yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

ドローン(drone)で名にし負うミニマルの祖、ラ・モンテ・ヤングの『THE THEATRE OF ETERNAL MUSIC』(1973)

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La Monte Young - Dream House 78'17"

              

ドローン(drone)。「一定の持続する音で、多くは低音。また、それを奏するための楽器や楽器の部分をさすこともある。」(ネット辞書より)。まことにクセになるドローンである。麻薬的な精神麻痺・痙攣の音楽?といえるだろうか。このドローンの音楽概念上での諸説は時間論との関わりで多く考察されていることだろう。とりわけ反復(ミニマル)と持続(ドローン)との関係で考察、論じられているようだ。本来そうしたことを省みずに今回取り上げるアメリカの、ミニマルミュージックの祖とも云われているラ・モンテ・ヤングLa Monte Young(1935 - )のドローン音楽を耳にすることはあまり意味のあることでないのかもしれない。いまさら、音楽だけではなく諸々の芸術、政治、社会のタギル大きな動きのあった30数年前の雑誌を引っ張り出して文章綴るのも疲れることなので、今回はラ・モンテ・ヤングのドローン音楽をひたすら聴くにとどめておこう。A面は『THE THEATRE OF ETERNAL MUSIC』(1969)。LA Monte Young (voice,sine wave)、 Marian Zazeera(voice)、 John Hassell(trumpet)、 Garrett List(trombone) による、実際上の長時間演奏されたピックアップでしかないのだけれど、39分になんなんとするパフォーマンス。 たぶんLPレコードでの限界収録時間ではないかと思うけれど延々微妙な変化があるだけの反復ドローンミュージックである。このパフォーマンスでのヴォイスはインド音楽の唱法が取り入れられているとはいえ、東洋人にとっては、いささか違和感を感じさせるていの節回し(ビブラート=コブシ?)の稚拙なせいか、私には、いまいち瞑想性にかけるように思えてならない。(もし、名前の響きからして、ヴォイスソロを担っているMarian Zazeeraがインド系であるならお世辞にも上手とはいえない。コブシ効かして演歌の歌えない日本人もいることだし不思議はないけれど。)インド音楽に聞くところの、ゆれる節回しの唱法が、なんとも喉こそばゆいのである。中東、西アジア特有の節回しが西洋人にはおおむね出来ないようなのだ。以前、小杉武久が対談中で言っていた。≪外国人には、節の感覚はあまりないようですね。尺八を吹いても、僕らは音の持続のなかで節をつけるけれど、僕が尺八を教えたフランス人など節の意識がまるでなく、フーッと吹いた一息のエネルギーはそのまま先で細っていってしまう。それが、いくら理屈で教えても出来ないんだ。(笑)≫(松岡正剛『間と世界劇場』より)最近イスラム世界の報道頻りであり、そのせいでメディアでよく聞くコーランの読誦のあの独特の哀愁おびた啜り、咽ぶような音のゆれである。これがほとんど出来ない。それが不満といえば不満であるけれど、とにかくも名に聞くラ・モンテ・ヤングのドローンを堪能することは出来る。さてところでB面である。これがまたスゴイ。最初聴いたときには、????であった。ひたすらにウェーブ可聴すれすれの、したがって単調な低い持続音がこれまた延々39分に亘り鳴り続けるというシロモノである。3つのサインウェーブを使って音を合成電子発生させてのパフォーマンスである。人はその音源から自由に出入り、また移動を許されているそうである。オノマトペで云うところ、ウェーブがほとんど感じられないほどのブーンという持続音のみである。ウェーブというより微妙な音のモワレというべきなのだろうか。低い持続音ゆえに不快感はないのだけれど、何回聴いてもいまだに????であることに変わりはない。『DRIFT STUDY』(1970)。表題から察するに、まさに漂う、ココロの漂流、ひたすらサインウェーブとともに漂流する音の旅ではある。とにもかくにも名にし負うラ・モンテ・ヤングではある。





ジョン・ハッセルJohn Hassell、マイブログ――
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