yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

ほとんど好きなように飄々さやさやと奏で、すっとぼけた純朴な音の世界。近藤譲(1947 - )。

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Walk Jo Kondo

             

さて今回は1947年生まれの団塊世代。とびっきりのユニークかつ独創的でコンセプチュアルな現代音楽作曲家、近藤譲(こんどう じょう、1947年 - )。拙ブログでも先に2稿ばかり起こしている。意味剥落し、飄々として静やかにさやさやと好きなように音の奏でられるさまは、異質なことこの上なく、それゆえに新鮮である。ケージ的世界の近親性を感じさせる純な響きがある。意味の枠組みから零れ落ち、あてどなく浮遊する音たちの振る舞いの奇妙な美しさ。素朴純朴というよりすっとぼけた音の有りようがことのほか調子はずれで肩すかしで魅力的である。多くの理論的考察の著書をものしているのを知りはしているものの、私はいまだほとんど読むにいたっていない。作曲家にしてはひじょうに思索的であり自覚的な人、言葉の人でもある。不案内承知でだけれど作曲家でここまで自覚的に理論的思索的であろうとする人も稀ではないかと思う。ケージ以降の音楽上での本質的な諸概念の問い直しを自らに課し、コンセプチュアルに作品形成を追求創造してきた作曲家として、これだけをとっても優れて特異で独創的な作曲家として誇るべき存在であると私には思われる。このアルバムにある『視覚リズム法・SIGHT RHYTHMICS』(1975)など極めつけである。彼は合奏ではなく<散奏>を標榜している。出てくる音は結果として、何とはなしにその文字からイメージする、まさしくそのような音が鳴っているのである。編成がまた特異である。バンジョー近藤譲はなぜかこの楽器をよく使う。ヴァイオリン、電気ピアノ、それにチューバ!、これがどこか朴訥でユーモラスで、この曲の個性を際立たせているのかも。それにスティールドラム。ほとんど好きなように飄々さやさやとすっとぼけた音の世界。無目的な散歩のようなすすみ行き、歩の運び。面白いことこの上ない。まさしく近藤譲の音、純で異境の世界である。たいしたものである。もう一曲は『結びぼれ・KNOTS』(1977)。高橋悠治(1938-)とのカップリングであるけれどコメントは近藤譲の作品にとどめておこう。







近藤譲「オリエント・オリエンテーション」 Orient Orientation (1973) by KONDO Jo