yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

電子引き連れる騒雑音の音訪い(おとない)に根源の出会いを聴くシュトックハウゼン『MIKROPHONIE Ⅰ,Ⅱ』(1965)

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Stockhausen: "Mikrophonie I"

           

ひさしぶりのシュトックハウゼンKarlheinz Stockhausen(1928 -)の登場である。若き日アーティフィシャル(artificial)に抽象の美を感じていたのだろう。そのせいかシュトックハウゼンの音盤はLP時代を限ってであるけれど多く持ってはいる。しかしこうして限られた時間でブログに文章綴って紹介するのはエネルギーの要ることで先送りしてきた。しかもほとんどが輸入盤とあっていっそうツライことである。ということで意を決しての一枚が今回のアルバムということである。打楽器Tamtamと二人の(打楽器)奏者、Aloys Kontarsky, Fred Alings 。それらの音を拾うマイクロフォニストJohannes Fritsh, Herald Boje。そしてそれらの収集音を電子変調をかけてサウンドパフォーマンスするKarlheinz Stockhausen ,Jaap Spek ,Hugh Daviesの構成で初レコーディングされたもの。そのタイトルもズバリ『MIKROPHONIE Ⅰ for Tamtam ,Two Microphones,Two Filters and Potentiometers』(初演1965)。レコードで聴いていてもその異形の、それもすさまじいまでのダイナミックレンジでの電子変調音との新鮮な出会い、驚きは魅力のある体験をもたらしてくれる。電子が介在した、初めて耳にする音の創造。ここにこうした試みの意義があるといえるのだろう。人は古来、音という音が引き連れてくるものに感じ、そして意味付与してきた。まずは自然の風であり、神鳴り・雷鳴であったりした。風のそよぎ、乱れは自然の揺らぎであり、その揺らぎとともに自然は隠しもつ貌・秩序を現し、そしてその音訪いに神を聴いた。自然との交感に人は意味分節する。区切り、線を刻印し、リズムを刻み、その生を刻む。そして意味もまたそれら地平の開示とともにやってくる。こうした在らしめる生動に命を宿す。電子産業技術の急速の発展は、再度、電子を介在してのこうした驚きの出会いの世界を開示したともいえる。音楽家が電子の作り出す異形の音連れに激しく反応し時空を捻じ曲げ疾駆し、神の不在する苦悶を激甚のサウンドに放心したとて何の異を唱える筋合いのものでもない。電子が斯く人の世に、音引き連れやってきたのは紛れも無い現実なのだから。PAを生かしたライヴパフォーマンスではさぞかしの体験の音連れであることと想像される。これをしも音楽で無いと云ったてはじまらない。いやむしろもっと根源的な音体験の提示として受け取るべき筋のものなのだろう。だからこそ雑音、騒音に人は放心の美を感じもするのだ。耳をつんざく騒音雑音の突然の終息にやってくるあの放心の音連れは何か?それらはまた混沌でもあるからでもある。対称性の破れ、すべては混沌に始まり、秩序形成の意志も混沌に終わる。B面も電子変調による空間音楽ともいえる『MIKROPHONIE Ⅱ for Choir,Hammond organ and Ring Modulators』(1965)。



Karlheinz Stockhausen — Mikrophonie II (1/2)