な心が何処にある。
            
            俺の手懸けた幸福の
            魔法を誰が逃れよう。
            
            ゴオルの鶏の鳴くごとに、
            幸福にはお辞儀しろ。

            俺はもう何事も希うまい、
            命は幸福を食い過ぎた。
            
            身も魂も奪われて、
            何をする根もなくなった。
            
            あ々、季節よ、城よ。
            
            この幸福が行く時は、
            あ々、おさらばの時だろう。

            季節よ、城よ。
            
       過ぎ去ったことだ。今、俺は美を前にしてお辞儀の仕方を心得ている。



                アルチュール・ランボー『地獄の季節』(小林秀雄訳)



≪「ランボーこそは君。ピンからキリまで男の中の男(小生、注――(1854-1891)二十歳そこそこの時すでに、奇跡のごとき詩・ことばを捨てて、あしばやに商人としてアフリカへ赴き、商人としてかの地でからだ腐らせ朽ちて果てた。)ですよ。」この清岡さんの言葉が胸を刺した。そして、それ以来、僕の誠実さの唯一の尺度となった。

結局、僕は精神の旅において「男の中の男」として振舞いたかったのだ。

意識はたえず見張りする。逆上しないこと、これが大切だ。

自分で自分の不幸をつくったのだ、と誰が今更言おう。

精神にも肉体がある。

精神にも礼節がある。

僕はいつも精神の戸口で身ずまいを正しくする。≫

自意識の絶対は

≪おお、人生――この、孤独なる詩、この知られざる記念碑よ!お前の冷ややかな石の上に、二十の春秋を刻み終えて、僕は今、立ち去るのだ。

さて今日、僕は如何なる記念碑とも関わりはない。

「表現は所詮自己を許容する量の多少のあらわれに過ぎぬ。」

「誠実さは常に全き孤独の中にある。」

この箴言の前に、謙虚であろう。

・ ・・・・・・・

僕はもう自分を誠実であったとも言うまい。

沈黙の国に旅立つ前に、潔く謝罪しよう。

「僕は最後まで誠実でなかった」と。≫(原口統三『二十歳のエチュード』)

昭和21年逗子海岸にて19歳で入水自殺。

こうした(純粋精神)自意識の病、懊悩が、冥き戦時局の現実と共に在ったことを鑑みるとき、呵呵哄然とやり過ごすことが出来るだろうか。ご同輩。



追記――
1903年とずいぶん昔であるが、華厳の滝にて自死した、同じ第一高等学校生、藤村操の有名な詩句を思い出した。高校生時代、授業中その風貌ベートーベンのような数学教師にこの辞世の句を詠み聞かせられ、憧憬とともに感動したのを憶えています。


        巌頭之感


           悠々なる哉天襄、

           遼々なる哉古今、

           五尺の小躯を以て此大をはからむとす、

           ホレーショ*の哲学竟(つい)に何等のオーソリチィーを値するものぞ、

           万有の真相は唯一言にしてつくす、

           曰く「不可解」我この恨を懐いて煩悶終に死を決す。

           既に厳頭に立つに及んで、

           胸中何等の不安あるなし、

           始めて知る、

           大いなる悲観は大いなる楽観に一致するを。


シェイクスピアの「ハムレット」の登場人物。ハムレットが、「君なんかにはわからない事もあるんだ」とホレーショに言うくだりがある。俗物、俗人にはなかなか真実は見えてこないもの、というたとえとして引き合いに出された。

                                (WIKIPEDIAより)

          藤村操――http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E6%9D%91%E6%93%8D
               http://www.marinenet.co.jp/jinpati/lastsong/misao.htm