美しい響き、音色に現代曲であることを忘れさせるほどの、いまや古典の域に入った『NONO,MADERUNA,BERIO』初期作品集。
さて今回は、昨日も拙ブログ文中で述べたイタリアの作曲家たちのメロディアスといっても間違いではない、その叙情性たたえたセリー作品の見事さについてである。私たちは12音セリーをその唱導者シェーンベルク、ベルク、ウェーベルンらのウイーン学派の下に馴染んできたせいか、その後継者たちの音楽、ブーレーズ、シュトックハウゼンを筆頭にドイツ、フランスを中心に聴いてきたのではなかっただろうか。またわが国でセリーを展開した我が作曲家たちもこうした影響のもとで練成してきたのでなかっただろうか。もちろん彼ら二人を貶める気など毛頭無いことはもちろんである。セリーの厳格のなかにもひじょうに張り詰めた構造の美を音色煌くばかりの多彩硬質に見事に提示しえたその功績はなんら否定さるべきものでは決してない。しかし歌うがごとく流麗さをもった美しさをセリー展開に遍く表出しえて見事なのはこのアルバムで聞く、イタリアが今後音楽史で誇ることと成るだろうルイジ・ノーノ、ルチャーノ・ベリオ、ブルーノ・マデルナである。少なくとも、彼等の作品をまず手始めに聴いておれば現代音楽から足遠ざける人の数も少なくて済んだのではなかろうかとさえ思ったりする。それほどに叙情性を湛え、美しさ漂わせた良い作品なのだ。カンタービレの精神と月並みなことを言いたくはないけれど、無機質と称され遠ざけられてきた悪しきトータルセリー音楽の傾向性は彼等の作品には縁遠いものだ。もっとも、セリー展開である以上どっち道いずれはどん詰まりに万事休したであろうとの見方も否定できなくはない。しかしこのアルバムに収録されているイタリアの戦後の傑出した作曲家三人の、叙情的なまでに美しいセリー作品を聴くと、ここいらあたりからを現代音楽への導きとするべきだったのではと思えてくる。はや半世紀の時の経過を感じさせないほどの美しさ湛えたセリー現代音楽であり、いまや見事に古典たりえているといっても過言ではないだろう。ブーレーズ、シュトックハウゼンらがあまりにも突出していたがためにやむをえない流れであったかもしれないが、ドイツ、フランスの主流とは趣のすこし違う周辺国イタリア、ここからの現代音楽鑑賞への入り方もいいのではと思ったりしたアルバムであった。収録曲は、ルイジ・ノーノLuigi Nono(1924-90)の『Polifonica‐Monodia‐Ritmica』(1951)、ブルーノ・マデルナBruno Maderna(1920 - 1973)の『Serenata#2』(1954)、それにルチャーノ・ベリオLuciano Berio(1925‐2003)のテープ音源との室内楽協奏作品『Differences』(1958-60)。美しい響き、音色に現代曲であることを忘れさせるほどの、いまや古典の域に入った作品の3曲である。
ルチアーノ・ベリオ(Luciano Berio, 1925 - 2003)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%81%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%AA
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ルイジ・ノーノ(Luigi Nono, 1924 - 1990)
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ブルーノ・マデルナ(Bruno Maderna, 1920 - 1973)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%8A
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