yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

岩城宏之指揮による松村禎三『管弦楽のための前奏曲』(1968)、三善晃『管弦楽のための協奏曲』(1964)、それに武満徹の『テクスチュアズ』(1964)を聴く

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Matsumura: "Symphony No. 1", Mvt. 1

              

毎度のことながら、1930年をさかいに綺羅星のごとく才能が同時的に歴史に生み出されたこの事実は、おどろきである。矢代秋雄(1929)、黛敏郎(1929)、松村禎三(1929)、間宮芳生(1929)、、湯浅譲二(1929)、武満徹(1930)、下山一二三(1930)、三善晃(1933)、一柳慧(1933)などなど。ちなみに1929年は世界大恐慌に始まり、おしなべて世界が破滅的戦禍の崩落へと道行くとば口でもあった年である。我が日本の夜郎自大が招いた破滅への序章1931年の満州事変、1937年の盧溝橋事件、1941年12月8日の日米太平洋戦争開戦へと闇雲の歩みであった。彼らはこうした国家発揚、戦争の時代を幼少時に生き、国家壊滅焦土を価値崩壊と共に見定めた境界の世代である。すべからくせめぐ境界に新事態の萌芽はやどる。作家開高健も1930年に生を享けた世代の一人でもある。『青い月曜日』(1965年)は、自身旧制中学(現、大阪府天王寺高校)時代の大人でもなく子供でもない境界人の目から見た焦土の大阪を描いて面白く一気に読んで感銘を受けた記憶がある。ボーダーに神は宿るのであろうか。境界には古来道祖神が祀られているではないか。境界の目は鋭くヒトの世の実相を抉る。さて、今回取り上げるアルバムは先日鬼籍に入った現代音楽演奏に与って多大な貢献をした、岩城宏之指揮による松村禎三管弦楽のための前奏曲』(1968)1969年尾高賞受賞、三善晃管弦楽のための協奏曲』(1964)1964年尾高賞受賞、それに武満徹の『テクスチュアズ』(1964、岩城宏之初演)の三作品が収められたもの。≪目新しいものが泡沫のように現れて消え去り、感動の裏づけもなく、興味と、何かに追い立てられるような焦燥をもって、新しい音楽の輸出入業が殷賑を極めている時に、満員電車に乗り遅れまいとすることがかえってその洪水に呑み込まれて足元を見失う結果に至らないと誰が断言できるだろうか。現代日本の作曲家は、東洋の古典には無関心でもよいが、シュトックハウゼンの曲は取り寄せて研究しなければならない、というのは本当に正しいことであろうか・・・・≫(松村禎三)。こうしたことば、音楽観はたぶん、音楽への道へのとば口での、武満もそうだったが、結核という病におよそ五年にも亘る長い闘病を強いられた中で、焦燥のなか耐えて培われたものだろう。病に伏さざるをえず、諦念と断念に屈託する青年にとっては、それゆえにこそみなぎる生の躍動、自然の悠久へと託すロマンは渇望、希求するものでもあっただろ。それゆえか生命力の感じられない(痙き攣った)十二音列無調音楽は自分にとっては無縁であるとまで言い切っていた。洗練され熟成された固有の美学が然らしめる抑制された激情のロマンティシズム、雄渾極まりなく揺動する圧倒的なオーケストレーションの重層するパワーに息を呑み、またその孤愁に秘めた情熱がつむぐ旋律の美に感動する。屈託と諦念に醸成された生の実質、燃焼へのたぎる思いは、激しいロマンの情動となって斯くまで素晴らしい作品に帰結した。武満もいい。だが松村禎三のこの洗練された真正のロマンも同様いい。聴くべしである。三善晃に関してはこのページの追記としてまた後日としよう。




松村禎三 - ピアノ協奏曲第2番 Teizo Matsumura - Piano Concerto No.2 (1978)









追記――
見事な純粋構築の世界。やはり一等そうしたことの抜きん出た作曲家といえるのだろう。この作品『管弦楽のための協奏曲』(1964)あたりから、書法手の内に入り自在の境位を得たのだろうか。流されることなくコントロールされた激しい情動の動きも表象見事である。感性と構築の際立つ純粋達成のしなやかさは煌めくばかりの才の為せるところなのだろう。
武満徹の作品『テクスチュアズ』(1964、岩城宏之初演)は演奏者の違いがありはするものの以前拙ブログでも採り上げたので割愛する。シロウト評はしょせん印象批評の域を出ないのをわきまえて、繰り返しは避けるのが賢明とする。