yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

未分明了解定かならないアマルガムな音塊ドローンの流動。騒雑音の不思議な感動。ジャン=クロード・エロワ(1938-)の『GAKU-NO-MICHI(楽の道)』(1977-78)

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切れ目なく電子音が空間を埋め尽くす。あらゆる音の境界定かならぬ未分明な音が延々とある時は轟々とあるときは沸き立つ如く沸々滔々と流れる。雑音であり、騒音のドローンである。さまざまな日本のロケーションでのフィールドレコーディングされた音源を使って、この作品は制作されている。
ジャン=クロード・エロワJean-Claude Eloy(1938-)の『GAKU-NO-MICHI(楽の道)』(1977-78)LPレコード2枚組み。
このミュージックコンクレート(具体音の電子処理されたもの)作品はエロワが日本のNHK電子音楽スタジオにて制作したもので、全5時間にも亘る長大な作品である。それをレコード2枚、凡そ約2時間にまとめ上げたもの。
ちなみに各ピックアップされたパートには題がつけられている。1-A「TOKYO(東京)」、1―B「FUSHIKI-E(不識)」、2―A「FUSHIKI-E(不識)」、2―B「KAISO(回想)」「HAN」。
途切れることの無い5時間に及ぶオリジナル音源では各々タイムスケデュールごとに”PACHINKO”,1-“TOKYO”,2-“FUSHIKI-E”,”MOKUSO”,3-“BANBUTSU-NO-RYUDO”,4-“KAISO”,”Han”。とタイトルがつけられている。
こうまで延々と混沌とした未分明アマルガムな電子音のドローンが流されると、不思議に恍惚とした感覚にとらわれる。
クセナキス大阪万博、鉄鋼会館でパフォーマンスされた壮大な電子音楽作品とよく似た感動を覚える。以前拙ブログでそのクセナキスを取り上げ次のように綴っていた。
クセナキスの作品「ヒビキ・ハナ・マ」(音・反響・、花・美しさ・動きの優雅さ、距離・空間と時間の感激)は12チャンネル800のスピーカーのための電子音響作品で70年万博の鉄鋼会館のパビリオンのために特に作曲されたそうである。さまざまな打楽器音や騒音等の電子変容された具体音の数々の重層が時空間のうねりを励起し、存在が場所と共に創造されるさまを沸々と喚起する。弦が軋るように上昇下降するグリッサンドとホワイトノイズがとりわけ感性の動きを加速させる。なんと厚みを持った加速する騒音であることだろう。≫
斯く重層に圧倒する騒・雑音の極まる感動。まことに不思議な感動である。何の音とも具体詳らかでないアマルガムな音塊の流動は了解定かならないだけに、身を預ける安心立命の他律、圧倒する放心、無我である。
轟々瀑々と押し寄せる凄まじい未分明アマルガムな音塊。そして静けさのなか電子処理された梵鐘の音のなんと荘重崇高なことか。
終結部微かなウェーヴ音のなにやら親しみのある音だと澄ませてよく聴けば、なんとわが国歌「君が代」ではないか。はるか遠くへ消えなんとするかのような微かな、それも思いっきり間延びさせてるせいで原形をほとんどとどめない幽そけきウェーヴの君が代。なんと美しく消え入りそうな幽そけき君が代であることか。
ノイズへの謂れ無き郷愁的快感・エロスを感じるという方々にはいちどは聴いてみるべき優れたミュージックコンクレート作品である。

ちなみにこの作品は、現代音楽普及のために貢献大きかったNHK名物チーフプロデューサーの故上浪渡氏に捧げられている。

   雑音は不思議な感動に満ちている。



『雑音に関するヒポテーゼの試み』松岡正剛<遊>1008(1979)より抜粋(再録)

≪雑音に陶然とするときがある。そんなとき、われわれは「全きランダムネス」に敬服しているともいえる。雑音がそれ自身、われわれの思惟を越えていることは、乱数表を作らざるをえなかった人類史からも証言できよう。≫

≪DNAの組み合わせには乱数表的チューリング・マシーンが介在しているのではないだろうか。そうでなくては、こんなヒト族になるはずがない。≫

≪ザーとたゅとうラジオ・ノイズに長いこと聞き入っていると、いつしか自分もノイズと一体になってしまう。さらに長いことノイズのただ中に身をさらしていると、ノイズ総体がことばを放ち始める。なつかしい天上音楽のようなこともある。ノイズが一次元あがって「このまま音」から「そのまま音」へ変わるのか。≫

≪観念や直感はいつも雑音的にやってくる。分割できない「まるごと」なのだ。片や、主語と述語を分けてからはじまるような論理は、もっとも雑音性からほど遠いスタティックな姿をしている≫

≪むしろ主語と述語の分立的連鎖の間に雑音の介入があったと推理してみたい。それはそれ、観念や直感が分割しにくいまるごと雑音体である見解は痛快だ≫






(乱雑性・散逸構造イリヤ・プリゴジン『確実性の終焉』(松岡正剛・千夜千冊)
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0909.html