yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

MEV(ミュージック・エロクトロニック・ビヴァ)の喧騒と狂騒のカオスに高揚する『The Sound Pool』(1969)

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昨日はイタリアの即興演奏グループの『NUOVA CONSONANZA』を取り上げ、その前は留学先イタリアで旗揚げしたフレデリック・ジェフスキー Frederic Rzewski (1938-)率いるMEV『ミュージック・エロクトロニック・ビヴァ』であった。今回のフランスBYGレーベルより出された狂乱凄まじいの一語につきるアルバムの見開きに当のゼフスキーのポートレートが左半分全面に印刷されている。多分すでにこのころには社会主義者であったのだろう、ヒゲもじゃらの顔にハンティングでもない工員帽のようなものを被り、ジャンパーを羽織っているその風貌は、それにふさわしくおさまっているように見える。毛語録でも手に携え掲げもてでもすればそれらしくさまになる風情である。こうした風貌のエリートを見ると、超がつくほどの秀才エリートながら労働現場にはいり政治活動に身を投じ、惜しくも病に倒れて34歳の若さで世を去った、ピュアーな思策の言葉を残して多くの感銘与えたフランスの女性哲学者シモーヌ・ヴェイユの、志願しての義勇兵姿の影像を思い出した。ところで、このMEVのアルバム『The Sound Pool』は時まさしく政治の季節の真っ只中の1969年にパフォーマンスされたドキュメントである。ここいらあたりは下記のネットページの<学生運動の歴史、世界性と新左翼性≫なる稿の存在をあげるだけにとどめておこう。拙ブログでもいくらかは既に述べたてていることでもある。ともかくもこの70年前後の世界の動きは、あらゆる分野領域でヴィビッドにかつドラスティックであった。そうした時代背景を思わせる、熱気の荒々しくタギル演奏である。延々叫び声のまじる喧騒と狂騒的なまでの楽器パフォーマンスのアマルガムがつづくのだ。それらは、私たちの(全共闘)世代には政治的狂騒の無秩序、ランダムの開放的なまでに煌々とした高揚を感じさせるものがある。また、なにか都会の中での狂騒せる土俗噴出する祝祭、狂者の雀躍乱舞、おらびの如くでもある。このようなはじめから終わりまで無秩序のカオスに終始する熱狂のインプロヴィゼーションとは、今のいままで、聴き直すまでまったく記憶から忘失していた。何たることだろう。

≪かつて人びとは、叛乱の圏内で、無際限な言葉の励起に身をまかせていた。そんな事実はなかったとはいわせない。「政治の季節」の後になって、人はただ忘れたふりをしているだけなのだ。またいつか、なんの方法上のケジメもなしに、言葉が散乱するに違いない。≫(長崎浩「政治の現象学あるいはアジテーターの遍歴史」)

≪煌々と輝く街燈の光のなかで、革命のあらゆる衣装をとりそろえて扮装したマドリードは、まるで巨大な夜の撮影所のようだった。≫(1937年スペイン内乱・革命を題材としたアンドレ・マルロー『希望』、上記長崎浩著作より)





フレデリック・ジェフスキーの『 Moonrise with Memories 』(1978)リアルプレイヤーで約11分ほど聴けます。
http://www.artofthestates.org/cgi-bin/piece.pl?pid=82







「1968年」。「思想としての全共闘世代」。糸圭秀美(すが・ひでみ)、小坂修平
http://www.mosakusha.com/newitems/cat70/