yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

富樫雅彦と政治ロマンに酔い、ゆれる高橋悠治の『TWILIGHT』(1976)

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高橋悠治はつねに疑問符のつく存在であった。作風、コンセプトが変わっていくこと自体別に珍しいことでもないのだろうが、それにしてもというところである。80年後半以来音盤から遠ざかっているので確かなことはいえないにしろ、クセナキスとともに師弟関係というより同伴者としてらしいが、数学の抽象論理世界に深く入るかと思えば、武満徹の70年万博への関わりを、資本(経済産業)と技術への無原則的な関与であるとして批判し、政治的な姿勢を押し出してきた。今はどうなっているのだろうか。≪サルトルからYMOまでを巻き込んだマオイズム。いまは誰も毛沢東を称揚しなくなったマオイズム。いったいあれは何だったのか。≫(松岡正剛・千夜千冊『文化大革命と現代中国』の稿より)。この富樫雅彦高橋悠治の二人の名前が冠せられたアルバムに参加している坂本龍一はそのYMOのテクノサウンドでブレークし一躍知られる存在となった。いまだ政治の余韻の残る時代が時代といえば無理からぬことではあっただろう。人間の記憶とは、あやふやでたよりないのをこのブログのため、この当時の世事態を確かめるべくネットでふりかえってみてつくづく思った。実に世間を揺るがすような政治的な出来事の陸続ではないか。少なくともその時代をかいくぐり生きてきた同時代人であれば一層そのおもいがつよい。このアルバム『TWILIGHT』の制作年代は1976年となっている。この両者にとっても政治の季節でもあったのだろう。そうした匂い響きの残るパフォーマンスとなっている。B面22分の即興パフォーマンス「黄昏」は高橋悠治のパフォーマンスでの基本ルール、すなわち≪すべての構成要素は、このホ・チ・ミンの詩の現代中国語の発声とことばのリズムから導き出されている≫(佐藤允彦)ルールに則っとてのものとコメントされている。このベトナム植民地解放の父といわれベトナム戦争を戦う闘士、革命家として、その名を世界に知らしめたホ・チ・ミンの漢訳詩(どこかで目にした記憶がないでもないけれど)がどのような意味をもつものか、説明もないこともあり皆目わからない。が、ロマンであるに変わりはないだろう。1、「半明・Dawn」2、「禮魂LI-Huun」といい現代中国語の簡略体漢字での漢詩が添えられている。毛語録が簡略体漢字での漢詩にとって代わったような趣がしないでもない。ところ、で私もつねづね思っていることだけれど、あの社会主義中国・毛革命とはいったいなんだったのか?なしくずしの現代中国を見るにつけそう思う。≪サルトルは1973年に民衆の意見を反映する『リベラシオン』という新聞を独力で発行しようとするのだが、それはどうなったのかということ。サルトルはこのあと毛沢東主義(マオイズム)に加担していくのだが、いったいそれはどういう意味だったのかということ。そのマオイズムの行く先には何が待っていたのかということ。日本でYMOが結成されたのは、この毛沢東主義への追随だったけれど、日本ではそうした感覚の動向はどうなっていったのかということ。 あるいはまた、1979年にベトナム人ボートピープルとして国外脱出を企てて、それにサルトルはいちはやく支持をおくったのだけれど、そのボートピープル救済の運動はその後、さまざまなNPOとなり今日に至っているのだが、それらはいったいサルトルの考え方とどこでつながっているのかということ等々。 実はこうしたことは、いまもってなんら検討されていないままにあることなのである。なぜそうなのか、理由をさがすのはそれほど難しくない。多くは「サルトルの誤り」として片付けられてしまったからだった。≫(松岡正剛・千夜千冊『方法の問題』の稿より)。このようにおしなべて歴史の実験は失敗したと断言する事も出来ず、また誰しもが総括しえず、ズルズルとこんにちに至っているのが正直なところだろう。少なくとも同時代人にとっては。思慮奥行きの欠けると私には思える彼らの政治ロマンに付き合わされた富樫も迷惑なことだっただろう。とうてい内面からきたロマンとは思えない。そうした印象のアルバムである。好意的にいえば、奥行き、深みの獲得は脱政治ロマンを俟ってのことということだろうか。とはいうものの9・11坂本龍一の言辞を識れば依然望み薄ではあるけれど。


ホ・チ・ミンの詩がアルバム解説文の裏面に記載されているのに気づいたので以下それを記す。

           たそがれ

       風の鋭い剣は山肌をみがき

       寒さのとがった峰は木の枝を刺す

       遠い寺の鐘の音に旅人は足をはやめ

       牧童は笛を吹き牛をつれ帰る

                  ホ・チ・ミン