yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

サッカー・ワールドカップ日本代表の戦いでまんじりとしない夜を静める、J・S・バッハ『ゴルドベルグ変奏曲』

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高橋悠治でなければならないということはない。極端な話、誰でもいいのだ。誰が良いだのとシロウトの私には確たる判断根拠があるわけではない。前にも言ったように案外最初に聴いたもの、感動したものがベストであることが多い。それは音盤購入であれば、やはり宣伝、前評判を参考にしているだろうし、いうまでもなく、それらは、それなりの評価の一般的妥当性を持っているだろうからだ。ただ長年聞いているとシロウトでも、これはマズイナといった演奏など、ないでもないが。車中ラジオ放送から流れている特番ライブの放送を聴いていると、もちろんハンドル握りながらということでもあり、耳そばだてて集中といった聴き方ではないにしろ、誰の曲で、誰の演奏かもわからず途中からということもたびたびある。その時がおもしろい。前知識がないままの自分なりの印象評価が下される。もたもたしとるな。手がもつれとるがな。すべってる。平板やな。つくり過ぎや。うわ、すごいな、よく鳴っている。こんな曲だったのか。とかの、しごく単純な一口評がついて出てくる。そして曲終り、演奏者、曲名等が紹介流される。なんや、新聞ではえらい良いようにいっていたのに案外やな。こんな大物がこんな程度か。また、さすが騒がれるだけのことあるわ、とかの事もある。又、ゲストの苦しそうなお上手を聞かされたりもする。業界のシガラミというやつである。悪口悪評等が公の放送で多数に流れるのを躊躇するのは無理からぬ話ではあるけれど。このように思わぬ機会にスの状態で耳に入ってくる音楽は、そうしたことでも面白いものである。なんの話をしているんだろう。サッカー・ワールドカップ日本代表。先日のクロアチア戦の善戦も、戦犯誰とは云わない。しかし、元浦和レッズの日本人Jリーガーとしてはじめて得点王に輝いた≪鹿島時代のジーコをして「日本最高の天才プレーヤー」と言わしめた≫(WIKIPEDIAフォワード・福田正博が言うように<シュートを撃たなくては、何事も起こらない。撃てば何事かがおこるのです>。とどのつまり、この積極性の欠如がすべてであった。ブラジル戦に僅かな望みが残るとはいえ憤懣やるかたなしである。意気上がらず気分が乗らない。と言い訳してこのJ・S・バッハ57才の1742年作曲されたという『ゴルドベルグ変奏曲』である。どれほどバッハの作品を聴いたことだろう。また今後それ以上に命ながらえ生きている限り聴くことだろう。鳥肌立つ感動に震えた『マタイ受難曲』。敬虔な祈りに心やすらぐカンタータ。荘重崇高な無伴奏バイオリンソナタチェロソナタ、荘厳にして敬虔なオルガン曲。平均律クラヴィーア曲集。その他等々どれほど心慰撫されたことだろう。武満徹はドロップを口にほうり込み、かならずといっていいほどマタイ受難曲の一節をピアノで弾くのが作曲作業に入る儀式であった。また亡くなる日の前日、恩寵のごとくラジオ放送から流れるマタイ受難曲を耳そばだて聴き入り眠りにはいったそうである。ところでこの『ゴルドベルグ変奏曲』は健康すぐれぬカイザーリング伯爵(ドレスデン宮廷のロシア公使)の眠られぬ夜を慰めるための音楽を、バッハの弟子で伯爵お付の若いチェンバリスト、ゴルドベルグに弾かせるべくバッハに所望、作曲されたそうである。以後折にふし飽きることなく眠られぬ夜がやってくると「ゴルドベルグよ、私の変奏曲の一つを弾いてくれないか」と安穏な眠りへの誘いとして弾かれた。こうした事どもがこの作品、タイトルの由来ということだそうである。私もこの伝でサッカー・ワールドカップ日本代表の不甲斐ない戦いでまんじりとせず気分すぐれず乗れないブログを『ゴルドベルグ変奏曲』聴きながら閉じ、心穏やかに眠りの夜を迎えようと思う。