yuki-midorinomoriの日記

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メシアン、クセナキス、ペンデレツキの無伴奏混声合唱曲集(1970)

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NUITS:Musique Iannis XENAKIS

          

               <花であること>

               花であることでしか

               拮抗できない外部というものが

               なければならぬ

               花へおしかぶさる重みを

               花のかたちのまま

               おしかえす

               そのとき花であることは

               もはや ひとつの宣言である

               ひとつの花でしか

               ありえぬ日々をこえて

               花でしかついにありえぬために

               花の周辺は適確にめざめ

               花の輪郭は

               鋼鉄のようでなければならぬ


                       石原吉郎サンチョ・パンサの帰郷』より



強制収容所とは私が、人間の肉体と精神という、永遠に古くて新しい問題を、もっともラジカルなかたちでつき付けられた場所である。そこでは、精神と肉体の相克という古典的な位相は最初から脱落しており、肉体が精神を侮蔑し、ひたすらこれを遠ざかって行く過程の、不毛な積みかさねであって、肉体の側からみればそれは、強制収容所という極限状況へひたすら適応して行く過程に正確に照応している。適応とは「生きのこる」事であり、さらにそれ以上に、人間として確実に堕落して行くことである。≫

≪極限状況は、およそどのような教訓からも自由であるというのが、私が得た唯一の「教訓」である。人は教訓を与えられるために、極限状況へ置かれるのではない。人はそこでは、そのまま状況におしつぶされるか、かろうじてそこから脱出しうるかのいずれかになる。もしわずかに脱出しえたにせよ、帰って来たものは、何らかの形ですでに、人間としてやぶれ果てた姿だという事実を忘れるべきでない。一人の英雄もそこからは帰ってこなかったのである。≫

                      石原吉郎『海を流れる河』より

1945年(30歳)ハルピンでソ連軍に抑留され、反ソ行為諜報(スパイ)の理由により重労働25年の極刑を受け、極寒のシベリア各地での強制収容所生活、重労働に生きながらえ、スターリン死去による特赦によって1953年ナホトカより引き揚げ船興安丸にて舞鶴港に帰還。すでに38歳であった。船内では密告の前歴者に対してリンチが行われていたそうである。


今回取り上げる無伴奏混声合唱曲集(1970)。オリヴィエ・メシアン『五つのルシャン』(1949)。イヤニス・クセナキス『夜』(1968)。クシュシトフ・ペンデレツキ『スタバト・マーテル』。メシアンも戦時捕虜となり収容所生活での忍辱に絶望の日々を送った。そのとき収容所内で作曲され、かつそこで演奏された傑作が『世の終りのための四重奏曲』であった。またクセナキスは反ナチ・反ギリシャ独裁政権抵抗運動に加担。自らも銃弾受け瀕死の重症、そのせいもあり見られるかぎりのポートレートでは同じ方向からのアップしかない。独裁政権より死刑宣告を受け、以後故国ギリシャには帰ること叶わなかった。ペンデレツキはポーランド産である。ワルシャワ居住の、ユダヤ人の大量虐殺トレブリンカ、アウシュビッツ収容所への移送へと蛮行される隔離所となったワルソーゲットー。1944年第二次世界大戦終結直前のナチス・ドイツ占領下のワルシャワで起こった武装蜂起。≪ドイツ軍による懲罰的攻撃によりワルシャワは徹底した破壊にさらされ、レジスタンス・市民約22万人が虐殺され、10月3日鎮圧された。死亡者数は18万人から25万人の間であると推定され、鎮圧後約70万人の住民は町から追放された。≫(WIKIPEDIA)。1933年に生を享けたペンデレツキになんの傷も残さなかったとはいえまい。また作品にその影が微塵もないとはいえまい。この『スタバト・マーテル』の涙と神への祈りの悲愴はその声として音楽として哀しい。ドラマティックな展開、音色は後景に退きメロディアスにロマンティシズムをさえ感じさせる信仰の歌となっている。クセナキス『夜』。異様な歌唱法、音声処理の重畳に緊迫した精神の暗冥が浮かび上がるドラマティックな12声の無伴奏混声合唱曲。囚われの夜、望み絶たれた暗闘の精神のいかなる叫びか、いかなる呪いか、いかなる嘆きか。曲終結の安寧信仰篤き祈りに救いを謳うその響きには胸打たれることだろう。「きみら、世に知られない政治犯、1946年以来囚われているナルシソ・ジュリアン。1947年以来囚われているコスタス・フィリニス。1950年以来囚われているエレーヌ・エリュトリアデュ。1952年以来囚われているヨアキム・アマロ。そしてきみら、名前すら失われた、何千という忘れられた人々、きみらすべてにこの曲を捧げる」。



オリヴィエ・メシアン「世の終りのための四重奏曲」マイブログ――
http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/34117336.html

石原吉郎サンチョ・パンサの帰郷』より<位置>、詩句参照マイブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/24761488.html




Warsaw Boys Choir - Stabat Mater : from St Luke Passion, Krzyzstof Penderecki