yuki-midorinomoriの日記

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松村禎三(1929)間宮芳生(1929)三善晃(1933)の62・63年の輝くばかりの弦楽四重奏曲

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松村禎三(1929)間宮芳生(1929)三善晃(1933)の弦楽四重奏曲カップリング。
ちなみにこの世代、武満徹(1930)黛敏郎(1929)湯浅譲二(1929)矢代秋雄(1929)下山一二三(1930)廣瀬量平(1930)一柳 慧(1933)ほか綺羅星のごとくである。さてB面の間宮芳生(1929)『弦楽四重奏曲第一番』(1963)。ピチカート奏法の数々が単なる特殊奏法の使用に終わらずそれら奏法に邦楽義太夫三味線的民俗世界が顔覗かせるのが面白く、伝統、民俗なるものに、もろにオモネルことなく見事であり、こうでなくてはと思わせる。当時の前衛的特殊奏法、響きを採り入れながらもそれらが必然性を失った脈絡のないとってつけたような単なる音響フェティシズムに終わっていないところが凡百でないことを示しているといえよう。民俗的感性の西洋音楽への晶化は斯くあるべしという真正の成果であると思われる。バルトークへの親愛は民俗的感性の響きとかっちりとした構築性とで見事作品化されている。いやむしろ、この『弦楽四重奏曲第一番』(1963)は≪間宮には民謡(主として東北民謡)を素材とし、あるいはそれから発想をえた作品が多いが、この弦楽四重奏曲はそのような系列のものではなく、いわゆる絶対音楽(文学的内容・絵画的描写など音楽以外の要素を含む標題音楽に対し、純粋に音そのものの構成面を重視してつくられた音楽=大辞泉)といってよいものである。≫(武田明倫)とまで評者に言わしめるように、彼にしては比較的例外的ともいえる作風なのであろうか。しかしわたしはこのあわいを行く間宮芳生が好きである。西洋近代の構成的絶対と民俗感性との定まらぬ世界を緊張を持ってエクリチュールする間宮芳生。いいポジショニングでの間宮芳生に音連れる世界こそ手離してはならない我が音楽生成の場所であるだろう。さて、エクリチュールの彫琢に感性のさえを響かせる三善晃の『弦楽四重奏曲第一番』(1962)。まさにここにこそは絶対音楽の、エクリチュールの洗練の見事さを聴くことになるだろう。とことん西洋近代の構成的絶対のうちに構築美を追求したその鋭利さに目を瞠ることだろう。国籍のない音楽と括ってしまうことの安易さを撥ねつけるひとつの明晰な、美の厳然とした存在の提示にここでは感じ入ることになるだろう。さて最後には、この松村禎三的世界こそはすぐれて、東洋的なその響き、音色の繊細さ、甘美さと共に民俗性が持つエネルギッシュな生命力を併せ持ったエクリチュールに独創を聴くことになるだろう。この『弦楽四重奏とピアノのための音楽』(1962)はピアノを加えたことで、彼の特徴的なオスティナートの効果的な使用をより一層際立たせ響く事となっている。見事な緊張、活き且つうねりをもった民俗精神の滾りをことのほか感動を持って聴くことになるだろう。1965年に発表となる大作「交響曲」の作曲途上の行き詰まりにあった≪作曲理念の技術展開の方法論の探求の意味をも込めて作曲されたものである。その理念とは、西洋ルネサンス以後のポリフォニーやホモフォニーという概念を離れた<アジア的発想>による音楽の構築であり、いわば西洋的二元論ではなく、東洋的一元論に立脚した音楽表現の達成であった≫そうである。そうしたことの試みの最小編成での探求の精華ともいえるのがこの作品である。いずれにせよこうした三作品が時同じくし、且つ同世代のわが国の現代作曲家によって多彩な作品世界となって提示されたことに聴き返してみて改めて驚くことであった。