yuki-midorinomoriの日記

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ほの明るく開けゆく世界への期待と不安の歩みに、核実験への憂慮、対処を思うユージン・スミス(1918 - 78)の『The Walk to Paradise Garden』(1946)

「楽園への歩みThe Walk to Paradise Garden」(1946)
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あまり時事ネタは拙ブログでは趣旨ではなく、遠ざけてきた。しかし北朝鮮の核実験の強行実施という憂慮すべき事態を迎えるに至ってしまったことに口つぐむのも穏やかではない。いま又、ここに至るまでのアメリカほかの核兵器不拡散条約(NPT)・核廃絶への取り組みの不首尾や、北朝鮮への対応の失敗等が取りざたされてきている。しかし事態ここに至って、これよりのち、当該6カ国ほかの対話的解決の頓挫は、次なるイランの核保有という一層重大な危機への呼び水となるかもしれない。油(エネルギー)と、宗教(イデオロギー)と<核>とテロ。考えるだにますます一層困難きわまる混迷の時代への暗き道行きのように思えてならない。以前もこのブログで言ったけれど、個人として、人は命つきてその生を終える。しかし人類は死ぬわけではない。集合意志としての歴史は続く。現実的解決を求めての絶えざる理性的営為が求められているのだ。歴史の事態の不測、不確実性を云い得てみごとな言葉≪われわれは矛盾と逆説に満ちた世界に生きているのであって、そのことを端的に示す基本的な例は、おそらく次のようなものであろう。すなわち、知識の問題が存在するのは未来が過去とは異なるからであるのに、当の問題が解決されうるのは未来が過去と類似している場合だけなのである、と。≫フランク・ナイト・「危険、不確実性及び利潤」。過去知がカヴァーしきれるのは未来事態の一部分でしかないということだ。哲学者カール・ポッパーは、「歴史の定めを信じるのはまったくの迷信であり・・・科学をはじめとするいかなる合理的な手段をもってしても、人間の歴史がどう展開するかを予測することはできない」(『歴史主義の貧困』)と断じた。というのも知識獲得とは、かつて予測されていなかった新しいなにかを発見することだとすれば<もし今の時点で、将来何が発見されるのかを予測できるのであれば、われわれはそれらのことについて既に知っていることになる。>(『複雑な世界、単純な法則』マーク・ブキャナンより)。つねなる予測しがたさ、不測事態は避けがたいものとして、そも人間の歴史はあるということなのだろう。≪歴史とは、そもそも不完全な知識にもとづいて企てられたおこないを、こちらも不完全な知識にもとづいて説明しようとする、成功の見込みのない試みなのである。それゆえ、歴史がわれわれに教えてくれるのは、<救済>への近道や、<新世界>をつくるための妙薬ではなく、ただ辛抱づよくなんとかやっていく術だけなのである。・・・≫グレアム・スウィフト「ウォーターランド」(1983)≫(G・M・ホジソン『経済学とユートピア』(ミネルヴァ書房より)。


≪次はもっとうまくいくだろう。≫――「1989年に東ベルリンのカールマルクスとフリードリッヒエンゲルスの像にペンキ書きされたスローガン」


≪これまでも多くの政治体制が試みられてきたし、またこれからも過ちと悲哀にみちたこの世界中で試みられていくだろう。民主主義が完全で賢明であると見せかけることは誰にも出来ない。実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、≫-ウィンストン・チャーチル


この写真の幼い兄妹のように、ほの明るく開けゆく世界への期待と不安の歩みに、人の歴史もまたオーヴァーラップすることだろう。ユージン・スミスWilliam Eugene Smith(1918 - 1978)の『The Walk to Paradise Garden』(1946)



ハーバート・アレクサンダー・サイモン――

≪ 認知限界とは、ハーバード・サイモンの主概念で、人間の認知能力・情報処理能力の限界のことを表す概念。認知限界ゆえに、世界の複雑性を縮減する必要がある。そのための社会的装置が「組織」である。

限定合理性は、「認知限界」と同じくハーバード・サイモンの概念。主流派とされる新古典派経済学では、「合理的な主体」という意思決定主体を仮定する。しかしサイモンは「人間は合理的であろうと意図するけれども、その合理性には『限界』がある」という前提を導入する。人間は将来にわたる不確実性をすべて予測することはできない。情報を完全に集めることもできない。もし選択肢を数多く集めたとしても、どれが最適なのかを計算することはできない。よって、人々は合理的であろうとしても、完全に合理的な意思決定を行うことは不可能であるとした。この限定合理性を持つがゆえに、人間は組織や制度という人工物を設計し、それによって高度に合理的な意思決定を行う≫(HATENA-ネット記事より)

≪一人ひとりの持つ情報が不足しているからこそ、人間は組織に加わり、それによって情報不足を補い、行動の最適化を目指す・・・そして、人間の限定合理性をエンジンとする組織の形成によって、利他主義的な行動が促される、・・・社会が複雑になるほど各個人は他人からの情報をさらに必要とし、その結果、利他主義的な行動を一層とりたくなる・・・≫(日本経済「ノーベル賞の巨人たち―H・サイモン」より)