yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

風景は、此処にこうして静謐に在る。赤貧にカメラで凝視しつづけたウジェーヌ・アジェ(1857-1927)。

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≪1927(70歳) ベレニス・アボット(Berenice Abbott)がアジェのポートレートを彼女のスタジオで撮影.~ 生活が貧しく、日頃はつぎはぎの衣服を着ていたアジェが立派なオーバーコート姿で現われ、アボットを驚かせた.(コートは借り物であった)≫


今回の取り上げるフランスの写真家、ジャン=ウジェーヌ・アジェJean-Eugène Atget(1857-1927)。数年前、日本経済新聞文化欄で初めて知った写真家であった。美術書同様このての本などもやたら価格が高いということもあり、絵画同様そんなに興味をもって追いかけるジャンルでもなく、図書館などにおいてある本をながめる程度の関心でしかなかった。10センチ四方ぐらいのスペースで1週間程度の連載記事だったと思う。ダゲレオタイプの発明以降の近代写真の歴史と写真家の内容だったと記憶している。そのなかで印象派の画家たちに構図等で大きな影響を与えた写真家として、このウジェーヌ・アジェが一枚の写真とともに取り上げられていたのだった。なるほど、この写真だったら画家もこれを下敷きに絵を描いてもおかしくないな、さもありなんと思えるほど、いい構図で風景が切り取られていたのだった。そのとき印象に残ったというものの、それっきりであった。ところが時経て、同新聞の書評欄にて『ウジェーヌ・アジェ写真集』(岩波書店・8820円!)が写真1葉とともに取り上げられているのに再び会いまみえることとなった。そうだ、あのときのウジェーヌ・アジェではないか。まさしく物質感の際だつ迫真の写真画像だったのだ。いろいろ有名な写真家の作品をながめてもどこがいいの?程度の鑑賞力しかない私にも、捉えて離さないほどの存在感、リアリティ、いや、質感というのだろうか、静謐な存在に圧倒されたのだ。写真集を観てではない。新聞の雑な解像度での写真でである。当の高額な写真集は勿論!と言い切りたい。買ってはいない。中央図書館で、目指す当のものは予約待ちが長く、仕方なく別の写真集を借り、鑑賞したただけであった。しかし堪能した。初期の写真の露光時間が長いという制約もあってか、人影の無い写真が異様な静謐を感じさせ、より存在を際だたせる効果となっているのだ。ひたすら眼光鋭く対象を射抜くほどに見つづけているとの印象がするのだった。隠されているものの訪れを待っている風情であり、風景は、此処にこうして在るとでも言いたげに枠撮られているのだった。


≪1892(35歳) 「芸術家のための資料」(Documents pour Attistes)とアパートの郵便受けに看板を掲げ、画家のモチーフになる街頭風景、建築物やその細部、室内装 飾や庭園などを写真に撮り画家に販売することを仕事にした。マン・レイは、彼自身の他にもブラックやユトリロもアジェの写真をモチーフに絵を描いたことがあると述べている。・・・当時の彼の写真の値段は1枚20~25サンチームくらい。(絵はがき1枚の値段) 30年間に約1万点~1万5千点もの大量の写真を、重く旧式の大型カメラでストレートに撮影した。・・・この姿勢が写真本来の特性を十分引き出す結果となった。
彼の残した写真の多くはパリとその周辺を写したもので、その眼差しは常に古き良き時代のパリ(過去)に向けられていた。≫

20世紀前後のパリの建築物,室内家具など失われる古きパリのイメージを撮影。

アジェは当時の芸術家にとって、華やかな発表の場であるサロンに全く作品を発表しなかった。それが生前の品が認められなかった原因の一つと考えられる。

晩年の20年間はパンとミルク、それに砂糖という貧しい生活(1908年頃から患っている胃潰瘍の食餌療法のためもある)で、すべてを写真のために注ぎ込んだ。

以上、勝手ながら下記ネット記事から引用させていただいています。(大学講義用レジュメの由)
http://art.kyusan-u.ac.jp/?%BC%CC%BF%BF%BA%EE%C9%CA%B8%A6%B5%E6%28%B4%DD%C8%F8%29%2F2006-10-05